第11話 僕の名前は
「やっぱいいな。夏翔さんにはいい友達がいっぱいで羨ましいや」
小さな身体を丸めて一生懸命に枝を振るう眼鏡くんの傍らに立つ。
ぼそりと零す眼鏡くんの頭に手を置いて、俺は微笑んだ。
「眼鏡くんにだってなまら頼りになる幼馴染がいるだろ」
そう言うと、眼鏡くは俺を仰ぎ見てふにゃりと笑った。
そうして、ぽつりと寂しそうに、けれどどこか晴れやかな眼差しで呟いた。
「いってしまうんですね。夏翔さん――」
俺の
ああ、もう少し待ってくれ。俺が俺でいられるうちに、どうしても眼鏡くんに伝えなくちゃいけないことがあるんだ。これだけは、どうしても――
ゆっくりと立ち上がった眼鏡くんは、だぼだぼのジャージの裾を軽く引っ張ると、今まで俺が見た中でいちばん鮮やかな色の瞳を俺に向けて満足そうににっこりと微笑んだ。
その視線が徐々に上に向けられる。そうか、俺が
言われてみれば足が地面についていない、気がする。そもそもまだ足はあるのか。
いいや気にするな、そんなこと。それよりも眼鏡くん、聞いてくれ眼鏡くん。
「リレーで速く走れて上手くバトンパスできるコツを伝授してやろう」
俺の言葉に眼鏡くんのつぶらな瞳が、カッと大きく見開かれた。と思うと、上を見ながらグッと距離を詰めてくる。良かった、俺まだしゃべれてるみたいだ。
にしても食いつきがすごいな。
「マジすか夏翔さん!ちょっ、いかないで!」
そう言って眼鏡くんが手を伸ばしたけれど、その小さな手は俺を掴めずに宙を掻くだけだった。
そうか、こうなったら流石の眼鏡くんでもダメなのか。
なら急がないとな。
「慌てるな。眼鏡くん、実は君はもうそのコツを掴んでいる」
「何言ってんですか。【チビ眼鏡】がそんなこと知ってるはずが」
俺は不敵に微笑みスッと地面を指差す。すると指の動きに吸い寄せられるように眼鏡くんが視線を落とし口を閉じた。
そこはキャンバス。眼鏡くんの傑作が描かれている。
「まずしっかりと地面を蹴る。顔は常に前を向いて目標を見定める。例えばコーナーの手前とか、バトンをパスする相手の動き。その手元」
眼鏡くんが描いてくれた漫画のとおりに。
「いいか、足元ばっかり見てるんじゃないぞ。あとは一生懸命、腕を振ること。腕の動きに足は勝手についてくるから」
俺がそこまでひと息に告げると、眼鏡くんの唇が「そんな単純な」と動くのが見えた。
いや、単純なんだよ眼鏡くん。
人間は単純なんだ、こんなにも――
「眼鏡くん、もし君が第一走者なら、必ずスタートダッシュを決めるんだ……」
今や翡翠色の光の洪水となった俺は、何かの流れに導かれるように上へ上へと昇っていく。
「夏翔さん!」
地上では眼鏡くんが俺に手を振っている。
「ノブナガです!ぼくの名前は
……ちょっと待て。
眼鏡くん、いやノブナガくんは俺がもう消えそうだってときに、とんでもなく気になる話題をぶっこんできやがった。しかも情報過多だ。どれに驚いていいか分からない。
「成仏できなくなるような告白すんな!」
俺は精一杯そう叫んだ。
当のノブナガくんは両手をぶんぶん振り回してにまにま笑っている。
このジャージ小僧め!
俺も手を振り返す。もう身体はないけれど。
もうすぐこの世から俺は跡形もなく消えてなくなるけれど、最期にこんな穏やかな気持ちになれて、そしてこんな綺麗な光になれるんだったら、申し分ない終わりだろう。
みんな、十二年越しの夢が今日、叶ったよ――
そんな俺の頭上から明るい日射しが降りそそぎ、見やるとすぐ傍に眩しすぎる塊があった。
ギラギラと俺を見下し、俺の罪を咎め続け、そして唯一、俺とずっとずっと一緒にいてくれた正しい存在。
「八月の太陽。おまえともこれでお別れなんだな」
思わず俺の口からそんな言葉が零れると、ノブナガくんの最後の声が空気に融けて俺の元まで届いてきた。
「九月です、夏翔さん。今は九月、残暑が厳しいけどもう秋なんですよ。夏は終わったんです――」
ああ、そんな。
俺は目を見開く。
そうか、そうなんだな。
俺が目を逸らし続けていた間も、時間は進み季節は巡っていたんだ。
良かった、よかった――
秋が来る。秋がもうすぐそこまでやって来いている。
「ありがとう……
俺の最期の本当の心が、澄んだ空に滲んで消えた。
続【エピローグ】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます