第8話 会合前の


「酒呑童子様、こちらをどうぞ」


俺に触れないように細心の注意を払って、吉津が俺へと手紙を渡して来た。

あの一件以降に姿を見なかったと思えば、猫太の補佐として働くことになったと報告に来たのは先日のことだ。

渡されたものをパラリと開いてみれば、ぬらりひょんからの手紙だった。



ーーーーーーー


酒呑童子へ

夏も過ぎ、秋の実りを見かけるようになってきた今日この頃をどう過ごしているだろうか?

早速本題に入るがタマとの勝負の日程が決まった。

第一勝負は楽。

笛や太鼓といった楽器はもちろんのこと、舞や歌も勝負内容の中に入るようだ。

雪女が舞。

牛鬼が横笛。

鴉丸が琵琶。

青坊主が太鼓。

お前には琴を頼みたいと思っているがどうだろうか?

神無月の頃に迎えを行かせる。

勝負はひと月ほどで終わる予定だ。

特訓しておいてくれ。


ーーーーーーー


うぉお⋯⋯。

平和的な内容の勝負に安堵すると同時に、この面子で楽をする想像がつかなかった。

鴉丸は琵琶を演奏出来るんだなどと新しい発見をし、あの生真面目な顔で弾くのかと笑ってしまった。

雪女が舞を得意なのは知っている。

牛鬼と青坊主も楽が得意とは聞いたことがなかったが、ぬらりひょんに言われたら何でもこなすだろう。

それにしても何で俺が琴なんだ?

出来はするが得意でもない。

どうだろう?なんて聞きつつ既に決定事項なのが気に触る。

まぁ、しかし、神無月の頃ならばひと月ほどは練習が出来るだろうか。

参集してから音合わせをするだろうし、下手な演奏をすれば笑い物になるのは目に見えるから、そこそこやっておくか。


「吉津、猫太に琴を用意するように言っておいてくれ」


屋敷の物置にあるはずだが、弾いたのは随分と前のことで指が動くかどうか分からない。

練習をしておかないと、ぬらりひょんに何を言われるか恐ろしい。


「かしこまりました」


何故かウットリと俺の顔を見てくる吉津を睨む。

こないだから、やけに熱っぽい目で俺を見ている気がして、正直言うと気持ち悪い。


「不愉快だ、さっさと行け」


ジロジロと俺の顔を見るなど躾不足だと、後で猫太に言っておこう。

俺が不機嫌なことに今さら気づいた吉津の顔色は先程までの恍惚とした様子は失せて、一気に真っ青になった。


「次に手紙が届いたら、俺のいない時に部屋の文箱に入れておけ。いちいち顔を見せるな」


「か、かしこまりました」


慌てた様子で去って行く吉津。

苛立ちのあまり右手の爪を噛んだ。

最近、チラチラと視界の端に映る使用人達の姿が増えて来ている。

今まではそんなことはなかったのに、どうしたということなのだろうか。

煩わしい。

全て〇〇〇しまえばこの気は晴れるのか。

浮かんできた思考に頭を振る。

こんな時に頭を撫でて貰えたら、落ち着くのかもしれない。

ふいに脳裏を過ぎった鴉丸の顔を消す為にドガッ!と右手を近くの壁へ叩きつけた。

その壁はヒビが入ったかと思うと粉々になって崩れ落ち、見る影もなくなった。

猫太が余計な出費に泣くかもしれないが、屋敷を半壊させるよりはマシだろう。

あぁ、イライラする。

酒を飲んでも、甘い物を食べても満たされないのはどうしてなのだろうか。

俺は一体何に飢えている?

それすら分からないことがより一層の苛立ちを感じさせる。

使用人達に話す気にもならず、かと言って相談を出来る相手もいない。

湧き上がる苛立ちを紛らわすように、俺は近くにあった酒瓶の中身をあおった。



■■■■■■



月明かりが縁側を照らす。

琴の弦を爪弾くと、宵闇を揺らして涼やかな音が響き渡る。

以前に江戸で聞いた歌を再現するように弦を鳴らす。

初めはぎこちなかった指の動きは段々と滑らかになり、音も軽やかになっていく。

楽は嫌いじゃない。

聞くのも演奏するのも好きだと思う。

ポロポロと夜を彩る琴の音に頬を緩める。

もっと、もっと⋯⋯軽やかに楽しげな音を奏でてみたい。


「良い音だな」


夢中になって爪弾いていた俺は唐突な声に目を瞬かせ、手を止めた。

庭にある樹の枝に腰掛けている影を見つけ、驚きのあまり立ち上がった。


「鴉丸っ!?」


江戸にいるはずなのにどうしてここに?

身軽に枝から飛び降りた鴉丸はいつもの服ではなく、黒の着流を身に付けていた。

どこか涼やかな印象を与え、背が高くて体格のいい鴉丸にとんでもなく似合っているが、相変わらず鴉の顔のままなのが不思議な雰囲気を感じさせた。

俺の方へと悠々と歩いて来た鴉丸は驚きに固まり続ける俺をよそに縁側に腰掛けた。


「元気だったか?」


え、うん、とハッキリしない言葉が口からこぼれ落ちる。

まるでここにいることが当たり前だとばかりにくつろいでいる鴉丸の姿に首を傾げた。


「鴉丸、どうしたんだ?何でここにいる?」


問いかけると、鴉丸の丸い目がギラリと光った。

その強い光に見惚れてしまった俺の肩を鴉丸が掴み、顔を至近距離で覗き込まれる。

あまりの近さに体を引こうとするが、両肩を掴む鴉丸の手の力が強過ぎて身動きがとれない。


「⋯⋯元気、なんだな?」


「この通り、俺はピンピンしている」


鴉丸の問いかけに目を瞬かせる。

体調が悪かったのは数年前に風邪をひいたくらいで、至って健康体である。

大きくて温かな鴉丸の片手が俺の頬を包み込む。


「連絡がないから、具合でも悪いのかと思っていた」


ぬらりひょんの屋敷を後にしてから、今の今まで鴉丸宛に文を送ったりはしていない。

勿論、楽の進捗度はぬらりひょんに報告する為に伝書鳩で送ってはいた。


「手紙を送っても返事がないから心配した」


鴉丸からの手紙?

もしかして下の屋敷に届いていたとか?

ありえる。

以前もぬらりひょんからの手紙が下の屋敷で止まっていて、冷や汗をかいたことがある。

いつもの伝書鳩ならいいが、そうじゃないヤツなら間違えて届けても不思議じゃない。

体を丸めて、意気消沈している鴉丸を見て、申し訳なさが込み上げてくる。

俺なんかに手紙を送って来る友人がいたこともないから、まさか鴉丸が手紙を送って来てくれているとは思ってもいなかったのだ。


「ごめん」


謝罪をすると、ハッと目を見張った鴉丸が慌てた様子で首を左右に振る。


「別にお前を責めているわけじゃない。ただ、私が気になって来ただけなんだ」


鴉丸がわざわざ江戸からここまで来たのが、俺からの手紙がないからなんて⋯⋯。

どうしてそこまで俺のことを気にかけてくれるのだろうか。

そんなことを思いつつも、会えたことに心臓が忙しなく動き出す。

嬉しいという感情が溢れて来て、空虚だった胸の内が満たされるような感覚に頬に赤みがさす。


「それに、そろそろコレがなくなると思ってな」


ゴソゴソと懐から取り出したのは青い巾着袋で、大きな手の平の上に中身を少し出して見せてくれた。

コロコロと転がり出て来たのは色とりどりの金平糖。

思わず、息を飲む。

会合の日にもらった金平糖はとっくの前になくなってしまっていた。

少しずつ大事に食べよう、そう思っていたのに堪え性もなく、しっかりとご飯を食べているにも関わらず感じ続ける飢餓感につい食べてしまった。

堪えきれない飢餓感は自分が自分でなくなりそうで、怖くて⋯⋯それでも舌の上に感じる甘味は極上で、何よりも美味しく感じる。

そう感じている間は飢餓感を忘れて、幸せに浸っていられた。


「これは鴉丸の手作りか?」


この金平糖には人の心を魅了する毒でも入っているのだろうか。

あるいは鴉丸に会いたくなるやつとか、依存させるような特殊な毒薬が入っているのかと疑ったが、鴉丸はポカンと口を開けている。


「江戸にある甘味処の春麗という店で買って来たものだが、何か気に入らなかったか?」


一つなくなる度に鴉丸に会いたくなるなど口が裂けても言えなくて、気に入らないわけではない為首を左右に振るしかない。

ホッと安堵の息をつく鴉丸。


「ここの団子も美味い。今度一緒に行こうか」


一緒に行く。

当たり前のように次の約束をする鴉丸に胸が苦しくなった。


「ほら」


手に握った巾着袋はズシリと重い。

わざわざ俺の為に買って来てくれたのだろうか。

なくなる前にまたくれると言っていたのは、もしかしたら俺がそう言うと連絡を入れると思っていたからか?

鴉丸の優しさを感じる度に何とも言えないもどかしいのに温かな思いが溢れて来る。

ーーーあぁ、嫌だ。

それは幸せという感情だと気づいた時、俺は顔を歪めた。


「いらない」


ポツリと呟くと、鴉丸が物凄い勢いで俺の方を見た。

そして、困惑に目を揺らす。


「どうした?何かあったのか?」


ポロポロと頬を伝う涙。

静かに涙をこぼす俺を鴉丸が食い入るように見ている。


「いらない、いらない、いらない」


金平糖はもらったら駄目だ。

これ以上食べたら金平糖がないと落ち着かなくなるからいらない。

鴉丸に期待してしまう、また会いたいなんて感情はいらない。

与えられた優しさもそれを感じたことで得られる幸せもいらない。

俺は鬼だろう?

血と怨嗟によって創り出された化け物。

そうであるべきだ。

温かな感情を感じれば感じるほど、自分の醜悪さが許しがたくなってしまう。

今でこそぬらりひょんに止められているからしていないが、傘下に入っていなかったら未だに人間も妖怪も喰い殺していただろう。

満たされぬ飢えに狂って、死を振りまく災厄として君臨していたはずだ。

苦しい、悲しい、どうして俺はこうなのだろう。

理由をつけては他者の優しさを素直に受け入れられない己が厭わしい。


「本当にいらないのか?」


真っ直ぐな言葉だった。

鴉丸と目が合った瞬間にまるで突き刺されたかのように体が揺れた。

俺を見透かすような凪いだ眼差し。


「酒呑童子、本当にいらないのか?」


再びの問いかけ。

差し出された手の平の上にある金平糖。

口の中に唾液が込み上げてきて、慌てて飲み下す。

取ろうとしない俺に鴉丸が苦笑する。


「甘味を食べると幸せな気分になるだろう?どうしてそれをお前が拒むのかは知らないが、お前はもう少し身勝手に生きてもいいと思うぞ」


身勝手に?

鴉丸の言葉に身勝手に振る舞う自分を想像してみたが、よく分からなかった。

俺は今だって身勝手に生きている。

この広大な屋敷で引きこもって、静かに朽ちていく。

穏やかな滅びは俺には過ぎたる未来だと思う。


「そ、それは⋯⋯鴉丸が、俺を知らないから言えるんだ」


そう言うと、鴉丸はため息をついた。


「ぬらりひょん様を見てみろ。ほとんど私や側近に任せて、あちこちをフラフラしているだろ?」


「いや、それはぬらりひょんだから許されることだと⋯⋯」


あっちにフラリ、こっちにフラリとしているのはぬらりひょんらしい。

鴉丸や側近達もそうすることが出来るように能力のある妖ばかり重宝しているじゃないか。


「振り回されるこちらの身のことなど、全く考えてもくださらない」


顔を背けた鴉丸の呟きに目を瞬かせる。

あ⋯⋯?

何だか鴉丸らしくないと思ってしまった。

楽しそうにぬらりひょんの世話をしている姿しか見たことがない為、どこか不貞腐れたような言葉に違和感を強く感じた。

よく鴉丸を見てみると、いつもより羽毛に艶がない気もする。


「鴉丸、疲れているのか?」


問いかけると、ピクリと肩が揺れた。

そして、手の平の金平糖を握り締め、魂まで出そうな深いため息をつく。


「いや、大丈夫だ」


項垂れているのに大丈夫と言われても説得力はない。


「とにかく、これは受け取れ」


巾着袋に金平糖を戻し入れてから手渡される。

ここまで言われたら受け取っても構わないだろうか。

コクリと頷くと、安堵の息をついた鴉丸は俺の肩へと頭を持もたれかけた。

近くなった距離に体が震えそうになったが、弱った様子を見せる鴉丸への心配が先に立つ。

フワフワとした羽毛が首筋に触れてくすぐったいが、肩から感じる温かな体温は不快ではなかった。

けれど、俺に甘えるような動きを見せる鴉丸に困惑する。

しっかりしていて、真面目な鴉丸がここまで疲れているなど何か理由があるのだろう。

それを知った所で俺が何かをしてあげることなど出来はしないのに⋯⋯。


「疲れているなら、わざわざうちまで来なくても良いのに」


こぼれ落ちた言葉に巾着袋を握る手を掴まれた。

眠ったのかと思っていたが、ただ目を閉じていただけのようだ。

丸い漆黒の目が俺を見ていた。


「迷惑か?」


鴉丸にしては強い口調で問われ、一体何なのだと困ってしまう。

それでも逃がさないと言わんばかりに握り締められた手を振り払うことも出来なかった。


「いや、江戸からここまで距離があるから、余計に疲れるんじゃないかと思って⋯⋯」


「お前は迷惑じゃないのか?」


俺の言葉を最後まで聞かずにまた問われて、ため息が出た。

本当にどうしてそこまで俺のことを気にかけるのか。

俺が迷惑に感じていようがなかろうが、鴉丸はぬらりひょんの側近なのだから好きに振る舞えばいいだろうに。

困惑する俺を見て笑うつもりなのだろうか。

しかし、真剣な眼差しには俺をからかう色はなかった。


「迷惑だと言えばもう来ないのか?」


苛立ちに声が尖る。

しかし、俺の言葉を聞いた鴉丸の顔を見たら、何とも後味が悪かった。

そんな顔をするなよ。

鴉の顔なのだから表情は読めないはずだったのに、悲しげに揺れる丸い目と食いしばった嘴、震える手が握り込まれているのを見て、自分の失言を悟った。

疲れは精神を蝕む。

鴉丸が俺なんかの言葉に傷ついたのが見て分かってしまった。


「すまない」


何を謝っているのだろう。

俺が迷惑だと感じていると信じたのだろうか。


「お前が迷惑でも、私は⋯⋯」


ーーー傍にいたい。

耳に吹き込まれた言葉に目を見開く。

大きな手が俺の頬を包み込む。

目の前にある鴉の顔。

俺の前では人の顔を徹底的に見せないのに、どうして傍にいたいなんて言うのだろうか。

まるで、俺のことを鴉丸が好いているみたいだ。

あと少しで触れそうだ。

近付いてくる顔をボンヤリと眺めていた俺は、丸い目に映る自分の顔を見て我に返った。


ガタッ!


思わず仰け反った拍子に横にのけていた琴へ体が当たって音を立てた。

俺は頬にある手を振り払い、鴉丸を睨み付ける。


「鴉天狗は鴉の顔と人の顔を持つのだろう?」


「⋯⋯あぁ」


何故、そんなことを確認するのだ?と言いたげな鴉丸。

振り払われたことに心なしか肩をションボリとさせていて、俺の胸を罪悪感がチクチクと刺す。

いや、俺が我に返らなかったら、うっかり、せ、せ、接吻をする所だったのだが!?

接吻は好いた相手にするものだろう!?

褒められこそすれ、気落ちされる謂れはないはず!!

この際だから、今まで聞けなかった顔の件を聞いてみよう。


「鴉丸はどうして俺に人の顔を見せないんだ?隠しごとをしているくせに、俺の傍にいたいなんて変だろ?」


どこか拗ねた言い方になってしまった。

それが恥ずかしくて、そっぽを向く。

すると、鴉丸が息を飲み、その嘴の辺りを手でおおってしまった。

まるで、赤面した自分の顔を隠すようだと今更になって気づく。

ジッと見つめていると今度は鴉丸の方が顔を背けた。

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あやかし物語~鬼と鴉の話~ アキ猫 @yuna-yuna0123

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