第7話 屋敷

カラカラと輪入道の車輪の音が遠くへと消えていくのを見送り、俺は屋敷の門をくぐった。


「酒呑童子様、お帰りなさいませ」


俺は帰って来た。

屋敷は相変わらず静かで、使用人達も隠れるようにして息を潜めている。

猫又の男がシッポをパタパタと動かして出迎えてくれたが、仕事は大丈夫なのだろうか。

少数精鋭と言えば聞こえはいいが、俺の選り好みにより屋敷にいる使用人は明らかに少な過ぎる。

俺なんかの出迎えをするくらいなら、仕事をした方が効率がいいのではないだろうか?


「こちら、お出かけなさっている間の出来事です。良ければご覧ください」


猫又から紙の束を渡された。

ビッシリと字の書かれたそれに気が遠くなる。


「分かった。ありがとう、猫太」


これ、今日中に読めるだろうか。

俺が名前を知っていたことに驚いた様子の猫又の猫太を横目にため息をつく。

さすがに長い付き合いだから名前くらいは覚えているが、呼ぶ機会がなかっただけだ。

俺の屋敷に猫又は一人しかいないし、猫又って言ったら通じるのだ。

ブンブンとシッポがうねっているが、何だかいつもに比べて大人しい気がする。

体調が悪いのかと観察していたがそうでもないようだ。

ふと、思いついて勝負のことを言ってみる。


「ぬらりひょんと玉藻前が傘下の妖で勝負をすることになった」


「何とっ!面白そうです!」


目を輝かせる猫太に首を傾げる。

面白そうか?

血の雨が降らないか心配なんだが。


「俺も参加するから、しばらく留守にすると思う」


「酒呑童子様も!?それは⋯⋯誰かを連れて行かれますか?」


やっぱりおかしい。

俺が誰かと競うことを嫌いなことを理解しているはずなのに、こんなに嬉しそうにするなんて有り得ない。

気づいていないふりをして、会話を続けることにした。

使用人の誰かを連れて行くという発想がなかったが、普通は付き添いをさせるものだろうか。

う~ん⋯と考えたのはほんの一瞬。


「いや、いい」


ただでさえ少ないのに連れて行ったら、屋敷の維持が出来なくても困る。

それくらい分かっているはずなのに。

断ると、目に見えて猫太の耳とシッポが垂れ下がってしまった。


「別にお前達が嫌とかいうわけじゃない。屋敷やこの地をお前達が守ってくれていると思えるだけで安心するのだが⋯⋯駄目か?」


屋敷にずっといるのも気が滅入るのだろうが、自分が離れている間の屋敷とかのことを気にする余裕は勝負の間はないだろう。

だがらこそ、信頼出来る誰かに屋敷とかのことを任せたいのだ。

と言っても会合に出かけたばかりでまた出かけるのは主人として褒められた行為ではないのかもしれないがぬらりひょんの命令には逆らえない。

信頼しているのだと口にする俺に猫太は頷く。


「酒呑童子様がお望みなら、我々はそれに従うまでです」


勝手な主人に仕える使用人は大変なのだが常日頃から猫太の声からは不信感や怒りといった感情はなく、ただ真摯な響きが感じられた。

今、目の前にいる猫も落ち着いた声をしている。


「我々の、この山の主は酒呑童子様なのですから」


「⋯⋯そうか」


まるで慕われているみたいだ。

ふと、そんなことを考えて、俺はため息をついた。

こいつがどこの誰であれ、俺を騙そうとしている奴からの思慕など必要ない。

猫太から目を逸らし、そのまま自室へと歩き出す。


「夕餉はいかが致します?沐浴も出来るようにしていますが」


普段は呼べば対応をしていたのに、今日はわざわざ予定を聞く意味が分からない。

あぁ、コイツは猫太じゃないから分からないのか。

そう思うと、目の前の奴に無性に腹が立ってきて、ニコニコと笑う様を見下ろし、目を細める。


「部屋へ夕餉は運んでおいてくれ。酒も一緒でいい。明日の朝餉は必要ない」


部屋で籠るから邪魔をするな、と言外に伝えるとソイツは頷いた。


「かしこまりました」


下げられた頭を眺める。

ザワザワと屋敷の中の空気がいつもと違うのは屋敷を離れていた俺が帰ったからだろう。

しかし、誰一人として目の前のコイツが誰なのかを言いにも来ない。

俺に何かあっても構わないのか?

普段から自分が遠ざけているくせに、理不尽にも怒りが込み上げてきた。


「なぁ、猫太」


「何でしょうか?」


ニコリと笑った猫太の顔をした男の猫耳を指差して、唇を歪める。


「それ、どうしたんだ?」


「えっ!?」


ソイツが慌てて、自分の猫耳に触れる。

三角のそれを撫で回し、どこにも異常がないことを確かめるとあからさまに安堵した。


「いつもと変わりませんが?」


「そうか?」


柔らかな頬へ伸ばした手を添えると、ソイツの顔が真っ赤になった。

顔を近づけるとますます赤くなる。

しかし、腹の中を渦巻く怒りは冷めないままで、俺は唇を歪めつつ首を傾げた。


「俺がつけた傷はどうしたんだ?」


ピタリと猫太の動きが止まった。

初めて会った時に俺がつけた傷のせいで猫太の耳は一部が欠けていたはずだ。

傷つけられてもなお、俺に仕えたいと言った言葉を忘れることなど出来はしない。

それがないということは、コレは猫太ではないのが分かっていた。

ウロウロと泳ぐ目が気に食わなくて、顎を握って俺の方へと向けた。


「お前、誰だ?」


怯えた色に染まった目が俺を映す。

牙を剥き、爪を尖らせ、怒り狂った俺の姿が⋯⋯。


「俺を騙そうとするとはいい度胸だ」


視界が真っ赤に染まっている。

煮えたぎった頭の片隅で、「何かの手違いかもしれないぞ」と宥めるような声がする。

もしコイツが敵ではなかったとしても構わない。

大事なのは猫太の姿を借りて、俺を騙そうとしているということ。

許してはいけない。

甘さを見せれば付け上がるのが常だ。

二度と馬鹿げたことが出来ないようにズタズタにしてやる。

肉を裂く感触、叩きつける衝撃、俺は気づけば血に濡れていた。


「あ~⋯⋯」


足下に転がるモノを足蹴にしようとした瞬間に我に返ってしまい、自己嫌悪で吐き気がした。

意識を失った男の恐怖に歪んだ顔は猫太のものではなくなっていた。


「何だ、狐か」


どこかで見たことのある顔だと思ったら、屋敷を立つ前に尋ねて来た狐の妖のものだった。

何の用事で来たのかは知らないが、屋敷で勤めだしたのだろうか?

狐は他者に化けることの得意な妖で、猫太の姿を借りたのだとは思う。

馬鹿な奴。

しかし、屋敷を任せたはずの猫太はどうしているのだろう。

こんな狐が紛れ込むのを看過するならば、それ相応の仕置きをしなくてはいけない。

バタバタと走って来る音がする。


「酒呑童子様っ!」


顔色を真っ青にさせて四つん這いで走って来る猫太の姿に頭が痛む。


「猫太、人型の時に四つ足で走るな」


「はひっ!も、申し訳ありませんっ!」


俺が言った瞬間に物凄い勢いで立ち上がった猫太だったが、その後に「酒呑童子様がオラの名前を呼んでくださった!」と感動に打ち震えている。

あぁ、うん、猫太はこうだよな。

いつも通りの反応にホッとしたと言ったら、更にワーワーと騒がしくなりそうだ。


「コレは何だ?」


指差したものを見て、猫太の顔色は真っ青になり、卒倒しかけたのを何とか踏ん張って狐を確認した。


「あ、わわわっ!吉津(キツ)の馬鹿がやらかしたのですかっ!?おい、吉津!お前、何をやらかしたんだっ!?」


やはり屋敷で雇ったのか。

使用人を雇うなど一言も言っていなかったのに。

屋敷のことで俺が知らないことがあった事実が気に入らず、声がより一層冷ややかになる。

猫太は吉津と呼んだ狐の胸ぐらを掴んで、頬を張り倒している。


「知らない奴を屋敷に入れるなと言ったはずだが」


睨み付けると、振り向いた頭の上の猫耳が伏せる。

その耳がしっかりと欠けていることを確認し、目を細める。


「申し訳ありません!」


頭を下げた猫太のつむじを見下ろし、唇に人差し指を当てて考え込む。

猫太は忠誠心が強く、俺の命令に背くことなど今までなかった。

理由があってのことだと分かってはいるが、どうして俺がいない間に雇うんだ。


「以前より使用人を増やしたいとお伝えしていたと思います。その、誰を採用するかはオラに任せるとおっしゃってくださったのは覚えておられますか?」


そういえば、以前にそんな話をしていた気はする。

いつから雇うかを聞いていなかったが俺の許可は出ていたとして動いたのか。


「何故コレはお前の姿をしていたんだ?」


「その、酒呑童子様は⋯⋯その、人見知りだと言ったので、見知ったオラの姿をとったのかと⋯⋯」


あまりにも短絡的過ぎる。

ズキズキと痛むこめかみを揉む。


「そもそも、何故お前が迎えに出ない?」


「お帰りになった酒呑童子様に食べて頂きたくて、お好きな饅頭をつくっておりまして⋯⋯」


改めて見てみると、猫太は前掛けをつけて、顔どころか頭にまで白い粉をつけている。

いや、確かに俺は甘い物が好きだが、出迎えに出れないほどのことか?


「屋敷の使用人であの饅頭をつくれるのはオラだけなんです」


まぁ⋯⋯確かにあの饅頭は美味しくて、大好物でよくつくらせていたが、まさか猫太がつくっていたとは知らなかった。

通常の仕事に加えて、余分な仕事をさせてしまっていたのか。

半泣きの猫太にため息をつくしかない。

猫太だけなのだ。

こんな俺の為にずっと仕えてくれている使用人は。


「チッ⋯⋯仕方ない」


日が高い内はあまり妖としての力が使えないのだが、俺が早とちりをしてやらかしてしまったようだから、仕方ない。

体の内に溜まっている妖力を練る。

目に見えるように妖力は光となり、地面に倒れたままの吉津へと向かっていく。

吉津にまとわりついた光によって時を戻すように傷が癒えていき、元通りになっていく。

俺の力が強まるこの屋敷だからこそ出来る芸当である。

かなり妖力を消費するから好きではないが、勘違いからヤッてしまったのだから元通りにするべきだ。


「え?⋯⋯あ、れ?」


地面に座り込み、目を白黒させている吉津。

しかし、そんな俺よりも烈火のごとく怒っているのは猫太だった。


「吉津!お前、酒呑童子様を騙そうとするなんて、万死に値するぞ!しかもオラの姿を勝手につかって!」


「す、すみません⋯⋯」


俺に八つ裂きにされたことを思い出したのか、吉津は身震いをする。


「この屋敷において!酒呑童子様こそ全て!酒呑童子様に不快な思いをさせるなど許されない!」


なら、どうして俺は生きてるのだ?絶対に死んだと思ったのに。

そう言いたげな吉津を睨め付け、猫太が叫ぶ。


「酒呑童子様にお仕置されるなんて、なんて羨ましいぃっ!」


⋯⋯何か違う。

そう感じたのは俺だけではないようで、吉津は表情を取り繕うことも出来ずに顔を引きつらせている。


「血を浴び、怒りに燃える目をした酒呑童子様!あぁ!何とお美しい!お前、八つ裂きにされるなら前もって他の先輩達に言っておくべきだろう!?何、自分だけ堪能しているんだ!?」


羨ましい、悔しい、憎たらしいと怨嗟の声を出す猫太の様に吉津はドン引きして、冷や汗を垂らしながら後退る。


「見た目は華奢なのに、繰り出される攻撃の容赦のなさ!痺れるほど素敵だろう!?」


ブルブルと震えている相手に同意を求めても同じ答えが返るはずもない。

猫太の忠誠はありがたいが、この斜め上というか変な思考回路はどうにかならないものか。

スン⋯とした吉津の化けた猫太の方が側近ぽくて良かったような気もする。

猫太もああいう態度は出来なくはないが、一日やると頭に円形のハゲが出来てしまい、自慢のシッポもマダラに毛が抜けてしまったから無理を言えない。


「この屋敷に勤める者として、酒呑童子様の為なら全てを受け入れる!これが鉄則だ!」


「⋯⋯そ、そうなのですか⋯⋯?」


そんな鉄則など聞いたことがない。

しかし、拳を握り、熱弁をふるっている猫太は真剣そのもの。

吉津を洗脳する勢いで俺の凄さとやらを喋り続けている。

アイツの頭の中の俺はどうなっているのか、恐ろし過ぎて聞きたくない。


「猫太、躾はしっかりしておけ。俺は部屋で休む」


「かしこまりました!」


まだまだ話し足りないらしい猫太は勢い良く返事をして、吉津を引きずって行く。

何をどうするのかは知らないが、猫太が指導をすると何故か俺に心酔した使用人になる。

と言うか、この屋敷の使用人はほとんどが指導済みらしい。

俺なんか褒めるところなどない、普通の鬼よりは少し強いだけの鬼なのに不思議だ。

俺が望むから姿を現さない使用人達。

話したこともない奴だっている。

勿論、奴等は俺を尊敬すると同時にそれ以上に恐れているのも空気で感じている。

妖の力は他者が恐れる心が生み出す。

屋敷だと力が安定するのは使用人達の恐れる気持ちがあるからだろう。

吉津がこのまま屋敷の使用人として働くのかは分からないが、第二の猫太にならないことを願おう。

部屋へ戻り、深々とため息をつく。


「⋯⋯疲れた」


妖力を使ったからではなく、この所慣れないことばかりで精神的に参っているのかもしれない。

手についた吉津の血を見つめ、顔を歪める。

肉を引き裂き、温かな血を浴びた瞬間に体の内を満たした恍惚と愉悦。

飢えを満たされる喜びに体が震えた。

俺は鬼だ。

暴力と血に喜びを感じる鬼。

自分自身のことはよく分かっている。

それでもここ最近の穏やかな日々に忘れかけていたのだ。


『疲れた時には甘い物が一番だ』


ふいに脳裏を過ぎった言葉に息を飲み込む。

鴉丸にもらった金平糖を思い出す。

汚れている自分の手に苛立ちつつも、部屋の前に広がる庭にある池へと近付いて、手を洗った。

真っ赤になっていた手が表面上だけでも綺麗になったことに安堵した。

懐からもらった巾着を取り出し、手の平へと中身を傾けると、トゲトゲとした金平糖が転がり出てきた。

淡い色のついた金平糖を指先で摘み、光にかざす。


「やっぱり星だな」


太陽の光で輝いて見える金平糖を口へと放り込む。

舐め転がすと口の中へ広がって行く砂糖の甘さに頬が緩んだ。

甘い、美味しい、幸せ⋯⋯。

血で満たされるのとは違う、温かな感情が込み上げてくる。

無性にあの大きな手で頭を撫でて欲しくなった。

あぁ、これは、駄目だ。

俺は鴉丸に甘やかされたいのだ。

あの穏やかで落ち着いた声で、「大丈夫」だと言って欲しい。

だが、それじゃ駄目なんだ。

甘やかされることに慣れてはいけない。

俺は血が出るほどに強く唇を噛み締め、なくなっていく口の中の金平糖に目を伏せた。

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