第6話 勇者は帰る

 魔法使いさんが驚愕の表情で宝箱に視線をやる。この勝負もらった!

 宝箱を思いっきり開ける。

 中から黒いもふもふとした生き物が跳びかかってきた。


「猫?」


 予想と違った。肩を踏み台にされ、反動で宝箱に顔を突っ込んでしまう。ふたが閉まった。痛い。

 宝箱から抜け出し、魔法使いさんを見上げる。焼き菓子の載ったトレーを顔の高さに上げてうつむいていた。


「あのー、魔法使いさん、あれは?」


「もふもふ、いやペットの……ライナス……です」


 魔法使いさんの様子を見る限り、ライナスがアタリに違いない。


「かわいいですね。撫でていいですか?」


 もちろんうそだ。動きが速くて黒い塊にしか見えない。一瞬だけ白っぽい帯のようなものが見えた。

 魔物の行動は睡眠、徘徊、逃亡の三つから選択できる。「睡眠」と「徘徊」は冒険者と出会ったら攻撃してくるはずなので、設定は「逃亡」。

 逃げるライナスを見回しながら、何の魔物なのか考える。素手で倒せるかな。白い帯……包帯?

 ローテーブルに乗ったライナスにお菓子入れをひっくり返された。力作が……!


「にゃっ」


 魔法使いさんが鳴いた?


 振り向くと魔法使いさんはトレーを宝箱にしまっていた。気まずそうにそそくさと立ち上がると出入口の前で身構えた。介入する気、かな?

 普通に考えれば鳴いたのはライナスだ。氷の冷たさに驚いたのだろう。動きが止まったので、その姿がよく見えた。


 ミイニャかな? もふもふしているけど。


 ライナスは氷が解けてできた水たまりをなめている。ミイニャの生息地であるピラミッドのダンジョンは砂漠地帯にある。この地域の魔物は、水を求める性質をもつものが多い。ミイニャもそうだったようだ。


 手を握りしめ、ゆっくりとライナス――ミイニャに近づく。こぶしを振りかぶる。

 ミイニャの耳がピンと立ち、潤んだ瞳が揺れた。


「うぐっ」


 だめだ。かわいすぎる……!


 つやのあるもふもふとした黒い毛。ダンジョンの暗がりで光る瞳は、今は天井から降り注ぐ淡い陽光を受けて輝いている。ミイニャの変身ぶりは、まさに魔法使いさんの手による魔法、いや奇跡だ。


 手を開いて力なく下ろすと、包帯が引っかかった。


「ニャ―!」


 包帯を振りほどき、ミイニャは魔法使いさんに向かっていく。魔法使いさんはミイニャを抱き留めようとして、こけた。に足を取られて。

 その一瞬の隙をついてミイニャは、から飛び出していく。ダンジョンのエリア外へ。


 ダンジョンは消えなかった。


 ピーヒョロロロロ……


 トンビの間の抜けたような独特の鳴き声が通り過ぎる。


 魔法使いさんは服をはたいて立ち上がると、何事もなかったかのように宝箱を開けてトレーを取り出した。


「おやおや、こんなに散らかしてミイ……ライナスったら」


 テーブルの上を片付けてお皿を置く。バウムクーヘンの甘い香りが鼻をかすめる。

 さっきの一幕、何だったの? どう見てもライナスがミイニャで、ミイニャが「敵」で、「敵」がいなくなったらダンジョンクリアの流れだよね? まさか、フェイク?


 魔法使いさんに目を向けたけど、謎めいた笑みが返ってくるだけだった。


 お茶のお代わりを入れるため魔法使いさんが何度目かの退出をする。


 完敗だ。


 ソファに力なく座る。そういえばこの暗黒ソファ、どこのダンジョンのだろう? 形は古代遺跡のダンジョンにあったのに似ているけど。しょぼい呪いがかかるやつ。うっかり座って、当時のパーティーメンバーにめちゃくちゃ怒られたっけ。


 だいたいなんで魔法使いさんとお話ししたいだけだったのに、ダンジョンを攻略させられたのだろう?


「しかたないか」


 世間と隔絶された場所で己を高めるのが魔法使いだもんね。



 バウムクーヘンを食べ終えると、早々に勇者は帰ってくれた。帰り際に「三度目は負けません」と言っていたけど、二戦目の記憶はない。勇者自身も第一印象とだいぶ違ったし。記憶障害? 思い出補正?


 勇者が近道をしたため探知魔法が侵入者を知らせてきたときには、その姿が見えていた。ドア付きの壁を設置するつもりが、あわてて何もない壁を出現させてダンジョンを完成させてしまった。窓代わりのドアがあったためエラーも出なかった。

 勇者を案内してミスに気付いたけれど、時すでに遅し。魔法で壁を破壊したため魔力切れになってしまった。思えばミイニャはその時に目を覚ましたのだろう。


 勇者には当然ながら驚かれたが「建て付けが悪く開閉時に大きな音する」と言って押し通した。ペットにすら手をあげる極悪非道な勇者でも、普通の勇者らしく押しに弱い生き物だったので助かった。だいたい押しに強ければ、魔王を倒しに出かけたり、事件に巻き込まれたり、いつの間にかハーレムを作り上げたりしないでしょう、普通。


「片付けるか」


 応接室は保ってくれたが、窓の氷がいくつかかけている。ミイニャの仕業だろう。


 ミイニャが飛び出したのにダンジョンが消えなかったのは謎だ。結局、勇者が何しに来たのかもわからずじまいだった。

 バウムクーヘンが食べたかっただけ、なのかもしれない。料理長のバウムクーヘンは、それだけの価値がある。


 ル・マンドとカ・ブキアゲの数を数えながらトレーに載せる。開封、未開封のものを足した数はあっている。さすがの勇者も持ち帰りはしなかったようだ。よかった。犯罪の証拠を渡すわけにはいかないからね。お菓子と食器をキッチンに運び、ダンジョン作成キットを開く。


「消去っと」


「にゃあ」


「ミイニャ!」


 足元にミイニャがいた。外に出て応接室を確認するが消えている。庭に干した洗濯物がはためくのが見えた。


 なんで?


 足にまとわりつかれるとふわふわとした毛がくすぐったい。


「そうか」


 アイデンティティの否定だ。


 毛を復活させられ、名前を付けられ、包帯を取られ……ミイニャという魔物のアイデンティティが少しずつ否定された結果、ライナスという別の生き物になってしまったのだろう。


「命拾いしたな」


 声をかけるとライナスは部屋の奥へと行ってしまった。まるで気まぐれな猫のようだ。

 お風呂を沸かしたり、服を洗濯したり、普段なら魔法で済ませてしまうことも、今日は魔力不足ですべて手でやらなければならなかった。慣れないことをすると疲れる。耳鳴りまでしてきたじゃないか。んっ? 耳鳴……り?


「わーっ! ライナス! マンドラゴラを引き抜くのは駄目ーっ!」




 後日、速達で届いた手紙には、奇妙な一文が記されていた。


 先日はあまりお話ができなかったので、また伺います


「というわけで来ちゃいました!」


 目の前には満面の笑みを浮かべた勇者がいる。速達と同時に来る奴があるか?

 勇者に微笑み返す。手中で手紙を燃やしながら。


「ようこそいらっしゃいました」


 仕方ないのかもしれない。常識を捨てることで強さを得るのが勇者なのだから。

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