3話-8 壁を越えろ


「ということで、隣町まで歩く」

「歩く!?」


 タシスが情けない声を上げる。

 夜明け前の暗闇に、やたらと響いてしまう。


「なにか、変なこといったかなー?」

「いや、その……魔法というからには、空を飛んだり……届け先まで瞬時に行き着いたり……」

「わお。意外や意外。きみも御伽噺が好きなタイプかい?」

「軽口を叩いているわけじゃない」


 話ながらも、もくもくと歩を進めているのがさすがだ。

 まずは城門を出て、隣町までたどり着かねばならない。夜明けとともに停戦交渉が行われる緊張感からか、どこか空気が張り詰めているように思われた。


 

「あ、歩き……いや、待て。お前、今までの仕事もすべて自力で移動してたのか?」 

「え、そうだよ。愚問だね」

「狂王への直談判を届けてもらったときも?」

「うん」

「……豪雪のコーデリア山脈越えをしたというときも?」 

「うん」

「厄災遺物の地雷原に取り残された集落のときも?」

「うん」

「ちょっと待ってくれ……おまえに頼んだ仕事は、郵便省が通信途絶宣言をした曰く付きばかりだぞ……歩いて届けていたとか、思わないだろう」


 タシスが空を仰いだ。曇天で星も見えない暗闇だ。

 照らすランプはイカイ製──人形調律師グンドウが使っていた煌々と光る便利なランプを、ジィナが譲り受けたものだ。

 ジィナが持っているイカイの文明の光についてタシスは何も言わなかった。


「意外と泥臭いんだよ、魔女の手紙屋は」

「過酷だな。まあ、魔法があるのなら道中の危険も心配ないのかもしれんが」

「あ、そのことだけど」


 アンバーが、ほけぇっとした声で告げる。 


「私いま、魔術は使えないんだ」

「はぁ!?」


 タシスがまた、すっとんきょうな声を上げた。

 いまの商売敵ではなく、手紙の魔女を頼った客だ。アンバーの弱みともいえる情報を与えることもやぶさかではない。


「魔法が使えないって……」

「縁の糸、きみにも見えるようにしてあげたでしょう」

「あ、ああ。美しいものだな、麦補のようなやさしい金色に輝いて、まるで……」

「私の髪みたい?」

「……べつに、そうとは言っていない。年寄りからの口説き文句を期待したか、手紙の魔女」

「あはは。自意識過剰だよー。私、爺さんじゃなくても男には興味ないんだ」


 けらけらとアンバーが笑う。


「縁の糸を紡いでいる間は、ほかの魔法は使えないんだ」

「そういうものか」


 タシスはそこで、重大なことに気がついた。


「待て。お前、今までも魔法なしで歩いていたということか?」

「うん」


 完全に、タシスは絶句した。

 ありえないことだった。どれだけの危険を、二本の足で歩いたのか。


「……俺は魔女というものを勘違いしていた」

「人間、誰しも他人のことは勘違いしているものだよー」


 アンバーは「うひひ」と笑う。

 ジィナがぽつりと零した。


「……城門、閉まっています」

「タシス局長殿、正面から通してもらえる?」


 アンバーに問われて、タシスはちょっと考えてから首を横に振る。


「いや、難しいだろう。和平交渉にむけて、街は完全に封鎖するはずだ。俺たちとて、例外ではない」

「そっか、じゃあやろうか」

「やる?」

「れっつごー。ていっ!」


 トタン! ジジジジ、と発破音と摩擦音。

 右腕に仕込んでいるケーブルを、ジィナが射出した音だった。


 「いい感じです。調律良好、絶好調」


 どう見ても少女の細腕にしか見えなかったものの肘から先が中空高く飛んでいき、塀の頂上にある柵に巻き付く。


「ひえ」


 絶句しているタシスを、アンバーが急かす。


「ほら、急いでー。ジィナにつかまるんだ」

「え、あ?」

「飛びますよ。はりあっぷ」


 飛ぶ、という言葉の意味は考えないようにしながら、タシスはジィナにしがみつく。

 数秒後、一気にケーブルを収縮させて柵を跳び越えたときには、さすがに悲鳴を出すこともできなかったのである。


「おまえ、いつもこんな……?」

「うん!」


 よいリアクションを絶やさないタシスに、アンバーは上機嫌で歩を進めた。

 曇天はどこまでも続いていた。

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