※筆者から公開許可をいただいていますが、お話の筋に触れています。ご注意願います。
化けの皮がはがれたとき、本当の「化け物」はいったい誰だったのでしょうか――?
秋葉千晴の卒業回となる一作。タイトルが『じゃらくさま』ですので、メインストーリーは「恵比寿綾香が秋葉千晴の協力を得て、井水村の土着神を祓う話」としておきましょう。そして「秋葉千晴が、土着神の祓いを依頼された恵比寿綾香を手伝う中で、一人の人間としての自覚を得る話」というサブストーリー。この二本の柱を軸に語っていきたいと思います。
物語は土着神の祓いを依頼された祓い屋の恵比寿綾香が、井水村へと向かうところから始まります。師匠である大塚から渡された資料と地図を手に、無人駅に降り立った綾香。乏しい資料に対して、キャリーケースと釣り竿用のバッグという大荷物です。雨降る初冬、自動販売機で購入したホット飲料をカイロ代わりに歩き出した彼女は、道に迷ってしまいます。途方に暮れる綾香を助けたのは、電車内で見かけた青年――秋葉千晴でした。
ファンにとっては、ふたりの腹の探り合いをニヤニヤと眺めてしまう出会いの場面。綾香目線で語られることで、秋葉千晴という人物の本質を客観的にとらえなおす役割を持っていると思いました。
人は生きていく中で、いつくもの「顔」を使い分けている、と聞いたことがあります。自分の役割や立場、相手との距離によって異なる顔。千晴はその生い立ちゆえに、「顔」を上手に使い分けてきたのでしょう。上野恭介や神田雅弘に対しては先輩の顔、馬場陽菜乃や高田淳史に対しては幼馴染の顔……。自分の本質さえ隠してしまうほど器用に「顔」を使いこなしてきました。怪異に対する「顔」を除いて――。
千晴は綾香の前でも「顔」を作ろうとします。「行方不明の知人の捜索を兼ねて村を調査しにきた青年」という顔を。ですが綾香には通じませんでした。嘘の通じない相手に「顔」を作っても意味がありません。彼は素の自分を見せることにしました。
千晴にとって綾香は、知り合いの知り合いという遠い立場の人間です。また彼の覚悟を思えば、長期的な関係にはならないかもしれない、という考えもあったかもしれません。ただ、ここで彼が「顔」を作ることをやめた、というのは大きな意味を持つ、と思いました。
井水村に到着したふたりを出迎えたのは、綾香の依頼人である小清水稔でした。“じゃらくさま”を祀る神社を管理する地主の跡取りで、男尊女卑、学歴重視の傾向があります。文句の多そうな人物だと判断した綾香は、とっさに千晴を助手として紹介しました。手に苔むした石を持ち、靴を川で汚したとみられる依頼人。奇行に覚えはなく、“じゃらくさま”から祟られているようです。
“じゃらくさま”を祓わなければ、依頼人の祟りは解くことができません。“じゃらくさま”が祀られている小屋は、普段ビニールシートで覆われ、その下も厳重なセキュリティが敷かれていました。小屋が開かれる祭りの最終日を待つ必要がありそうです。
祭りの日程が進むにつれ、“じゃらくさま”の正体は少しずつ明らかになりなります。土着神であった“じゃらくさま”は、村人たちの歪んだ信仰を受けて、強力な祟り神へと変化したようです。神である“じゃらくさま”を祓うには、御神体を壊すか本当の名前を知る必要があります。
依頼人の稔は「“じゃらくさま”を祓う依頼をしたことが人生の中で唯一の善行」に思えてしまうような人物です。祟られていく過程を示す役割だけではなく、彼の非協力的な態度は、“じゃらくさま”を調査する綾香にとって障害になります。そこで活躍するのが助手となった千晴です。千晴は綾香の弱点を補う形で助手としての地位を確立していきますが、その途中で彼も祟られてしまいます。
七日間行われる井水村の祭り。初日の御開帳から始まり、四日目には「さかささがし」が行われます。二日目、三日目の川流しや慰霊流しに比べ独自性が高く、不信心者をあぶりだすためのイベントでした。そして、依頼人の稔が不信心者――“さかさ”として告発されてしまいます。
ここで注意しておきたいのが、「不信心者」イコール「祟られた者」ではないことです。稔の父親は家から“さかさ”が出ることを恐れている節がありましたが、実権を持つ稔の祖父は、隠蔽することをあきらめました。それはなぜでしょうか?
稔が「祟られた」こと隠す必要があったからだと思います。のちに判明することですが、“じゃらくさま”の祟りを発動させるのは人間です。そして、その方法を知っているのは小清水家のみ。その優位性を「“じゃらくさま”の祟りを扱える」と偽り、長年に渡って村を支配してきたのです。家の人間が「祟られた」となれば「祟りを扱えない」ということが露呈する恐れがあります。稔の祖父にとって稔が“さかさ”認定されことは、恥にはなりますが、大きな痛手ではなかったと思います(稔の父親にとっては違うようですが……)。
四日目の「さかささがし」の途中で、千晴はふたたび祟りに襲われます。それをきっかけに明らかとなる千晴の過去。第223話のタイトルに「Day4」の文字がないのは、ただ過去の話だからという理由ではないのでしょう。
千晴が自室に残してきた遺書は、彼の覚悟を物語るアイテムです。遺書について千晴は「俺が死んで死体が見つからずに行方不明、なんてことになったら手間でしょう? そしたら旅行先で自死したという方が楽です」と語っていますが、はたしてそうなのでしょうか?
遺書を見つけた父親と兄は後悔するのではないでしょうか? いくら千晴が、誰もが納得できるような完璧な遺書を残したとしても、彼らの心には「どうして気づけなかったのだろうか」という思いが残るでしょう。それはある意味、母親の仕打ちに気づけない彼らに対する皮肉のように思えます。
一方で母親はどう思うのでしょうか? 彼女は安心を得る、と思います。もし千晴が母親を恨んでいるのであれば、「行方不明」を選んだほうが効果的です。彼女は一生、千晴の影におびえて暮らすことになるのですから。そう考えると、遺書というアイテムが、父親と兄には「気づいてほしかった」、母親には「恨み切れなかった」というメッセージのように思えます。と、勝手に深読みしましたが、綾香が「人間の心の機微が解らん奴」と千晴を評しているので、そこまでは考えていないのでしょう。
母親から言われた言葉でオカルトに興味を持ち始めた千晴ですが、その言葉はまるで呪詛のように彼を覆いつくします。自分の正体を見失うほどに。その正体が垣間見えるのは、彼が好奇心を掻き立てられたときだけです。
怪異の専門家である綾香は、母親の言葉から千晴を解放します。
千晴の呪詛を解くことは、綾香にしかできないことだ、と私は思いました。千晴にとって綾香は、彼の好奇心を飽きさせない人物です。また「顔」を作らずにいられる相手でもあります。怪異の専門家であり、彼が顔を作らず、彼の正体を引き出してくれる相手。それが綾香だったのです。
綾香は千晴に「誰か一人でも自分の正体を知って尚、味方になってくれる奴が近くに居ればどんだけしんどい事があっても乗り切れるようになる」と言います。
千晴の周囲には、すでに幼馴染や後輩といった仲間がいます。ですが、彼は仲間に対して「顔」を作っていました。
それはなぜでしょうか?
母親のせいで誤認した自分の正体を知られることが、千晴にとって「恐怖」だから、と私は考えました。
これまで千晴は「恐怖」という感情の欠落した人間、として書かれてきました。しかしながら、起伏が乏しいだけで、彼にも感情があることが今回の話で分かります。素の自分を見せる、というのは勇気がいるものです。「顔」という盾のない状態で他者から拒絶されたら、傷は浅くはないと思います。「顔」を作るということは、自分を守る一つの術でもありました。
素の自分を見せる上で、綾香は千晴の良いお手本になるでしょう。彼女は自分が祓い屋であることを隠さず、自分を抑えることはあっても、偽ることはしません。綾香が千晴の「抱えた見えない物を一緒に支えてくれる」相手になるのかは、今後の楽しみですね。
自分の正体を忘れた“じゃらくさま”と自分の正体を忘れ千晴。
素の自分を隠してきた千晴と素の自分をさらしてきた綾香。
作中には二つの対比が込められているのだな、と思いました。
綾香の話を聞き、千晴は意識的に自分の感情を捉えるようになります。自分が怒りっぽいこと、短気なことに気づき、祟った人物にちょっとした仕返しをします。
素直。素直です。意地の悪い仕返しでしたが、さっそく自分に興味を向ける行いをするところは素直です。心は母親との一件がある以前の幼少期のまま、変わっていないのかもしれません。
依頼人の稔と連絡が取れなくなり、綾香の依頼は稔の祖父によって終了を言い渡されてしまいます。“さかさ”認定された稔の行く末に不穏なものを感じた千晴と綾香は、調査を続行します。その結果、稔の祟りが強力なものであったことが分かります。殺意を持って稔に祟り仕掛けた犯人は、自身も祟りを受け、綾香に助けを求めます。ですが綾香はそれを断りました。
綾香と犯人の会話シーン。『檻の中の妖怪』編の陽菜乃にも見られた、作者の正義感が込められている気がします。陽菜乃も綾香も、芯のある強い人です。綾香は物理的にも強い。
強さを持つ彼女たちは、弱さに対して、弱い立場にいることに怒っているわけではありません。「弱さを理由に己の行動を正当化すること」に怒っているのです。その「己の行動」が他者を害する行為であるから怒っているのだと思います。
第233話ラストの演出には、にやりとさせられました。
祭りも終盤に差し掛かった六日目。シリーズ中に何度か出てきた「あの行い」が登場します。ルーツは井水村なのか、彼女は何か願ったのか……後者については謎のままですが、前者の謎はいずれ明かされることを楽しみにしておきましょう。
最終日。いよいよ真実が明らかになり、すべての「化けの皮」がはがれます。
辞書によれば「化けの皮」は「正体や真実をつつみかくして、なかみをごまかすためにかざっている表面」のこと。「化けの皮がはがれる」は「かくしていた正体があらわれる」という意味です(三省堂『現代新国語辞典 第五版』より)。悪い意味で使われることの多い言葉ですが、その正体を悪いものと限るという記述はありませんでした。
では、それぞれの正体について考えてみましょう。
神としての本質をゆがめられ、祟り神としての「皮」をかぶせられた“じゃらくさま”。
母親の言葉を起因として塗り固めてきた「化け物」としての「皮」を「顔」で隠していた秋葉千晴。
祟り神におびえる善良な住民の「皮」をかぶった村人たち。
化けの皮がはがれたとき、本当の「化け物」はいったい誰だったのでしょうか――?
ここからの展開は衝撃すぎて、どう語ってよいのかわかりません。ですが、千晴が依頼人の弟から言われたあの言葉。また千晴が元の状態に引き戻されてしまうのではいか、とハラハラさせられました。
“じゃらくさま”の猛攻に苦しむ綾香に代わり、千晴は“じゃらくさま”の本当の名前を探りに小屋に入ります。千晴の背後に迫る“じゃらくさま”の姿。通信不良気味の無線機に向かって綾香は「いいか千晴! 絶対に! 振り返るな!」と叫びます。
はたして声は届いているのでしょうか?
綾香の声が届きさえすれば、千晴は絶対に振り返らないだけに、彼女の後悔の深さを感じました。
初日で依頼人の稔が持っていた苔むした石。千晴は綾香から「触るな」と言われて、素直に従っています。また母親との約束を十年間も破らずにいました。このことから、千晴は約束を守る人なのだと考えました。
千晴が本当の「化け物」と対峙するシーン。彼は「化け物」の「顔」を作っていただけだ、と私は思います。なにせ千晴は器用に「顔」を使いこなしてきたのです。半分ぐらいなら、綾香も騙せるときがあるのではないでしょうか?
七日間にわたる長い祭りが終わり、物語も終わりを迎えます。
タイトルの『晴天』は実際の天気と二人の心中を表しているようで、とても晴れやかな気分になりました。続く『extra)一体誰なんでしょうか』では、“じゃらくさま”が祟り神になった発端や、気になるその後にも触れられています。伏線回収に加えてホラーな終わり方……いいですよね!
「さかささがし」のあった四日目。千晴の本質に触れることに対し、筆者は近況ノートで「覚悟のいる回でした」と書いています。
「何を考えているか解らないけど味方らしい先輩として生かしていくのか一人のキャラとして人間味を与えていいものか結構悩みつつ書きました」
私は人間味ある秋葉千晴という一人のキャラクターのほうが好みです。
『倉庫C』編で千晴は後輩の神田雅弘をあえて騙します。騙す前の二人が倉庫に向かうシーン。雅弘の目から見て、珍しく慌てふためく千晴の様子が書かれています。
『倉庫C』編を読み終え、私は「あの慌てていたシーンも演技だったのかな?」と疑問に思いました。そして「違うといいな」と思っていました。さらに言えば「違うのに雅弘から誤解されていたら面白いな」と考えていました。
それに千晴なら「何を考えているか解らないけど味方らしい先輩」でなくとも「味方にしたら心強いけれど、敵にしたら怖い先輩」で、十分に魅力的だと思います。
うれしいことに、筆者は千晴が主人公のミステリー作品を書くつもりだそうです。
楽しみです。
……蛇足になりますが、カメラの電源を切るのがあのタイミングなのは、わざとでしょうか? おそらくですが、向かいの席に座る綾香の寝顔も撮影されているのでは?
それはさすがに盗さ……。
【追記】2024.11.19
すみません。なんか読み間違えていた気がします。
「不信心者」イコール「祟られた者」、だと思います。
本来の“さかさ”候補が出てきていないため、「イコールじゃない」と考えてしましました。“さかさ”候補が千晴だった、とは考えにくいので。
村人たちからすれば「不信心者だから“じゃらくさま”に祟られた」という構図だから、あえて隠す必要はなかったのだと思います。