1話-3 ケートラック①



「……つーかーれーたー」


 港町を出てから、もう随分と歩いてきた。

 大きな溜息とともに、アンバーが呟く。

 隣を歩くモッズコートの少女──ジィナが返答する。


「しっかり歩いてください、アンバー。行ける、あなたには杖がある」

「この杖は、歩行用じゃないの! 魔女の証なんだから」

「でも、ちゃっかりもたれ掛かってませんか?」

「有効利用してるんだよー」

 

 旅装に身を包んだアンバーは、長い杖を手にしている。彼女の身の丈を少し越えるほどの長杖で、よく乾かした香木を滑らかに削り出して作ったものだ。

 杖の先には、黒塗りの文箱がくくりつけられている。

 長杖と、文箱。

 遠くから見ると、十字架を担いでいるようにも見えるかもしれない。

 文箱の中には手紙が格納されている。雨にも風にも負けない、防水仕様だ。


 アンバーは文箱を見上げる。

 文箱には小さな糸車がついていて、糸車からは見渡す限り何もない平原のはるか彼方まで、金の糸を伸びている。

 縁の糸。

 アンバーが魔術で顕現させているその糸は、魔術の素養のある者にだけ視認できるものだ。

 糸を辿って、手紙を届ける。

 差出人と受取人の間に縁さえあれば、糸を辿って手紙を届けることができる……それがアンバーの魔術であり、仕事である。


「到着はいつになることやら」


 アンバーたちが港町を出てからいくつかの町を通り過ぎたが、手紙から伸びる糸の示す先にはまだまだ到着しそうもない。

 ジィナが尋ねる。


「まだ糸の先は見えませんか?」

「だねー。あのお婆さんの息子殿、案外遠くまで家出したもんだな」


 文箱付きの長杖にもたれて、アンバーが小さく舌打ちをする。

 すでに、滞在していた港町を出てから丸二日歩き通しだった。


「山を迂回したのは、結構なタイムロスでした」

「仕方ないでしょー、整備もされてない山道なんて歩きたくない」


 ジィナの言う通り、途中にあった険しい山を迂回したのも時間をくった。

 山越え直前に滞在した小さな集落の宿屋いわく、「歩いて山越えなんて、できるわけがない」とのことだった。

 旅に必要な大荷物はすべてジィナが背負っているとはいえ、歩き通しの旅程はアンバーの気分を滅入らせていた。


「これ、どこまで行くんだろ……」


 海街でしこたま買い込んできた残り少ない揚げ菓子を頬張りながらアンバーがぼやくと、ジィナがぼそりと呟いた。


「もしかして、イカイとか」

「笑えない冗談だわ。紅塔タワーには近づきたくない」

「そうですね。向こうの世界への違法越境を疑われては面倒です」

「むぐむぐ、ほんとにそうだ。豚箱のメシは不味くて少ないから」

「……食べたことがあるんですね、豚箱のメシ」


 紅塔タワーは、イカイとヒガンの境界だ。

 イカイとヒガンを行き来することができる、唯一の通路である。

 ヒガンのあちこちに出来ていた、二つの世界を繋ぐほころびのほとんどは「境界戦役」の終結をきに塞がれたり、厳重に封鎖されたりした。しかし、もっとも大きな穴であり、最初のほころびである塔は、様々な影響を考慮して取り壊すこともできずに残すことになったのだ。


 なぜ、二つの世界の境界に綻びできてしまったのか。

 どうして、あのときだったのか。

 二つの世界は、どういう関係にあるのか。

 

 根本的な原因はわからないまま、時が流れた。様々な説が浮かんでは消えたけれど、何もかも推測の域をでないままだ。

 ただ、侵略が行われ、まったく違う文明を築いてきたよく似た姿の人同士が殺し合い、そしてお互いに得るものがないままに決別した──その悲劇の歴史の象徴が、空を衝く紅塔タワーである。

 東の海の近くに、それは今もそびえている。


「まあ、昔ね。少なくとも糖蜜フィリングたーっぷりで、ふわふわの揚げ菓子なんて食べられなくなっちゃう……っていっても、これはもうすっかり油が戻っちゃってギトギトだけど」

「そうですね。買ってから数日経っていますし。夏場の湿気なら、すでに腐敗していたかと」

「うげ。夏は嫌いだな」


 アンバーが「うえー」とへんてこな声をあげる。


「あーん! キャブなら少しは移動も楽なのにー」

「オートキャブはイカイ人の持ち込んだ遺物です。簡単に手に入るものではありませんし、所持していることで様々な危険に遭遇する確率が増します」


 澄まし顔でジィナが応答する。

 アンバーはちょっと頬を膨らませた。


「ご正論どうも。本気でキャブに乗りたいわけじゃないよ。あれ、長い時間、後ろに乗ってるとお尻痛いし」

「後ろ……。ジィナに運転させる気だったのですね」

「当然でしょ。私、キャブの運転の仕方なんて知らないし」


 オートキャブとは、イカイからの侵略者たちがこの世界に持ち込んだ乗り物だ。エンジンと呼ばれる動力機関で動かす二輪車だ。

 イカイでは非常にありふれた工業製品らしく、征服されたヒガンの地域にも多く持ち込まれた。二つの世界が分かたれた今となっては、こちらのヒガンでは貴重品だ。

 イカイから何らかの手段で動力源──ガソリンと呼ばれる可燃性の液体──を密輸しつつ、現役でオートキャブを乗り回している者もいる。特にありふれたモデルで、耐久性と走破性能に優れた小型オートキャブは、運送や郵送に使う足として重宝されており、それらは単純に『キャブ』と呼ばれている。


「しかし。どれだけ遠くに家出したのかね、依頼人の息子殿は」

「家を出てから、もう何年も経過していると言っていました。理論上は海を渡っている可能性もあります」

「海って、『日没海』のこと? だとしたら、この配達は骨だなー」


 アンバーたちが滞在していた港町が面していたのは、毎朝太陽が昇ってくる海だ。そして、どこまで沖に出ても波が続くばかりの、『大海』と呼ばれている海である。

 だが陸地を挟んで反対側に、毎日太陽が沈んでいく海がある。

 その海を越えると、広大な陸地の広がる『大陸』にたどり着くことができる。もちろん海の旅は生存率は非常に低い。だが、近頃は越境戦役で荒れ果てた土地を見限って、新天地を求めて大陸に渡る者も多いと聞く。

 アンバーは今回の手紙の受取人である老婆の息子がすでに大陸へ渡ってしまっている可能性を考え、渋い顔をした。面倒くさいにも程がある。


 預かった手紙の配達が不可能になるから──ではない。

 アンバーは、どのような状況であっても、必ず手紙を届ける。

 単純に、船旅が嫌いなのだ。

 魔術で海は越えられない。


「はぁ。船に乗ることになるなら、しばらく食い溜めしとかなきゃね」

「また食べ物の心配ですか」

「当然! この糸が目に入らぬか? 常時、魔術を展開しているのは疲れるんだから」


 ──そのときだった。

 ぶろろろ、と低く唸るモーター音が聞こえた。

 音の方を振り返ると、まさしく『イカイ』の侵略者たちがこの世界に残していった遺物が走行しているところだった。


「ケートラックだ!」


 ◆


 荷台付きのケートラック。小型の運送車だ。

 遠くからこちらに向かって走ってくるケートラックを確認して、ジィナが動いた。

 背負っていた短機関銃を素早く身体の前面に回して、射撃姿勢をとった。

 旅の荷物を詰め込んだ大きな背嚢のほかに、ジィナはいくつもの武器を装備している。

 そのうちのひとつが、キャブやケートラックと同じく『イカイ』からもたらされた銃火器である。

 ジィナがもっとも取り出しやすい形で携行しているのは、取り回しのいい突撃銃アサルト・ライフルだ。


「ちょっと、ジィナ。物騒な真似はしないで」

「どうしてです?」

「敵じゃないかもでしょう」

「……暢気のんきな人。こっちへ」

 

 アンバーの手を引いて近くにある遮蔽物になりそうな岩の近くに移動しつつ、ジィナは接近してくるケートラックを注視した。


「……運転も慣れているし、整備が行き届いているようですね」

「ヤミで整備してるんだろうねー」

「あるいは、イカイ人の残党か」


 イカイ人の中には、いまだヒガンに残って略奪活動をしている者たちもいる。戦闘手段を持たない一般人が遭遇してしまえば最後、されるがままに奪われ、傷つけられる。


「じゃあ、直接確かめてみよう」


 アンバーが、ふらふらと岩陰から出て行く。


「何しているんですか、アンバー!」

「交渉だよ。運がよければ、乗せてくれるかも」

「悪い奴だったらどうするのですか」

「ぶっ飛ばす?」


 簡潔かつ不穏なアンバーの返答に、ジィナはじとっと主人を見つめる。


「そのぶっ飛ばすっていうのは、誰がやるのです?」

「もちろん、ジィナが」


 港町の老婆から預かった封筒入りの文箱がくくりつけられた杖の先をつきつけて、アンバーがにっと笑った。

 ジィナは、大きな溜息をつく。


「あんはっぴぃ……」


 ジィナのぼやきに返事はせず、アンバーは接近してくるケートラックに向けて大きく手を振った。


「おーい、こーんにーちはー! 旅の魔女を助けてみませんかぁー!」


 午後の平原に、アンバーの太平楽な声が響いた。


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