開かずの扉(2)

 とはいえ翌日。休まなければいいだろうという気の緩みから、起きたのは一時限目が始まった頃だった。

 焦るのも馬鹿らしく、しっかり朝食をとってのんびりと登校すれば、ちょうど授業と授業の狭間。休み時間のタイミングぴったりに到着した。既に黒板には係や委員会などの一覧が記載されており、下田が優雅な朝を過ごしているうちに全てが決まりきっていた。

「あ、下田くん!」

 月守はまたぱっと顔を輝かせてこちらに駆け寄ってくる。

「下田くんは保健委員になったからね」

「は?」

「だって勝手に決めていいって言うから、推薦しておいたんだよ」

「なんで」

 黒板を見ると確かに、保健委員と書かれた文字の下に下田の名前があった。

「大丈夫! 保健委員は多分仕事が一番少ないから、そんなに授業とかにも支障は来さないと思うよ」

「いやそうじゃなくて、なんで俺を推薦してるんだ。俺以外のやつらで決めればいいだろうが」

「ほら、居場所は少しでも多い方がいいじゃない。学校に来て、保健室でサボったっていいわけだし」

「お前がそれを勧めるなよ」

 どうやら拒否権はないようだ。会話をしているうちに休み時間は終わり、授業開始のチャイムが鳴る。下田は教室窓側一番後ろへ。月守は廊下側から数えて二列目の最前列へと戻っていった。

「では先ほど話した通り、これから校舎案内の時間になります。各班、先輩の言うことをしっかり聞いてついていくように」

 担任の説明に従い、廊下で待つ上級生たちの元へ皆が散らばって行く。そんな中、月守はまたも下田の席の前まで来て、

「下田くんはおれと一緒の班だからこっちだよ」

 と、教室の後ろの扉付近を指し示した。

 昨日、説明など受けずともどうにかなるといった旨を言い放った手前ばつが悪く、大人しく月守についていく。

 クラスメイトは月守の他に三人いた。このクラスは全部で三十名いるから、おそらく五人ずつで六班に別れているのだろう。結局月守が書いたノートにはまるで目を通さなかったので、名前と顔が一致しない。月守はそれすらお見通しというように、下田の隣に来て耳打ちをした。

「そっちにいる男の子が遠野隆臣とおのたかおみくんで、ツインテールの女の子は鈴木深梁すずきみはりさん。もう一人の女の子は田村仁架たむらひとかさんだよ」

 さらりとフルネームを言ってのける。下田は今目の前にいる三名すら覚えられたか不安になるくらいなのに、たったの一日で月守はクラスメイトの名前を全て覚えたらしい。ノートに書いてあったことは恐らく既に月守の脳内に記憶されていることなのだろう。

 よほど記憶力がいいのか、あるいは必死に覚えたのか。

「改めて、新入生のみんなこんにちはー! この班の案内を担当する、二年B組の牧田まきたと」

「……白井しらいです」

「よろしくねー!」

 下田たちも班の輪の中に合流すると、三班担当と書かれた名札を首からぶら下げて、上級生二人が挨拶をする。一人は髪を茶色く染め快活に笑う牧田という男子生徒で、もう一人は大人しそうな、黒髪セミロングの眼鏡をかけた白井という女子生徒だった。

「校内はそこまで広いわけじゃないけど、中学の時よりは色々教室が増えてるんじゃないかな。初めて見る施設もあると思うから、俺たちで順番に説明しながら回っていくね」

 牧田が率先して会話を進める。周りの班の上級生たちの声も所々から聞こえてくる。

「白井、俺たち四階からでいいんだっけ」

「うん。理科室から」

「了解」

 どうやら回る順番は班ごとに決まっているらしい。階段を下る班もいれば、同じ階にある職員室の方へ向かう班もいる。

「じゃあ新入生諸君、まずはこっちの階段を上がって理科室に行こう」

 先頭は牧田、次いで遠野と鈴木がついていく。二人はもう馴染みはじめているようで、牧田とたわいない会話を楽しんでいた。そして田村は白井とぽつぽつと話をしていた。こちらはこちらで波長が合ったらしい。後ろの方を少し離れて、下田と月守がついていく。

 大きな窓がある開放的な踊り場を挟んだ階段を、四階まで上がる。階段を曲がってすぐの教室が並ぶ廊下は、窓から光が差し込んでいて明るい雰囲気が広がる。

 廊下を歩きながら、何か視線を感じて横を見ると、月守は嬉しそうにこちらを見ていた。

「なんだ」

「ううん。来てくれて嬉しいなって思って」

 ふわりと髪を揺らして微笑む。

「そんなに猫のこと言いふらされるの嫌だったの?」

「真っ赤な嘘だからな」

「そうでもないよ、だってきっと本当に捨て猫がいたら、下田くんは拾ってあげるだろうし」

 今にもスキップを始めそうなくらい楽しそうに、月守は言う。

 月守の中で自分は過大評価されすぎている気がする。そこに至るまでの理由が全く見当もつかなくて頭を捻る。思えば初対面の時から既にこうだった気がする。こういう奴なのだろう、ということにしておいた。

 理科室や音楽室、二年生三年生の各教室などを回って、軽く教室内も巡る。やはり古いつくりだからか雰囲気がある。天井のライトは蛍光灯ではなく吊り下げ式の白熱灯で、窓の光で今は明るいが、カーテンを閉めてしまえば薄暗い。窓の光も白熱灯の灯りも届かない廊下の端の方へ行けば行くほど、薄暗く、不気味な雰囲気が立ち込める。

「うちの学校古いから、もしかしたら床とか抜けちゃったりしてね。だから力いっぱい走るのは禁止。廊下は走るなって規則はどこより厳しいかもね」

「え、怖い。抜けたことあるんですか?」

「いやあ、俺はまだ見たことないな」

 前の方で牧田と鈴木が話しているのが聞こえた。恐ろしい話だ。時たま、ぎぃと鳴る床板が落ちる前触れのように聞こえて、下田は心持ち優しめに足を下ろすよう意識した。

 二階の一年教室前まで戻ってくると、他の班と鉢合わせた。

「あれ、牧田たちもう終わったの?」

「いや、まだこれから一階」

 二年生同士で和気藹々と何事かを話し、少々盛り上がっていた。

「そういえばお前らあそこ行く?」

「え、あれって回るんだっけ」

「俺たち一応行ったよ」

「じゃあ今から行ってくるわ」

 その会話を聞いていた白井が少し眉を顰めた。

「牧田、本当に行くの?」

「ちょっとだけだって」

 牧田は特に気にする様子もなく一階へ続く階段を降り始める。

「あそこってどこですか? なんかあるんですか?」

 遠野の質問に牧田は、内緒話をするように声を潜めて続けた。

「うちの学校さ、開かずの扉があるんだよ」

「え、なにそれ怖いです」

「大丈夫大丈夫。夜じゃなきゃあんまり話は聞かないから」

「……話ってなんのですか」

「決まってるじゃん……幽霊が出るって噂だよ」

「きゃああ!」

 鈴木たちが悲鳴を上げると牧田が腹を抱えて笑い出す。

「噂だからそんなに怖がらなくてもいいよ! 昼間は意外と明るいんだ」

 一階の保健室を過ぎた廊下の、さらに奥。そこには誰も開けたことのない部屋がある。

 開かずの扉へ続く廊下の窓は、ここだけが何故か青空を象ったステンドグラスのようになっていて、窓を通った光が反射して廊下を真っ青に染めている。

「綺麗……」

「何故かここだけ窓が違うんだよね。何でか知らないけど」

 青が反射して、七人の体も青く染まる。幻想的な光景に目を奪われ、それぞれが窓や反射を眺めながら進んでいく。しかし、しばらく進むと埃っぽい臭いが充満して息を吸うのも躊躇われるほどになった。

 それは一気に不気味な雰囲気を連れてくる。

「ここだよ」

 他の扉よりさらに古い。というか、手入れがされておらずぼろぼろだった。ドアノブの金属部分は錆び切っており、木屑が足元に散らばっている。扉の端には埃が溜まっていて、しばらく開けられた形跡はない。

「……」

 沈黙が降りる中、息を呑む音が聞こえた。

「何だお前、怖いのか」

 月守が扉の方を見つめて、怯えたように瞳を揺らしていた。

「……い、いやぁ、不気味だな、って」

 なんとか言葉を紡いで不器用に笑顔を作ると、月守は扉から少し離れた。

「なー、不気味だよな? 大丈夫ってわかっててもちょっと雰囲気あって怖いんだよ、ここ。まあ、授業でここらへんに来ることはまずないし、気にしなくていいよ」

 すると突然、がたがたと扉が鳴る。

「やっ……なに……」

 鈴木が肩を揺らして驚き、田村も怯えたように固まった。

「あはは、びっくりした?」

 扉の前にいた牧田が、後ろに回していた手を広げて戯けて笑う。どうやら牧田が悪戯でドアノブを回したようだった。

「脅かさないでくださいよ先輩」

「牧田、悪ふざけはよしなさい」

「ごめんごめん、脅かしすぎた!」


 ——その時だった。

 もう一度、今度は先ほどよりも大きな音が廊下に響き渡る。鈴木は今度こそ大きく悲鳴を上げ、田村は耳を塞いで蹲み込んだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「田村さん!」

 田村が唱えるように何度も同じ言葉を繰り返す。白井が支えるようにしながら牧田を睨んだ。

「牧田! いいかげんに、」

「え……お、俺じゃないんだけど」

「あんた以外いないでしょ。新入生泣かせてどうするの!」

「本当に違うって!」

 弁明するも全く信じてもらえない牧田は狼狽えるが、下田は確かに見ていた。音が鳴った時、牧田の手は扉には触れていなかったのを。

「やだやだ、はやく戻りましょうよ……っ」

 鈴木まで泣き出してしまって本格的に困ったのか、何度も謝りながら扉から離れた。怯える田村を白井が支え、遠野も小走りで牧田についていく。下田もそれに倣ってついていこうとしたところで、月守が動かないことに気付いて振り返った。

「……おい、戻るって言ってるぞ」

 月守は扉をじっと見つめたまま、立ち尽くしていた。後ろ姿で表情は見えない。少し訝しく思って肩を叩くと、はっとしたように振り返る。

「ごめん、行こう」

 月守は眉を下げながら笑って牧田の後ろをついて走る。

 一体どんな表情であの扉を見つめていたのだろう。ほんの少しだけ、そんなことが気になった。

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