1話-2 依頼人~寂しい瞳の老婆~


 ◆


 手紙屋。

 それがアンバーの仕事である。


 一応、このヒガンにも正式な郵便網は存在している。

 しかし、それは都市同士の、あるいは国同士の公共郵便が主目的だ。

 きわめて政治的なやりとりをスムーズに行うために整えられている、限定的で公的な(あるいは、秘密主義的な)通信網。

 つまりは。

 どこにでもいる庶民が自由に私的な手紙のやりとりをする手段は、このヒガンには今のところ存在していない──ということだ。


 相手の名や現住所までがわかっているのならば、個人が運営している飛脚を手配して手紙を送ることもできる。

 だが、混乱と混沌のなかで日常を過ごしているこの世界で、その手紙が無事に届く可能性は低い。それに、手紙を送る必要があるほどに遠くにいる相手の居場所がしかと分かっていることは稀だ。


 それでも。

 人はどこまでも旅をするし、人と人とは言葉を交わしあう。

 手紙を届けるべき人は、消えることはない。


『魔女の手紙屋。

 宛てなき手紙、届けます。

 いつでも、誰にでも、どこへでも。』


 行き着く街でアンバーが貼るチラシには、そう書いてある。

 超常の魔女は、その力で運ぶのだ。

 ──分断された世界で、どうしても届けたい言葉を。


 神秘の薄らいで久しいこの世界で、そんな御伽噺のような貼り紙を頼ってやってくる人間が、どの村にも、町にもひとりはいるのだ。


「……この手紙を、息子に届けてくださいませんか」


 そんなひとりである老女は、一通の封筒をアンバーに差し出した。

 宛名には、息子であろう男の名前。

 そして、裏側には──。


「父より、ですか」


 横から覗き込んだジィナが呟いた。

 ショールの老女は、力なく頷く。

 ひどく寂しい瞳をしているな、とアンバーは思った。


『父より。』

 差出人の名はなく、ただ、そう書いてあった。 


「あの子の父親は潮風で胸を病みました。医者にかかっていますが、もう長くないとか……」


 彼女の目の下のクマは、看病疲れというわけだろう。

 アンバーは「ふむ」と唸って、封筒の表書きを見つめる。


「その手紙は遺言状です」

「遺言状」

「はい。主人がそう言っていました。でも、本当はそんな大層なものではないかもしれませんね。あの人は、ただ……」


 ほとり、ほとり。ゆっくりとした口調で老婆は語った。

 かつて彼女は夫との間にもうけた一人息子を、この世の誰よりも愛していた。

 けれど、彼が成長してから、父と息子の間にすれ違いが起きた。

 息子は読書が好きだった。

 父は息子に、自分と同じ道を歩ませたかった。

 この街に産まれて、漁師として生きる──だが、息子は書物の世界に自分を見出していた。数年に一度、町を訪れる移動図書館に夢中になった。

 移動図書館で廃棄処分になった古い本や破損した本をもらい受けて、それを宝物にしていた。

 父親は、それが気に入らなかったのだろう。


 ──この街で生きていく漁師に、本など必要ない。

 ──人生で一度も読書などしなくても、立派に家族を養っている。

 ──『イカイ』の侵略者がいないから、軟弱なことを言っていられる。


 繰り返し、繰り返し。

 息子に対して、そんな言葉をぶつけるようになった。

 そんなことで事態が好転するはずもなく、息子の心は頑なになっていった。


「息子の心が離れていくことに、あの人は焦ってたのでしょう。だから、あんな間違った選択をしてしまった……!」


 口論の末に、息子が大切にしていた本を焼いたのだ。

 彼が所有することを許された、たった数冊の本を焼いたのだ。

 燃える暖炉に放り込んで。泣き叫ぶ息子の声に、耳も貸さずに。


 その日から、親子の間には修復できない溝ができてしまった。



「私が持ち帰った魔女の手紙屋のチラシを見た夫が、病床でどうにか書き上げました。喧嘩別れしてしまった息子に……どうしてもと……」


 老女は、膝の上できゅうっと拳を握りしめた。


「あの人は、ただ──息子に謝りたいのだと思います」


 老女の震える声に、アンバーは応えた。


「配達料金、安くないけれど。それでもいいの」


 老女は頷いた。

 いくらでも金は用意する、と言い切る。

 その後に、ふと我に返ったかのように質問してくる。

 

「……張り紙には『時価』と書いてありましたが、おいくらで?」

「ジィナ、宿の勘定をとっておいで」


 無言で部屋をあとにしたジィナが、ほどなくして勘定を持ってくる。


「……こちらです」


 アンバーたちがこの宿に逗留して、すでにひと月以上が経過していた。

 少しは前金を預けてあるとはいえ勘定書きの料金はかなり膨らんでいる。

 だが、勘定を一瞥したショールの老女はもう一度、迷いなく頷いた。


「お支払いします」


 アンバーはジィナと顔を見合わせた。


「即決ですね、あんびりーばぼー」

「そんなにも届けたい手紙ってことだ」

 

 手紙の魔女は麦金色の髪の毛を一本よりわけて、白い指先で弄ぶ。


「いいだろう、引きうけた」


 結論から、手短に。アンバーは受け取った封筒に、口づけを落とした。

 それから麦金色の髪の毛を一本抜いて封筒に結びつけた。それは輝く光の糸となって──遙か彼方に、伸びていく。


「──今、えにしの糸は紡がれた」


 手紙の魔女。

 アンバーは、そう宣言した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る