第11話 勢いは大事!
映画の公開予定日まで三か月。
得名井は執筆を続けている。
作品は変化していく。プロットの型から飛び出し、登場人物たちが心を持って動き始める。
その瞬間が得名井は好きだった。
メディアミックス企画『君に恋した』。
撮影は順調で、予定よりも短い期間でアップできるだろう。得名井の執筆も現場に感化されて、小説のミミは前よりも芯のある性格に、タカヒロはだらしないながらも魅力的になってきた。
画面から目を離して、執筆を見守っている潔子を見る。今は金髪縦ロールだが、撮影中の黒髪の潔子を思い出してみる。
視線が合い、慌てて逸らす。
こんな時間が永遠に続けばいいのに、と得名井は思った。
突然、戸が開いた。
「お父様……!?」
潔子の父、
「潔子、まだこんなことをやっていたのか」
その手のスマートフォンには映画の予告編が流れていた。黒髪ストレートの潔子が映っている。
多々晃の表情は何も映さない。
「おかえりなさいませ、ご当主様」
じいやが前に出る。
多々晃はスマートフォンを仕舞う。
「エンターテイメントは金のなる木などではない。穀潰しの事業だ。金出甲斐財閥はエンターテイメント業に支出しない」
「僭越ながら多々晃様、今はまだお嬢様のお小遣いで賄っております」
「いずれ我に泣きつく」
多々晃はじいやに言い放った。
「
名を呼ばれたじいやは頭を振る。
「しかし、ご当主様」
「口ごたえをするな。雑草は早い内に摘み取ったほうが良い」
得名井は絶望していた。
今までの努力が、楽しい創作の思い出が、こんなことで終わるのか?
「三か月!」
潔子が勢いよく叫んだ。
「あと三か月で結果を出しますわ、お父様」
「ほう」
「楽しみにしていて」
多々晃はやはり何も映さない表情のまま、背中を向けた。
「子供の遊びでどれだけ回収できるか。せいぜい足掻くがいい」
恐るべき父は去った。
「……作家の道は諦めなくってよ」
潔子は言う。
「野球をしますわよーッ!」
「あの流れで!?」
得名井は流石に叫んだ。
「テーマ曲のMV撮影だ」
鳥琉がユニフォームにゼッケンをつけている。
「よかった、実際に野球をやるわけじゃないんだ」
「ポジションだけ決めるぞ。リアリティが欲しいからな」
1(一)得名井
2(遊)玄黄
3(捕)じいや
4(投)金出甲斐
5(左)煙管
6(二)池輝
7(中)筧
8(三)田中
9(右)鳥琉
ポジションが決まった。
「4番は私のものでしてよ!」
「誰も取り合ってないよ」
フォームを確認しながら得名井はツッコむ。
その時だった。
「我々は雰囲気だけの野球MVを根絶させるナイン!」
不審な集団が現れた。
得名井はバットを置く。
「雰囲気だけの野球MVを根絶させるナイン!?」
「ダイヤモンドを穢す者たちよ! 真剣勝負だ!」
根絶ナインの主将が球を握った手を突き出す。
「礼!」
お互いのチームに頭を下げた。
一回表、潔子チームの攻撃。
得名井はフォアボールで出塁、その後つめるとじいやの手堅いプレイで早くも塁は埋まった。
「ホームラン宣告ですわーッ!」
バットを振り上げて4番の潔子が決めポーズを取った。
根絶ナインのピッチャーが構える。
初球。
「なっ!?」
145km/hを超える剛速球だった。これまで力を温存していたらしい。
「流石は雰囲気だけの野球MVを根絶させるナイン。辻野球をふっかけてくるだけのことはありますわね」
ピッチャーが構える。
第二球はチェンジアップだ。
「はあっ!」
沈んだ球を冷静に見極め潔子が振り抜く。
球は左中間へ飛ぶ。
「うおおー!」
得名井が走る。ホームベースに到達して一点が入った。
しかし後続の二人はアウトを取られる。
「玄黄さん! じいやさん!」
「油断しました」
「お嬢様、あとはよろしくお願いします」
後がない状態で泰山がバッターボックスに立つ。
「ジュニア時代の栄光、もう一度見せてあげるわ!」
泰山が燃えていた。
一塁の潔子はリードを取る。
しかし剛速球になすすべなく、スリーストライクを取られてしまう。
「バッターアウト、チェンジ!」
「なんなのよ!」
得名井は腕でTの字を作った。
「タイム!」
審判役のガードマンが宣言した。
ベンチに集まる。
「なんで普通に野球してるの?」
得名井は言った。
「わたくし、勝負はいかなる時にも受けて立ちますわ」
潔子が秘伝のスポドリを飲みながら言う。
得名井は諦めて、別の疑問をぶつけた。
「潔子が作家になりたい理由って、なんだ?」
得名井の頭に浮かんでいたのは父に立ち向かう潔子の姿だった。
「あなたにはあって? 小説家を目指した理由が」
「僕は、小学生の頃に作文コンクールで受賞して……」
「それはきっかけでしょう。受賞しても書かない人間なんて五万といる。理由は必要ないのではなくて?」
潔子はマウンドを睨んで言った。
「わたくしは、やりたかったからやってるだけ。ただそれだけですわ」
一回裏に入る。
「………」
1-33。
めちゃくちゃに打たれて、めちゃくちゃになった。
大きく点差をつけられて一回裏は終わった。
「大丈夫! あと8回もありますわ!」
「どこからその自信がでてくるんだよ!」
得名井は叫ぶ。
もともと撮影のためだけに決めたポジション、寄せ集めのチームだ。この結果は順当ともいえる。
「ボロボロの守備じゃ逆転しようにも差を広げられるだけだ」
「わたくしがホームランを打ちますわ!」
「話聴いてた?」
潔子はホームランを打てず、またもや一点だけ入ってツーアウトの状態。
「なぜ僕だけ見逃されるんだ? 足の速さから言っても二人には勝てないはず……」
得名井は自身の影の薄さがわかっていない。
「ダラッシャァー!」
泰山が気合で剛速球を打ち返した。塁に出る。
「初心者なので、お手柔らかに」
池輝がバッターボックスに立つ。
初球。
「うっ!」
速球が池輝の腕を掠った。デッドボールで塁を押し出す。
「大丈夫か池輝くん!」
「手足の長さが仇になったね」
冗談を言いながら走る。
「ハアーッ……ハアーッ……球技、コワイ、球技、コワイ……」
左打ちのナナは見るからに駄目そうだ。
全身がガクガクと震えている。
「ナナさん落ち着いて! ボールをよく見て!」
「よく見る? よく……スケッチブックをくださぁい!」
叫びながら振りかぶったバットが奇跡的に当たった。
ボールが中央を抜けていく。
「走って走って!」
「ひいいい」
ストライドだけは長いナナの足はなんとか塁に到達した。
「田中! 頼んだわよ!」
「ご主命とあらば」
田中がバッターボックスに立つ。
その体格で相手を威圧しながら、初球。
「チェエエエエエストオオオオオオ!」
大上段から振りかぶったバットは速球を真上から叩き落とした。
地面を跳ね返って、上空へと打ち上がる。
折れたバットを置いて田中が走る。
泰山と池輝がホームへ帰ってくる。ナナもヘロヘロになりながら塁を進む。
ボールは戻ってこなかった。
「……ホームランですわーッ!」
「なんか怖いけど、よくやった田中さん!」
潔子と得名井は抱き合って喜ぶ。
「お山さん、ナイスです~……」
「田中でありもす」
その後鳥琉がアウトを取られ二回表は 6-33で終わった。
裏でまた33点を取られ、6-66になる。
「獣の数字です……」
ナナが呟く。
「なあ、変じゃないか? こっちの攻撃だけ妙に手加減されているというか」
「俺たちが素人だからなめられてんだろ」
鳥琉はベンチに立てた三脚カメラを調節している。得名井たちにも邪魔にならない身体の位置に小型カメラが装着されていた。鳥琉組の撮影スタッフも忙しく駆け回っている。
「雰囲気だけの野球MVを根絶させるナインがそのようなことをするかしら」
「潔子」
「本気でいかなければ、勝てませんわ」
まだ勝つつもりでいるらしい。
その時、潔子に異変が起こった。
「うっ、急に眠気が……!」
秘伝のスポドリのボトルが落ちる。
「潔子……? 潔子! ……」
潔子は目を覚ました。
「夢……?」
わたくしたちは野球をしていたはず。潔子は思いながら堅いベンチから身を起こし、スコアボードを見る。
場面は9回表、点数は32-264。
「ああ……なぜですの……?」
潔子は眠ってしまっていたらしい。ボトルになにか入れられていたのだろうか。チームメンバーは倒れ伏している。まさか、根絶ナインもお父様の差し金……? 潔子の心に疑心が生まれる。
しかし、潔子は諦めていなかった。
「潔子……起きたのか……!」
絶望した得名井が潔子を見た。
「みんな精一杯頑張ったが、この点差だ。もう逆転は……!」
潔子は決めポーズを取る。
「代走、得名井ですわ」
潔子はバッターボックスに立った。
ツーアウト。塁は空。絶体絶命の状況で潔子はバットを構える。
速球が来る。
「はあっ!」
潔子は打った。ボールは右中間を抜ける。それは見事なコントロールによるものだった。
そして塁を走る影が一つ。
「代走、得名井!」
「はああああっ!」
得名井がダイヤモンドを走っていた。一周し、ホームベースに到達する。一点が入った。本当なら潔子はバッターボックスから出なければならないが、もう一度バットを構えた。なんかそういう雰囲気だった。
「代打、金出甲斐!」
ボールは打ち上がる。センターのエラー。
「代走、得名井!」
「うおおおおお!」
得名井は走る。撮影で培った持久力で塁を走る。持ち前の存在感の無さで妨害を避ける。倒れていた仲間たちがベンチに集まり、得名井と潔子を応援する。
「代打、金出甲斐!」
「代走、得名井!」
「わああああ!」
「代打、金出甲斐!」
「代走、得名井!」
「だああああ!」
「代打、金出甲斐!」
「代走、得名井!」
「らああああ!」
1024-297で試合は終了した。
根絶ナインの主将が頷く。
「我々の目的は完遂した。雰囲気ではない、本気の野球MVがこれで完成するだろう」
彼は帽子を取って礼をした。
「君たちの『青春』を感じる表情を引き出せてよかった。さらばだ」
彼らは去っていった。
あなたが見た野球MVにも、雰囲気だけの野球MVを根絶させるナインが登場しているかも知れない。
いつもの執筆部屋へ帰って来た。
「おう、おかえり」
先に帰っていた鳥琉がMVを編集していた。
みんなで作った曲が流れている。
「そういえば、この曲にボーカルなんて付いてたっけ」
「何を言ってますの得名井。わたくしとあなたで歌ったではありませんの」
得名井は少し考えて、それから叫んだ。
「……許可取ってくれよ!」
「著作者人格権はわたくしが買い取りましたわ!」
「そういえばそうだった!」
頭を抱える。
「おい、タイトル教えてくれ」
「そうですわね。タイトルは……」
かくして『絆のメロディ』MVは、甘酸っぱい青春をたたえて完成した。
つづく
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