開かずの扉(3)

 オリエンテーション二日目、田村が学校を休んだ。あの後少しだけ例の扉の件が話題になって、扉付近にはあまり近付かないようにと注意喚起がなされた。

 もちろん幽霊が出るからといった理由ではない。整備が行き届いていない場所、しかも人気がなく何かあっても気付かれにくい死角であることから、用のない限りできるだけ行かないように、とのことだった。

 今日の天気は生憎の雨。じめっとした空気が纏わり付くようで、教室も薄暗い。

 そんな中で説明されたオリエンテーションの内容は、学校の周りを回って写真を撮りつつ、マップを作るというものだった。昨日と同じ班分けで各班がマップを作ることになっているので、下田たちの班は四人で進めなければいけない。今日に限ってこの天候な上、田村のこともあり鈴木はどこか暗い表情を浮かべていた。

「……ねえ、田村さん、大丈夫かな。呪われちゃったりとか、してないよね」

「まさか、考えすぎだよ」

 遠野が諭すが、鈴木の表情は曇ったままだった。

 太陽の光が当たらなければどこもかしこも薄暗い校内。不気味さが増した廊下を歩いて昇降口へ向かう途中、下田は何気なく、あの扉がある方へ目をやった。

 ステンドグラスの青空が遠目でも目立つ。呪いなど信じてはいないが、曲がらなければ見えないあの扉のことを想像すると少しだけ背筋に冷たいものが走るような感覚がする。

 雨の日でも美しく輝くステンドグラスの青空は、あの扉へと誘うようにも映った。


 色とりどりの傘が各方面へ散らばっていく。さほど広い範囲ではないので、他の班の姿があちこちに見える。

 下田たちの班は近くの公園へ入った。雨のお陰で水を弾く植物が一層美しく見える。

 学校から貸し出されたデジタルカメラで、月守は植物や公園全体、周りの道などを撮影していた。

「見て鈴木さん、雨も綺麗に映るよ」

「……わ、本当だ。月守くん写真撮るの上手いね」

「鈴木さんもやってみて!」

 カメラを渡された鈴木は月守に言われるがまま構えた。一枚、二枚と撮っていく。

「すごい! この写真使おうよ」

 月守は鈴木の手元を覗き込んで笑う。それに釣られたように鈴木も少しだけ笑って、

「月守くんのも使おう。これと、これ並べたら周りの様子もわかりやすいかも」

「いいねえ」

 それから遠野にもカメラが手渡され、順番に色んな場所を撮った。

「下田くんも、ほら」

「……俺はいい」

「いいからほら、一枚だけ」

 月守に半ば無理やり持たされたカメラを、仕方なく構える。あれだけ三人で撮っていたのだからもうあらかた写しただろうに、と思いつつも、被写体を探す。

 目に止まった名前も知らない花を一枚だけ撮ってから、月守にカメラを返した。

「……かわいいね」

 写真を見て、下田の方を見ながら言う。

「どういう意味だ」

「んー? そのままだよ。これも使おう!」

 揶揄うような、楽しそうなその笑顔を下田は見逃さなかった。どうも自分は月守に遊ばれているような気がする。微妙に納得のいかないままに、先を行く月守たちに大人しくついていった。


 しばらくするとそれぞれの班も写真を撮り終えて手持ち無沙汰になったのか、班の境が曖昧になってきた。少し遠くまで行っていた班も公園まで戻ってくる。

「せっかくだしみんなで写真撮ろうよ!」

「賛成! 変顔とかしよー」

「どうせ撮るならあっちの方がよくない?」

 大多数が盛り上がりはじめる中、輪の中に入る気もない下田は、雨のあまり当たらない緑廊の方へ移動した。

 こういう空気は何だか苦手だ。ピースをしたり変顔をしたり、変なポーズで写真を撮り始める集団を見ながら眉根を寄せる。

 何人かがこちらに視線をやる。緑廊にいるのは下田だけだ。他は皆公園の真ん中に集まっている。どうせ空気が読めないとか、付き合い辛いやつだとか思っているのだろうと、特に何を言われているわけでもないのに自然に浮かんでくる台詞に一層眉間のしわを濃くした。

 実際のところ、客観視してみると全くその通りだ。集団に混ざらず不貞腐れたような顔で遠くにいる人間に関わろうだなんて、誰も思わないだろう。

 盟静高校は、中退する生徒も少なくないらしい。勉強についていけない者や、クラスに馴染めない者から、段々と学校に来なくなり、やがて。

 自ら選んだ道ではあるが、このまま一人を選んだ時、自分もその道を行く可能性があることに少し気が滅入る。何より親に顔向けできない。できれば中退だけはしたくないものだ。 一人でいるのは楽だが、なかなか難しい。悩むくらいなら輪の中に入ればいいと誰かが囁く。しかしあの中に入りたいかと言えば、それもまた違って。

 今日来なかった田村もそうだ。田村も集団を好むタイプには見えなかった。鈴木は心配していたが、同じ班で原因となり得る瞬間に立ち会ったからだろう。他に田村を心配している人間は一人もいなかった。休んだ理由は知らないが、明日も来なかったら、多分明後日も来ることはないだろう。なんとなくそんな気がした。

 依然、雨は降り止まず、それどころか勢いを増してきている気さえする。

 つまらない考えばかりが脳を埋め尽くしていく。このまま帰ってしまっても雨に紛れて気付かれないのではないだろうかと思案していた。

「下田くん」

 突然、目の前に黒い傘が現れる。傘に当たって弾ける雨音が聞こえなくなると、その傘はそっと横にずらされて、月守が顔を覗かせた。

「また一人だね」

「……お前はあっちにいろよ」

「おれ、写真撮られるの苦手なんだよね。だから一枚だけで勘弁してもらった」

「……そうかよ」

 広場の中央では飽きずにまだ写真を撮り続けている。グループに別れたり、男女でそれぞれ集まっていたり。緑廊の下は、まるで世界から切り取られたかのように静かだった。

 月守だけが、下田の世界へ足を踏み入れている。

「心配? 田村さんのこと」

「……別に」

「下田くんのこと段々わかってきたよ。わかりやすいから」

 見透かしたような、いたずらっぽい笑み。

「明日田村さんが来たら、話を聞いてみるよ」

「話って、何の」

「体調はどう? とか、そういう普通のことを」

「まず、明日も来るかどうかわからないだろ」

「そうかな。おれは来ると思うな」

 傘をくるりと回しながら、下田より少し低い位置から見上げてくる。

「田村さんも真面目でいい子だからね」

 微かに眉を下げてそう言った。

「だから、明日は話をするよ」

 大きな黒い傘が、再び月守の顔を隠す。

 雨は未だ降り止まない。それでも少しずつ、弱まってきていた。

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