水平線の向こう側
色葉みと
水平線の向こう側
僕が彼女に抱いた最初の印象は「綺麗な人」だ。
腰辺りまで伸びた美しい黒髪、ぱっちりとした黒い瞳。微笑む姿は全てを
そんな姿に僕は見惚れていた。
まあそれは彼女の放った一言によって
「君、友達いないの……?」
「も、文句あるかっ!」
なんだこの人。失礼な。
人が気にしていることをずばずばと言って……。僕が気に病んだりしたらどうするつもりなんだ!
「ご、ごめんね! き、君にはきっと素敵な友達ができるよ!」
……謝ってくれた。まあ、許すか。実際僕に友達はいないし。
というか、いつも遠巻きにされている僕に声をかけるなんて変な人だな。
「……君じゃない。アリスだ」
気づいたらそんなことを口走っていた。
……なんでそんなに嬉しそうなんだ? 目を輝かせて笑うほどのことだったか?
「アリスくん……! ありがとう! わたしはリリだよ。よろしくね」
「……よ、よろしく。それと、呼び捨てでいいから」
「うん、わかった! よろしくね、アリス」
なんだかんだで気が合った僕らは、この時から毎日のように話すようになる。この関係をなんと呼ぶのか、それは正直よく分からない。
***
「アリスー! 助けてー!」
リリ……、今日はまた何をやらかしたんだ? 泳げないのに川に飛び込んだのか、できるふりして無理難題を引き受けたのか、はたまた売り言葉に買い言葉で喧嘩でもしたのか。
そんなことを考えながら助けを求めている声の方へ歩き出す。
……絶対リリだ。
僕が見つけたのは、人間の下半身が出ている壺。大方、壺の中身が気になって頭から突っ込み抜けなくなったのだろう。
「……引っ張るぞ」
「お願いします……」
リリの腰を掴み、だんだんと力を入れながら引っ張る。……思ったより腰が細いなんてこと、今は置いとくんだ僕。
どこからか痛がる声も聞こえるが、それに構う余裕はない。
「後、少し…………うわっ!?」
壺から抜けた反動で真後ろに倒れ込んでしまった。しかもリリを抱きかかえる形で。
女性らしい細くて柔らかな身体、自分より少しだけ高い体温。一度考えてしまったらもう止まらない。
だんだんと頬に熱が集まってくる。頼むから今はこっちを向かないでくれ……。
「ありがとね、アリ、ス……? ……なーるほどね! 可愛いねー!」
「う、うるさいっ! こっち向くなっ! ……だいたい、どうして壺に入ってたんだ?」
さっきの空気のままでいたら大変なことになっていた気がするから……。
「おや? 露骨に話を逸らしたね? まあ今回は逃がしてあげるけど。壺はね、中にきらきら光る何かが見えたから取ろうと思って……」
「で? 結局何か入ってたのか?」
「……何も入ってなかった。見間違いでした……」
やっぱり。それで抜けなくなっていたのか。
「……これに懲りたらもう壺なんて入るなよ?」
「で、でも、もしも抜けなくなってもアリスが助けてくれるでしょ?」
それはまあ助けるだろうけど……。
でも、それとこれとは話が別。
「だからといってもう二度と壺に入ろうとしないで」
「……は、はい。……これじゃあどっちが年上か分からないじゃん!」
リリは16歳で僕よりも2つ年上だ。
……いつもリリが何かをやらかして僕がその尻拭いをしているけど。
「精神的には僕の方が上なのかも?」
「うぐっ、否定できない——」
そんなこともありつつ、楽しい日々はあっという間に過ぎていく。
***
「ねぇアリス。わたし、もうここには来れない」
そう言われたのはリリと出会ってから1年が経った時。
「……ど、どうして?」
「ずっとずっと遠いところに行くから」
遠いところ……? 遠くても会いに行けるところ、だよね?
「遠いところって、どこ……?」
「うーん、……水平線の向こう側、かな」
水平線の向こう側って、あの……? 世界の境界である水平線の……? 水平線の向こう側に行ってしまうと、世界から落ちてしまうのに……?
「リリは、世界からいなくなるの……?」
「…………わたしは水平線の向こう側で待ってるから、またいつか会おうね。ごめんね、もう行かないと」
「や、約束だよ……! 絶対に行くから、また会おうね」
「……うん、約束。またね、アリス」
悲しいとか苦しいとか、そんな感情を隠すようにリリは笑った。——世界からいなくなることを、否定も肯定もせずに。
次の日もその次の日も、いつもの場所にリリはいなかった。
来れなくなったのなら僕が会いに行けばいいよね。だから、水平線の向こう側に行く方法を探そう。
***
リリと別れてから6年が経ったある日の夜、それに気づいてしまった。
「月が食べられていく……」
誰かがそう表現したのは月食と呼ばれる現象。これを見るのは数回目だが、どうして月に丸い影が映るのだろうと毎回不思議に思う。
太陽が関わっているのだろうけど……、影……、どうして丸い影が……。
————この世界が丸いから?
平面ではなく、世界は球体? もしもそうならば色々と辻褄が合う。
水平線の向こう側はずっとずっとこの世界が繋がっているのか?
なら、あの時リリが言ったのは……。
「嘘」そんな言葉が脳裏をよぎる。そうじゃないと否定しようにも、それ以外の仮説が見当たらない。
水平線の向こう側は、この世界に存在しないのだから。
「……やっぱりリリの方が年上だったよ」
今だからこそ分かる嘘の優しさを噛み締めて、僕は水平線の向こう側を思い浮かべていた。
***
この世界が球体だと気づいてからしばらくが経った時、手紙が届いた。いつの間にか僕の部屋に置かれていた不思議な手紙。
差出人は、——リリだった。
『アリスへ
そろそろ水平線の向こう側の意味が分かった頃かな? ……そう、この世界に水平線の向こう側なんてものはない。世界が、海がずっと続いているだけ。私もそれは分かってた。……嘘ついてごめんね。
本当は、もう二度とアリスとは会えない。わたしとアリスとじゃ、生きている世界が違うから。……いや、生きている時代が違うって言った方が分かりやすいかな。
まあそんな感じで、実はわたし、未来から来たんだよね。……なんて、信じてくれるかな?
ごめん、もう書き終わらないといけない時間みたい。だから、最後に。
出会ってくれて、話してくれて、友達になってくれてありがとう。
あなたの親友、リリことリリオン・テレスより』
友達……そっか。僕とリリは友達なのか。あの関係が友達というものなのか。僕の初めての友達、初めての親友に、感謝の言葉を贈りたい。
リリが未来にいるのなら、未来でも記憶されているくらいの人になろう。そうしたらきっと、気づいてくれる。
幸い、学問は得意だから。極めて極めて、この先にいるリリへ届くくらいに記憶される学者になろう。
リリ……、リリオン・テレス。待っていて。
***
XXXX年後、アリストテレスが書いたという手紙が発見される。
宛先は——リリオン・テレス。アリストテレスの親友とされる人物だ。
そのニュースを見た黒髪の少女は涙を流したという。「届いてるよ、アリス」そう呟きながら。
水平線の向こう側 色葉みと @mitohano
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