招く猫、神迎え

羽川明

群を抜く

 古びた骨董屋の一角を間借りする、茶色髪の青年がおった。

 青年は糸のように細い三白眼で涼しい顔を浮かべ、ござの上に正座していた。


「”道聞みちぎき”ねぇ」


 骨董屋から現れた曲がった腰の老婆がぼやく。

 視線は青年の脇に立てかけられた看板にあった。そこには確かに、自由気ままな筆遣いで『道聞き』と銘打ってある。


「はい、連れ立って歩く道案内人と言ったところです」

「なんでもいいけど、うちのお客を取るよな真似だけはよしておくれよ?」

「もちろんですとも」


 青年がにこりと微笑むと、首から下げた鈴がなった。

 みずぼらしく錆びついた小さな鈴は、赤と白の細いしめ縄でもって首から下げているのだった。


「にゃー」


 青年の足元に猫がすりよってきた。

 模様が白と黒で別れた美しい毛並みの猫だった。首輪はない。野良猫のようだ。


「おやおや、最初のお客さんかな?」


 青年が喉仏を指でくすぐると、猫はごろごろと甘えるように鳴く。


「馬鹿言ってんじゃないよ、猫に人間様の商売がわかるもんかい」

「まぁまぁ、そう言わず」


 手のひらですくい上げるように抱き上げ、青年は猫を膝の上に乗せる。

 猫は落ち着かない様子でひっきりなしに周囲を見回す。


「おなかがすいているのかな? いちのおばさん。確か、ツナ缶が余っていませんでしたか?」

「ほれ」


 投げてよこされたツナ缶を見て、青年は顔をしかめる。


「あちゃー、賞味期限が過ぎてますねぇ」

なんだろ?文句があるなら自分で稼いで買いなー」


 返事は期待していないようで、いちのは曲がった背をさすりながら店の奥へ姿を消す。


「参ったなあ」


 青年、呉々くれぐれ慎呉しんごは一文なしだった。いちのの言う通り道聞きで稼がなければツナ缶一つ買うこともできない。

 道ゆく人々は慎呉に冷ややかな目を向けるばかりで、立ち止まることはしない。スマートフォンが普及したこの現代、誰も慎呉に用はなかった。


「悪いけど、もう少しかかりそうだ。がまんしておくれー」


 背中の白黒模様の境目を撫でてやると、猫は大きなあくびをした。


「にゃー」


 あくびをして、慎呉の前方へ振り向き一声なく。


「おや?」


 慎呉の座るござに影が差した。見上げると、いつの間にか目の前に恰幅のいい男が突っ立っていた。

 白い服がはち切れそうなほど大きくふくらんだ太鼓腹に、これまた大きな黄ばんだ袋を右肩で背負い込んでいる。頭には麦わら帽子をしていて、ひたいから汗がしたたるたび左手のハンカチで拭っていた。


「道聞きというのは、道案内ということでしょうか? 何分、世間知らずなのでして」

「えぇ。ご用ですか?」

「はい、道に迷ったのでして。笠ノ森の祠までの道を知りたいのです」

「かしこまりました。お連れしましょう」


 初仕事に息たつ慎呉。猫をござの上に座らせ、威勢よく立ち上がる。

 東に広がる曇り空を一瞥してから、慎呉は太鼓腹の男を連れ立って歩き始める。


「あぁそうだ。お支払いは現金でよろしいですかな? 今払わせてください、なにぶん物忘れが激しいのでして」

「わかりました」

「して、いくらですかな?」

「お代は、お気持ちで結構ですよ」

「そうですか、では」


 太鼓腹の男はこげ茶色のズボンのポケットからくしゃくしゃのお札を何枚か取り出し、慎呉に手渡した。



 太鼓腹の男は、何かにつけて慎呉のことを知りたがった。


「まだお名前をうかがっておりませんでしたな。先ほどはあせっていたのでして」

呉々くれぐれ慎呉しんごと申します」

田貫たづらと申しますのでして」


「慎呉さんは、道聞きを始めて長いのですかな? 板について見えたのでして」

「いえ、実は田貫さんで初めてなんです」


「慎呉さんは、この町に来て長いんですかな? 気になったのでして」

「この街に来たのは二ヶ月ほど前です。放浪癖があるので、僕にしては長居している方かもしれませんね」


「慎呉さんは、あの骨董屋さんの息子さんですかな? 親密に見えたのでして」

「骨董屋のいちのさんは母方の親戚なんですよ。子どものころからよくお世話になっているんです」


 そのうち夜が更け、月夜を曇り空が覆う。

 二人は笠ノ森の祠へ通じる深い森の中の畦道あぜみちを歩いていた。


「困ったなあ。今日はやけに時間が経つのが早い」


 曇りということもあって森の中は暗く、慎呉は行燈あんどんを手に闇を割って進んでいく。


「それに、やけに森が静かだ」


 鳥や虫の鳴き声が聞こえてきそうなものだが、森は沈黙を貫いていた。慎呉のサンダルと、田貫の革靴の音だけが湿った地面の上で響いている。


「随分と遅い時間帯になってしまいましたな。疲れてきたのでして。今晩は近くの宿にでも泊まりませぬか?」

「宿ですか? こんな森の中にはなかなかありませんよ」

「左様ですか? では、あのあかりは?」

「灯り?」


 慎呉が田貫の指さす方へ振り返ると、夜の森の中にぼんやりと橙色の明かりが灯っていた。藁でできた三角の屋根といい、橙色の灯りといい、時代錯誤も甚だしい。

 不思議に思いながらも、慎呉たちはこれ幸いとそちらへ方向転換する。


「今晩はあの宿へ泊まりましょうか」

「えぇ、祠へは急ぎの用ではないのでして」


「にゃー」


 森の静寂を、猫のが打ち破った。

 慎吾がござに置いて来たはずのあの白黒の猫が、行手ゆくてはばむように鎮座ちんざしている。


「おや?」


 ふと気がつくと、慎呉はろくに整備のされていない獣道に立っていた。さらに前方にあったはずの宿は、トタン屋根の潰れた小屋に変わっている。

そして背後を振り返っても田貫の姿はなく、こちらに気づいた一匹のたぬきが茂みの中へ逃げ出していくところだった。

 もしやと思い田貫から受け取ったお札を確かめると、どれも朽ちた葉っぱだった。


「あらら」


 慎呉は相変わらずの涼しい顔で猫を拾い上げ、元来た道を引き返していく。


「次のお客さんを探さなきゃなあ」

「にゃー」


 猫が、また一つ鳴いた。



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