第1話 執筆に必要なもの!




「じいや、わたくし作家になりますわ!」


 金出甲斐かねでかい財閥の令嬢、金出甲斐潔子かねでかい けつこは言った。

 じいやは紅茶を注ぎながら頷く。


「夢を持つのは良いことです」

「夢ではありませんの! 実現可能なプランですわ!」


 潔子は決めポーズを取った。


「金で作家を買い取りますのよ……!」


 じいやは首をかしげる。


「僭越ながらお嬢様、それはゴーストライターを持つということですかな」

「オバケの話はよして!?」


 潔子はクッションの後ろに隠れる。彼女は幽霊・妖怪・オバケの類が苦手だった。


「僭越ながらお嬢様、著作権を買い取っても作者には人格権という何者にも侵されぬ権利がございます。そんな作家に作品を書かせてもお嬢様の作品には決してなりません」

「あら、そんなことはわかっていてよ?」


 潔子は聡明だった。

 小学生時代、道徳の授業はさんざん『相手の気持ちを考えましょう』と言われてきたが、聡明だった。


「そんな人格権すら売り渡してもいいという作家がこの世にはいますのよ」


 潔子はスコーンをかじり、妖しく笑う。



 


 得名井太郎れない たろうは安アパートの一室で5割引きのインスタントラーメンをすすりながら、大きなため息をついた。


「水道を止められるのも時間の問題か……」


 得名井は売れない高校生小説家だった。

 中学卒業と同時に新人賞を受賞し一度はプロデビュー、それを機に上京したのだが、学業と仕事の両立の難しさに打ちのめされしばらく作品を書いていない。大々的にプロデビューした手前実家からの仕送りを催促するのも気が引けて、アルバイトで学費と生活費を工面していた。

 しかし一週間前、ひどい夏風邪を引き欠勤が続いた。夏休みが終わる前に貯金が底をつこうとしている。

 得名井は絶望しつつあった。


「ごめんくださいまし!」


 鈴の音のような声がした。安アパートのドアが吹き飛んだ。


「敷金がッ!」


 得名井は絶望した。

 吹き飛んだドアの向こう側に立っていたのは、金髪縦ロールの絵にかいたような美少女だった。


「得名井太郎様ですわね? わたくしが買い取ってさしあげますわ!」

「か、買い取り?」

「詳しい話はヘリの中で致しましょう!」

「ちょ、ちょっと待って、何なんだーッ!?」


 得名井は連れ去られた。

 ヘリの中で得名井は、燕尾服の老人に挨拶される。


「私は金出甲斐財閥のじいやです。お嬢様の作家業を代行していただきたい」

「意味がわかりません」

「それは私も同感です。潔子お嬢様は少々突飛なお方ですので」


 じいやは電卓を取り出し叩く。


「著作者人格権という本来相場の付かないものがどのような額になるかはわかりませんが、ひとまず年棒はこのくらいで」


 電卓を見せられて得名井は目を見開き、それから桁を数えて、安アパートの契約料に思いをはせる。


「ああ、お屋敷に住み込みで働かれるので家賃はありませんよ」


 得名井は己を売った。




 金出甲斐の屋敷に連れ去られた得名井は部屋をあてがわれた。


「ここが執筆部屋でしてよ! あなたの、いいえ、わたくしのね!」


 潔子の言葉はともかく、ちょうどいい広さで落ち着く和室だった。

 中央の座卓にはノートパソコンと原稿用紙、万年筆が置かれている。文豪の缶詰部屋といった風情だ。

 メイドに座布団を置かれ、その上に得名井は座る。


「さあ、書いてくださいまし!」


 座卓の向こう側で潔子が言った。


「……実は、しばらく執筆していなくて……」

「ブランクは何年ほど?」

「……十か月くらいかな」

「全然取り戻せますわよ! お書きになって!」


 潔子の目が輝いている。

 得名井はいたたまれなくなった。


「無理だーッ!」


 障子を破って飛び出したが、そこは鉄格子で囲われた坪庭だった。


「無理だ! 無理! 急にこんなところに閉じ込められたって書けるわけがないじゃないか!」

「大変! スランプですわ!」


 屈強なガードマンたちに得名井は取り押さえられる。

 鼻水を垂らしながら得名井は謝る。


「すびばぜん……契約しだのに書けない作家で……」

「いいえ、スランプをどうにかするのも作家の務め、つまりわたくしの務めでありますのよ」


 潔子は得名井の額にやさしくキスをした。


「さあ、執筆になにが必要なのか言ってくださいまし」

「……人生経験と文章スキル」

「お任せになって! じいや!」


 潔子が手を叩くとじいやが障子戸を開けて現れた。得名井にKindle端末を握らせる。


「いや、僕、紙の本派で」

「じいや!!」

「金出甲斐財閥所有の巨大図書館から三千冊の論評を送らせます」

「やっぱりこっちでいいです」


 それから得名井は数日間、Kindle端末をスワイプしつづけた。





「わたくしの作品はいつできますの?」


 潔子は座卓に肘をついて言った。

 得名井は皇室御用達の高級ようかんを齧り、玉露をすすり、電子書籍で芥川龍之介を読み続けている。


「わたくしの作品は、いつできますの?」


 潔子は再度言った。

 得名井は横目で潔子をちらりと見て、それからまた端末に視線を落とした。


「読み終わったら」

「芥川をですの?」

「いや、青空文庫全部」

「信じてもいいですのね?」


 玉露を入れ直しながらじいやが耳打ちする。


「僭越ながらお嬢様、得名井様のペースでそれが実現するのはおよそ百三十年後かと思われます」

「……そんなに待てませんわ!」


 潔子は座卓をひっくり返した。

 ふき飛んだ玉露とようかんはじいやが全て受け止める。


「ウワーッ!」


 得名井は叫んだ。


「執筆に必要なのは人生経験と文章スキル、の前に締め切り! 一週間以内に書き上げなければクビでしてよ!」

「ギャーッ!」


 得名井はもう一度叫んだ。

 慌ててノートパソコンに向かう。インターネットには繋がっておらず画面に表示されているのはメモ帳だけだ。


「ハアッ、ハアッ、書け……書け! 書け! 書け!」


 得名井は頭を掻きむしりながらキーボードを叩く。

 白い画面にMSゴシックが数行現れては消えて、また数行現れては消える。


 得名井は執筆を続けた。


 一週間後。


 得名井は畳に倒れ伏していた。

 ノートパソコンには一文字、「あ」とだけ打ち込まれている。


 それを潔子とじいやは見つめている。


「………」

「………」

「………」


 静寂が空間を支配する。

 その静寂を破ったのは、潔子だった。


「……わたくしの」


 ノートパソコンを両手に持って掲げる。


「わたくしの作品ですわ~ッ!」


 潔子はとてもポジティブだった。


「じいや! わたくしの作品でしてよ!」

「おめでとうございますお嬢様、そして得名井様」


 潔子は得名井の後頭部にやさしくキスをした。


「得名井! わたくしの作品を書き上げてくれてありがとう!」

「……あ……あ……?」


 得名井はゾンビのようなうめき声を上げるだけだった。

 ちなみに、潔子は小説を一冊も読んだことがなかった。



  つづく

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