第28話 番というもの

 秋の深まりを感じさせる、天の高いある朝のことだった。

 萬樹まんじゅ殿には荷運びのために下級の宦官かんがんたちが出入りしていて騒がしい。皇太子として認められた宇航ユーハン皇子が、東宮とうぐうへと居を移すのだ。


「私、ここに居ていいのかしら」


「いいに決まっている。正式に婚約が認められたのだからな」


 落ち着かぬ様子で立ち座りを繰り返している美玉メイユーの両肩に、宇航皇子の両手が添えられる。

 そのまま下に押されて、椅子に腰かけさせられるかたちになった。


「それにしても、東宮に移られたらやっと落ち着きますかしら。あの審議のあとも、随分ともめていらしたようだから」

 

 美玉が言うのは、ホア貴人と空燕コンイェン皇子の処遇の件だ。

 華貴人と空燕は処刑だけは免れたが、内廷の外れに空しく幽閉されることになった。半ば打ち捨てられて名も無かったその殿舎でんしゃを、人は穢邑わいゆう宮と呼んだ。近づく者もほとんど居ない、うら寂しい場所だという。

 

 華貴人が後宮内で権勢を誇っていたのもあり、処刑をしては反発の種を生む、という上奏を行ったのはチュ美人だというが、その真意は美玉にも分からない。

 

「朱美人は思慮深いと陛下は感心していたな」

 

「あるいは、これから後宮を崩していく様を、見せつけたいようにも思えますわね」


「どうした? これから出す触書ふれがきが恐ろしくなったか?」

 

 正面に腰かけた宇航皇子が、優雅に茶器を持ち上げる。

 明明メイメイが先ほど淹れてくれた茶だった。


 皇子が、懐から出した紙を卓にすべらせる。触書の写しだった。

 

 宇航皇子が東宮へと移るのと日を同じくして、蜻蛉とんぼ憑きについてのあらたな触書が出ることになっているのだ。これも、朱美人が動いてくれたこと。

 

「現皇太子は即位したのちに後宮を持たぬが、その次の代には運命の番つがいとなる蜻蛉憑きの娘を探す。

 蜻蛉を望んで蜻蛉憑きになれば、長じても生きて蜻蛉憑きのままでいられる。

 蜻蛉憑きはいやしい先祖返りではなく、その歴史ごと蜻蛉を受け入れた者が得る力である。

 春蕾しゅんらい国は龍と蜻蛉の国である。龍と蜻蛉とともに永劫に栄える国である。」

 

 何度も相談された文言を、今一度読みあげる。

 

「いいだろう? お前の愛する蜻蛉を忌む者はいなくなるぞ。なにを浮かぬ顔をしている?」

「蜻蛉の術は、恐ろしい術でもありましたから。嬉しい気持ちと不安な気持ちで引き裂かれそうですわ」

「そんなことを気にしているのか」


 言うと、皇子は立ち上がり、美玉の背後へと周った。

 あ、と思う間もなく背後から抱え込むように抱きしめられる。

 耳に感じる息が、肩に感じる鼓動が、切ない。切なくて、嬉しい。


「お前は最後に蜻蛉で人を傷つけることを拒んだ。蜻蛉と蜻蛉憑きへの意識が変われば……蜻蛉を愛し受け入れる者が増えれば、お前と同じ選択をとる者も増える。変わるんだ、人も、国も。……後宮も」


「この先を、共に見ていけるのですね」


「ああ。命尽きるまで。それが番というものだから」


 龍の少年と出逢った日、彼を救いたいと思った瞬間から、運命の輪はとなめの形で廻り続けていた。

 触れるだけの口づけの余韻。桃琥珀色の蜻蛉が一匹、美玉の胸から飛び立った。番を求め、皇子の元へと。

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蜻蛉憑きの娘と龍を宿す皇子~桃琥珀の蜻蛉飛ぶとき、運命の番は現れる~ 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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