2話-9 足りない糸 


 ──


「……そう、そうさ。縁の糸が、導くままに……ん、んんー?」


 ミュゼ奪還に向けて、アンバーが手紙魔法を発動した。

 なんだ、これは。

 アンバーは困惑した。

 糸が、ない。


 アンバーの魔法は、手紙を中心として送り主と宛先を「糸」で繋ぐものだ。

 双方がどこにいても、アンバーの魔力が続く限り、どこまでも伸びる糸。

 その片方が、ないのだ。

 封筒から伸びるのは、たった一本の糸。


「これが、ミュゼに続いているのか……?」


 意識を、糸に集中する。

 アンバー自身に面識がある人物であれば、手紙から伸びる糸の先に居る人物についてはうっすらとした気配のようなものを感じ取ることはできる。

 間違いなく、糸の先にいるのはミュゼだろう。距離もさほど離れてはいないようだ。 


「差出人が、いないだと……?」


 状況を聞いたグンドウが、訝しむ。


「それは、イカイに引き揚げちまったってことか?」

「ちがう。本来なら、縁の糸は違う世界にいる相手にだって伸びるんだ」

「……すげぇ魔法だな」


 ヒガンとイカイ、二つの世界を跨いでもアンバーの紡ぐ縁の糸は途切れない。


「……そういう配達は、けっこう骨だよ」

「魔女の手紙屋ってのも、なかなか大変なんだな」

「まあね。とにかく、この不可解については後にしよう。きみの娘を助けるのが先だ」

「いいんですかね、魔女様がそんなんで」

「いいのさ。私の見立てでは、深刻な不具合じゃないと思う」

「あんたが言うなら、そうなのかね。とりあえず、恩に着ますよ」


 アンバーの杖の先から伸びる糸を辿って、一行は山街を走り抜ける。

 寂れた山街を出て、山道を降りていく。

 すでに日が落ちている山中は、アンバーとジィナだけでは絶対に走れないだろう悪路が続いている。

 搭載された暗視機能が働くジィナだけならまだしも、アンバーには絶対に無理だ。 手紙魔法を発動している最中、アンバーはほかの魔法を使えない。無力な存在なのだ。


 夜露にしけった土の匂い。

 ちりちり、と鳴く虫。

 遠くに聞こえる、獣の鳴き声。

 

 あまりにも深くて鋭い闇が満ちる道──常人ならば、身動きすることすらできないだろう。

 夜の山は、人の領域ではない。


 しかし、 生身の人間であるはずのグンドウは、歩みを止めなかった。

 グンドウが持っているのは、小さなイカイ製の懐中電灯だ。

 よたよたと歩くアンバーの手を引くジィナが、グンドウの後ろを歩きながら呟く。


「……あんびりーばぼー」

「ひぃ、ひぃ……まじかー。どういう生活してれば、こうなるわけだ?」


 結局、早々に音を上げたアンバーを背負って、ジィナが歩くことになった。

 ジィナの調律が万全ならば、アンバーを背負ったまま全速力でこの山道を駆けることもできるだろう。

 ただ、なんの魔術も使っていない人間がほぼ同じ事をしているのは、驚嘆に値する。


「足腰強すぎだろ、老人のくせにさ」

「……人生のほとんどが、旅と逃避行だったからな」

「ほへー」

「それに、キカイいじりってのは案外、体力勝負ですからね」


 たしかに、あちこちに武器を仕込んだままのジィナを軽々と持ち上げていた。

 一緒に仕事をしてみないと、わからないものもある。

 グンドウの存在は前々から知っていたし、彼のキカイ調律師としての腕は信頼していた。

 だが、彼の仕事の詳細なんて、少しも知らなかった。


「しんどい仕事だね」

「逆に訊くが、しんどくない仕事なんて世の中にあるのかね」


 ミュゼが、自分が「キカイ人形」であることを知ってしまう──それが、グンドウが彼女を調律師にしたくない理由の最たるものだろう。

 だが、たぶん。

 男の体躯をもって生まれたグンドウでも「しんどい」仕事を、ミュゼにやらせていいものかという迷いもあるのだろう。

 自分を人間だと信じこんでいるミュゼは、人型自律キカイとして万全の出力をすることはできない。

 

「……いた」


 アンバーが呟く。

 暗闇に、淡く光る糸の行き着く先。

 小さな洞窟の先に、糸が吸い込まれていた。

 洞窟の周囲には、いくつものコンテナが詰まれている。

 それに、洞窟の周囲はこざっぱりと雑草や下草が刈り込まれている。

 どうやら、場当たり的な即席の野営地ではなく、定期的に拠点として運用されているようだ。


「こんなところに、拠点があるのか」


 グンドウが呟く。


「……明かりが見える。あいつらは、追っ手がかかるのを『待っていた』みたいだねー」

「なるほどね。俺を誘き寄せるための罠ってことだ」


 グンドウが、携行してきた武器を構える。


「うぇいと、ぷりーず。危険です」

「そうさ。いきなり突っ込んじゃ危ないよー、ジィナは調律不足で万全の動きじゃないし……」


 止めようとするアンバーとジィナに、グンドウが低く唸る。


「待てるわけねぇだろうが」


 言うが早いか、グンドウは横穴に向けて煙幕弾を投擲した。

 充満するスモーク、あぶり出される賊たち。

 イカイ製の武器は優秀だ、そしてキカイ調律師とはこのヒガンで誰よりもイカイ製品の扱いに長けた人間である。


「あんびりーばぼー、二回目です」


 ジィナが感心したように呟く。

 どうやら、自分たちの出番はなさそうだ。そう悟ったアンバーは、早々に見物を決め込むことにする。

 物陰に座り込んで、懐中電灯の明かりに照らされるグンドウの大立ち回りを見学する。


 結局──グンドウがミュゼを救出するのに、餅菓子を焼くほどの時間もかからなかった。

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