第2話 作品の価値とは!
得名井は高校へ向かっていた。
ただでさえ出席日数がギリギリなのに、金出甲斐とかいう妙な財閥令嬢に連れ去られて夏休みを無駄にしてしまった。
一体あれは何だったんだろうか。真夏の昼に見た夢かも知れないと得名井は思いながら自転車で走る。
校門に立ってる体育教師などがいるわけもなく、「遅刻だぞー」なんて呼び掛けてくれる幼馴染がいるわけもなく、得名井は息を切らして教室へと滑り込む。
「本日は転校生を紹介します」
「金出甲斐 潔子ですわ!」
得名井を連れ去った妙な財閥令嬢が制服姿でそこに居た。
夢だけど夢ではなかった。
「わたくし、作家になりますの! これがわたくしの作品ですわ!」
「潔子さんってオモロ~!」
早速ギャルに気に入られ、潔子は教室の中心にいた。
印刷された「あ」しか書かれてない、ハードカバー装丁の本を開いたり閉じたりしながら彼女は自慢している。
それは得名井が書いた「あ」なのだが、ただの「あ」に著作者人格権を行使するのも大人げない気がして得名井は何も言い出せなかった。そもそも売り渡している。いつも通り自分の席で寝たふりを決めている。
「つーか、『あ』だけで作家になれんのかよ」
お調子者の男子生徒、茂野が当て擦りにいった。教室の中心を取られて面白くないのだろう。
「なにかしら、一文字だろうと作品は作品ですわ!」
「うるせっ。声でかいんだよ~、でかいけつこ~!」
「まあ、お下品!」
そう言う潔子の瞳に、しかし涙が浮かんでいる。
ギャルが「やめなよ男子」と諫める前に得名井は立ち上がっていた。
「一文字でも作品だ」
なぜそんなことを言い出したのか得名井自身にもわからない。
ただ、腹が立っていた。
「なんだよ作家センセー」
茂野が言う。得名井がプロデビューしていたことは教室中が知っている。
そのことは人付き合いが苦手な彼を余計に孤立させていたのだが、今はどうでもいい。
「草野心平の『冬眠』!」
「は?」
得名井は一歩前に出る。
「1951年に詩集『天』で発表された一文字だけの作品だ。小説じゃなくて詩だけど!」
小説じゃなくて詩だけど。得名井は言葉を重ねる。
「わけわかんねーブンガクの話されても。一文字だけの本なんて誰も買わねぇだろ」
「作品の価値は買われるかどうかじゃない! 作家が生み出したことにある!」
得名井の声に茂野がひるんだ。
そして、ギャルが呟いた。
「良いこと言うじゃん」
「お前ごときに何がわかるーッ!」
得名井はギャルに殴り掛かった。拳が当たる前に羽交い絞めで止められ、事なきを得た。
作家の精神とは複雑怪奇なものなのだ。
暴れる得名井を潔子は輝く目で見ていた。
「素晴らしかったですわ、明治期の文壇を見ているかのようで!」
潔子は言った。
昼休み、敷地内のベンチで得名井は潔子に掴まった。
ギャルが遠巻きに見て来る。転校生と危険人物の接近に警戒しているのだろう。
「小説読まないのにそういう知識はあるんだ……」
「乙女のたしなみでしてよ」
なぜか頬を赤らめる潔子。
それから得名井の腕と自分の腕を絡める。
いや、なんかこう、妖艶な感じではなく、今にも踊り出しそうな感じに。
「わたくしの代わりに作品を守っていただいて嬉しかった。やはりわたくしたち、一心同体ですのね」
遠巻きに見ていたギャルがざわめいている。
生涯で女性との接触が極端に少なかった得名井には、この全体の空気感が耐えられなかった。
「やめろよ!」
ベンチから飛び退る。勢い余って自動販売機の前に居た体格のいい男子生徒にぶつかった。ガシャン、と缶が落ちる音。
「僕はそういうんじゃないから、ただ生活のために、お前と契約してるんだからな!」
「まあ……」
潔子の瞳に再び涙が浮かぶ。
「おい」
得名井は振り返った。体格のいい男子生徒がコーヒー缶を手に得名井を見下ろしている。
「なにしてくれとんじゃワレ」
得名井は縮こまった。
「すみません……」
「弁償しろやワレェ! わしの濃厚ミルクティー!」
シャツの襟元を掴まれて、得名井は吊り下げられた。
潔子が構えを取った。
「今度はわたくしが守る番ですわ」
「なんじゃお前は!」
潔子の姿が消えた。
次の瞬間、体格のいい男子生徒は三階の窓近くまで浮いていた。
金出甲斐家に伝わる護身術である。
「乙女のたしなみでしてよ」
地面が揺れる。
男子生徒と一緒に空に打ち上げられた得名井は失神していた。
「得名井!」
得名井の身体は潔子に受け止められた。そのまま抱きしめられる。
「わたくしたち、二人三脚で作品を作りましょうね!」
ギャルの通報で救急車が呼ばれたが、二人とも大事はなかった。
翌日。
「なんていうか、お幸せに」
得名井はギャルから言葉をかけられた。
誤解されている。誤解されているが、それを解くのも面倒なので得名井は寝たふりを再開した。
つづく
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