第二十六話(最終話)

§



 わたしが実家に攫われて――救い出されてから、数日が経ちました。


 時明かりがわずかに窓から差し込んだような気がして、わたしは顔を上げました。

 どこからか鶏の鳴き声が響いてきます。


 かたんっ。


 玄関から音が聞こえたような気がして、わたしは慌てて立ち上がり、部屋を飛び出します。階段を下りていくと、ちょうど旦那さまが革靴を脱いでいるところでした。


「お帰りなさいませ、旦那さま」

「寝ててくれと言ったのに起きていてくれたのか。ありがとう」


 微笑む旦那さまはどこかげっそりしています。スーツにもうっすらと皺が入っていました。

 しかし、それもしかたないと思います。

 村田さんと飲みに行かれていたのですが、こんな時間まで帰してくださらなかったとは。夜を通り越して、もう、朝です。


「村田さんは、何と仰っていたのですか?」

「一旦は引いたけれど、生涯追い続けると言われたよ。僕のことを」


 新聞記者である村田さん。

 当初は旦那さまのことを替え玉だと決めつけて新聞記事にしようとしていましたが、どうやら、を変えたようです。

 ここまで来ると、村田さんの執着には、恐れ入ります。


「それから。里見家のことは記事にしないと約束してくれた」

「……よかったです」


 わたしは胸をなでおろします。


 里見家は昔でいう取りつぶしこそ免れましたが、お父さまは桜花院一族が経営するとある企業で働くことになりました。

 市佳さんとお義母さまは故郷へ帰られたようです。

 詳しいことは、聞かされていません。


「僕のことは、ゆくゆくは伝記にでもしてくれと返しておいた」

「伝記、ですか」


 旦那さまらしい対応です。

 いずれは大臣、もしかしたら首相になるかもしれないのですから。それはそれで、村田さんも追い続ける甲斐があるというものでしょう。


「やちよ」

「はい」


 旦那さまがわたしを手招きするので、一歩前に進みます。

 すると、旦那さまは、わたしの額に口づけを落としました。


「!」

「悪いけれど少し寝かせてもらうよ。朝食は取っておいてくれ」

「……はい。おやすみ、なさい」


 とはいえ、旦那さまはしっかりとした足取りで、二階へと上がっていきました。

 自室へと入り、静かに扉を閉めます。


 いつの間にか。

 朝の光が、燦々と玄関を満たしていました。




【僕は宝石病から回復したんじゃない。まだ、呪いは身の内にくすぶっているんだ】




 わたしは旦那さまが市佳さんへかけた言葉を思い出します。

 それから、わたしへ語りかけた言葉も。


【呪うだなんて、そもそもそんなことができる訳、……ない】


「……」


 わたしは首を左右に振ってキッチンへと向かいます。

 旦那さまがいつ起きてきても、いいように。



§



「本当にご迷惑をおかけしました!」

「無事に復帰してくださってうれしいですよ」


 半月ほど経って、ようやく、幸子さんが復帰されました。

 復帰日のメニューは決まっています。わたしは、幸子さんが買っていた粉末カレーを取り出しました。


「今日はカレーにしましょう」

「奥さま……! ありがとうございます……!」


 じゃがいも、にんじん、たまねぎ。

 立派な根菜を大きく切り、炒め、しっかりと火を通していきます。

 それから赤身の濃い牛肉も、根菜と大きさが揃うように切って、別で焼いてから鍋に投入。


 カレー粉末を入れれば、さらに食欲をそそる香りが際立ちます。

 ちょうどよく具材が煮込まれてきたところで、呼び鈴が鳴りました。わたしはぱたぱたと玄関へ駆けていきます。


「ようこそいらっしゃいませ」


 玄関には西園寺姉弟が立っていました。

 内藤さんは形のきれいなワンピース。

 西園寺さまは、いつもの焦げ茶色のスーツに帽子姿です。


「邪魔するぞ」

「お邪魔します」


 おふたりは並ぶと本当にそっくりです。特に、意志の強さを示すような眉毛の形が。

 西園寺さまの眉と鼻がぴくりと動きました。


「今夜はライスカレーか。門の外までスパイスのにおいが漂っていたぞ」

「コロッケを買ってきました。カレーと一緒に食べましょう」

「ありがとうございます、内藤さん」


 内藤さんから温かな紙袋を受け取ります。中には人数分の揚げ物が入っていました。

 西園寺さまがわざとらしく溜め息を吐き出しました。


「しかし、厄介なのに好かれたな」

「村田さんのことですか?」

「違う。唯月のことだ」


「呼んだかい?」

「きゃっ!?」


 突然旦那さまが現れて、驚いたわたしの背筋が伸びます。

 旦那さまがわたしを引き寄せました。近頃では、すぐにされてしまいます。


「だ、旦那さま?」

「やちよは僕の命の恩人だからね」

「ふん。その話は聞き飽きたし、実際に見ていたから知っている」


 西園寺さまが、先ほどよりも大きな溜め息をつきます。

 さらに被せるようにして、内藤さんが無表情でわたしを見つめました。


「ご愁傷様です」

「内藤さん……? それは一体どういう……」

「言葉通りの意味です」


 わたしが戸惑っていると、旦那さまはさらにわたしを抱きしめてきます。


「ふたりとも、あまりやちよをいじめるのはやめておくれ」


 どうやら真っ赤になっているわたしを見て、西園寺姉弟は声を揃えて言いました。


「「いじめているのは、どちらだ」」



§






 和館は、とても静かです。

 今はもう何も置いていませんが、すべてはここから始まりました。

 初日の、すべてを諦めていた感情は、まだ胸の中に残っています。


 ――わたしは生きていてはいけないのだと、信じ込んでいました。

 ――わたしの居場所は世界のどこにもないのだと、疑っていませんでした。

 ――死ぬことでようやく生きる意味が見出せると、思っていました。


 それを打ち砕いてくれたのが、桜花院家での日々でした。

 髪の毛は艶をたくわえ、肌はみずみずしさを覚えました。

 背筋を伸ばすことの大切さを、知りました。

 いいえ、それだけではありません。


 立ち向かう、ということを教えてくれたのは。

 他でもなく旦那さまでした。




 とうとう今日は、わたしたちの結婚披露宴です。




 目まぐるしい一日となりそうです。だからこそ、この場所に来ておきたかったのでした。


「ここにいたのか、やちよ」


 旦那さまが和室の入り口から声をかけてきました。


「ヘルマンが今こちらに向かっている。予定通り、サイズ調整したドレスを持って」

「はい」


 旦那さまはわたしに近づくと、髪の毛に触れました。


「間もなく髪結いさんも来てくれるはずだから、洋館へ戻ろう?」

「はい。今行きます」


 わたしは旦那さまに続いて和室を後にします。


 前庭では秋桜の花が咲き誇っています。

 桜花院家に嫁いで、三回目の秋です。






          完






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登場人物たちの人生は続きますが、物語はこれで終わります。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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呪いで余命半年の旦那さまへ嫁入りしました。身代わりとなるため。 shinobu | 偲 凪生 @heartrium

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