寄り道
一ノ瀬 薫
寄り道
男は親父の墓参りに行くと言った。
この間行ったばかりなのに、と妻が不思議そうに訊ねた。
あれは法要で、今日は命日だと答えると、妻は納得したようにいってらっしゃいと送り出した。
小一時間かけて電車に乗り、霊園行きのバスの出ている駅に着くと、コンビニで水と煙草を買ってバスを待った。
ほぼ時間通りに来たバスに乗り、霊園前で降りた。
中に入ることはできたが、霊園の施設が休日だったこともあって、何かの作業をする人たちが目に入ったが、他に人は見当たらなかった。
霊園の入り口からしばらく歩いて父の墓を見つけると、男は数日前に刺した花の水を変え、墓石に水を掛け、線香に火を点けた。
「この間は忘れてしまったから、今日は持って来た」
男は煙草の封を切って、父が生前よく吸っていた銘柄の煙草に火を点け、二三服吹かして、墓前に置いた。
「最近、おふくろがボケて来たんで、ちょっとハッキリさせてくれると助かるな」
苦笑交じりにそう男は墓石に言ってみた。
しばらくぼんやり墓石を眺めた後で、煙草を消して携帯用の灰皿に仕舞うと、男は霊園の出口に向かった。
その途中、いくつかの場所で墓参りに来ている人を見かけた。
男は時々水を飲み、汗を拭いながら歩いた。
出口近くに来ると、男は戻って来た道とは違う霊園の道を歩き始めた。
少し歩いた所で男は墓の掃除をしている女性を見た。暑い日であるにも関わらず、その人は礼服を身につけて花を手向けていた。
男は通りすぎてしばらく歩き、この辺だったような気がするんだがと呟きながらある区画に入って行った。
そうして数十分も行ったり来たりしたが、途中で立ち止まっては汗を拭き、ペットボトルの水を飲み、水場で蛇口をひねって顔を洗った。
さっき見かけた女性ももう帰ってしまったようで、辺りには人気は無く、いるのは容赦ない夏の日差しの中で佇む男だけだった。
名前は見れば思い出すのだが、と男は心の中で言いながら諦めることなく探した。
前に来た時はいつだったかを思い出そうとしたが、月日が経ち過ぎてわからなかった。
今日見つけたら場所がわかるように電話に区画をメモしておこうと男は思った。
以前そこで眺めた景色を頼りに、もう一度探してみようとそれまでより奥に足を延ばしてみた。
その場所は通路の一番奥にあって、少し高い所にあって眺めは良かった。
歩きながら、記憶のどこかに残っていた通路を見つけ、それをずっと奥まで歩いて行き、墓石をみると男は忘れていたその人の苗字を思い出した。
墓碑銘で名を確かめると、フルネームが頭の中で蘇った。
亡くなった年齢を見たが間違いなかった。
「探したよ」
そう男は墓石に向かって言うと、思わず笑顔になった。
しかし、墓所は思った以上に草木が映え放題で荒れていて、どうやらしばらく人が来ていないようだった。
男は少しの間考えていたが、近くある水場に行って桶に水を注ぎ、柄杓を挿し入れ、箒を持って、墓に戻った。
そこで枯れ草を片づけ、墓石に水をかけて箒で撫でて汚れを落とした。
こんなものかなと、男は汗をぬぐいながら少し綺麗になった墓石を眺めるた。
箒と柄杓を挿した桶を傍らによけて、一本だけ線香を取り出して火を点けると、手を合わせた。
俺はもうだいぶいい年になってしまった、君は若いままだなと男は心の中で呟き、月並みなことを言ったなと苦笑いを浮かべた。
そうして、その人の姿を思い出してみたが、もうぼんやりとしか思い浮かべられなかった。
「また来るよ」
男は声に出して言った。
一つ伸びをして、男は箒と桶と柄杓を持って水場に戻り、それらを元あった所に置くと、サブサブと頭から水を被った。
そして何かに気が付いた様子で、電話を取り出すとその区画をメモした。
陽はわずかに傾いてはいたが、まだ高く、暑さが弱まる気配はなく、男は濡れた頭と顔をざっと拭いたきりで、霊園の出口に向かった。
駅へ行くバス停に着くと、そこには年配の女たちが三人ばかり待っていた。
後ろのターミナルにタクシーが一台止まっていたが、男は時刻表を見てバス停の庇の影に隠れてバスを待った。
それほど経たずにバスが来て、男は乗り込むと車内の涼しさに一息ついた。
空いていた席を見つけて座ると、窓の外を眺めた。
男は、濃い青い空に浮かぶ真っ白な雲を目で追いながら思った。
今度あの子に会いに来るのはいつになるだろうと。
寄り道 一ノ瀬 薫 @kensuke318
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