エピローグ:残火.2
冷泉は席に着くなり、真っ黒な煙草を咥えた。
「お声かけいただきありがとうございます。正直、もっと怖い方々だと思ってましたよ」
二瀧が俺に耳打ちする。
「お前、どんな呼びつけ方をしたんだよ」
俺は肩を竦め、冷泉に向き直った。
「そう思ってたのに、来てくださったんですね?」
「恐怖を餌にされたら食いつきます。職業病ですよ。それに、ただの脅しではないと思ったからです。私の記事をよく読んでくださっていますね」
ほとんどは受け売りだ、とは言わなかった。
俺は最初、ファンを装って冷泉のSNSのアカウントから原稿依頼用のアドレスにメールを送った。鮫島からの知識がなければここまでスムーズに行かなかっただろう。
冷泉は甘い煙を吐きながら、机上の雑誌を取り上げ、中央のページを広げた。
「きっかけはこの記事でしたね。十九歳の鬼才、新進気鋭のホラー動画クリエイター・鮫島
俺は他人事のように返す。
「彼も貴方のファンですよね」
「ありがたいことです。チャンネルの"テリブルジャポン"も私の寄稿誌から名前を取ってくれたとか。ここだけの話、私は彼が心霊スポットのレビューをしていた時代から注目していたんですよ」
冷泉は運ばれてきたアイスコーヒーに口をつけ、俺を見つめた。
「何処かでお会いしたことは?」
「ありません」
黒い瞳が俺の顔を反射する。自分で作った黒子は少し薄くなっていた。冷泉が昔から鮫島の動画に注目いたなら、俺のことも見かけただろう。
俺は冷泉の視線を避け、ネクタイを締め直す。
「主題に入りましょう。貴方が鮫島に対談を持ちかけた発端は、テリブルジャポンが製作した初の短編ホラー映画『蟲祀る村』でしたね。一週間で再生回数十万を突破した話題作だ」
「一目見て才能を感じましたよ。因習村を扱いつつ、田舎や土着の風俗を見下すことなく真摯に向き合った作風です。コズミックホラーやサイキックを取り入れたのも見所でした。何より演出がリアルで、今流行りのモキュメンタリの素養も感じました」
鮫島が褒められているのを聞くのは気分が良かった。
耳を傾けていると、それまで石のように黙っていた二瀧が割り込んだ。
「リアルか。そりゃ実体験だからな」
冷泉が目を丸くする。俺は二瀧の脹脛を蹴った。
「おい!」
「こっちの台詞だ。借りてきた猫みたいだったくせにいきなり割り込むな」
冷泉はくすりと笑った。
「仲が良いんですね」
「そう見えるなら殺してください」
悪態を吐く二瀧の脛をもう一度蹴り、俺は雑誌の頁を一枚捲った。
「冷泉さん、貴方は鮫島との対談を補完する形でこの評論を書きましたよね」
血が滴るようなフォントで印刷された見出しは"因習村サイコキネシス"。
俺は続ける。
「短編映画『蟲祀る村』と二年前、某村で起こったカルト宗教の集団自死事件と地方自治体の癒着を関連付けた評論だ。冷泉さんは何かご存知ではありませんか?」
「例えば、どういったことを?」
「この村が三顎村であること、カルトは自死とは思えない死に方をしたこと、信者以外の不審死が隠蔽されていること」
冷泉は表情を曇らせた。
「……何故、そう思うんです?」
「貴方と親交が深かった霊媒師、
長い沈黙が傷だらけのテーブルを這った。
冷泉は細く煙を吐き出し、吸殻を灰皿で潰した。
「……久田さんがあの村を訪れる前、行くべきか相談を受けましてね。最終的に行ってこいとハッパをかけたのは私です。彼が音信不通になってから後悔しましたよ。八つ当たりしようにも、例のカルトは既に壊滅していますしね」
二瀧は椅子にふんぞり返って俺を指した。
「だったら、喜ぶべきだ。久田の仇討ちはこの男が済ませました」
「人聞きの悪い」
「事実だろ。それに、三顎村で死んだ連中は末端だ。諸悪の根源は未だにのさばってる。冷泉さん、あんたも本当は掴んでるんじゃないか?」
冷泉は指を組み、ガラス窓の縁に置かれたプラタナスの鉢植えを眺めた。
「……私の筆名はオカルトライターだった大叔母から取ったんです。可愛がってもらっていましたよ」
彼は独り言のように言葉を紡いだ。
「大叔母がライターを辞める直前、恐ろしい神を祀る組織の実態を掴んでしまったと言ってきました。彼女は自身や家族に危険が及ばないよう、それ以上踏み込みませんでした。でも、私は忘れられなかった」
「そして、同じ職業につき、組織を追った。志を同じくする久田雲玄と共に調査を続けていた、ということですか」
俺の問いに、冷泉は頷く。
「貴方たちはその組織を追っているんですね? 巻き込まれて消されないだけの力も持っている、と?」
「そう思って構いません」
再び沈黙が流れた。店員がグラスに水を注ぎに来ても俺たちは微動だにしなかった。溶けた氷だけがカラリと音を立てた。
冷泉はやっと不適な笑みを取り戻した。
「わかりました。協力しましょう」
「助かります」
「テリブルジャポン黎明期のメンバーには私も興味がありますしね」
俺は虚を突かれて黙り込んだ。冷泉は二本目の煙草を指に挟んで笑う。
「昔、人魂探しの動画に出ていましたよね? 今は随分雰囲気が違いますが」
「昔の話です。今は無関係ですよ」
「そうでしょうか? 彼はそう思っていないのでは?」
冷泉は蚕娥のような飾りがついた黒いスマートフォンを取り出し、画面を見せる。短編ホラー映画『蟲祀る村』が開かれていた。
「鮫島さんの動画のクレジットには常にスペシャルサンクスの文字と共にI.Kというイニシャルが表示されています。これは貴方のことではないんですか?」
答えあぐねる俺に、冷泉は追撃をかける。
「だったら、これも知ってるかな。ホラーファンの間でこの映画の考察が盛んでして。大抵の謎には答えが出ていますが、動画のラストに登場するこの文言だけは不可解なままなんです。何のことかわかりますか?」
彼がスクロールバーを動かし、動画のラストで止める。
エンドクレジットの後、鮫島が視聴者への感謝を告げる場面だ。テリブルジャポンと印刷されたTシャツの腹がクローズアップされ、小さなメッセージが表示される。
「Sサイズ、発注済み。いつでも試着可能」
俺は独りでに漏れる笑いを噛み殺し、冷泉に言った。
「お互いの仕事を完遂したら教えます」
冷泉は満足げに頷き、スマートフォンをしまった。
「久田さんが音信不通になってから、取材の振りをして彼の足取りと組織の動向を探し続けました。その中で、奇妙な事件を知ったんです。都市伝説レベルの話ですが……」
冷泉は言葉を区切り、俺たちを見比べた。
「"生ける炎"、ご存知ですか?」
俺と二瀧は首を横に振る。
「ある場所で、全身を炎に包まれた少年が目撃されました。炎は独りでに消え、少年は何事もなかったように夜の街に走り去ったそうです」
「それと組織とは何の関係が?」
冷泉は唇に手を当てた。
「目撃現場の周囲を調査した結果、封鎖された地下道がありました。中には入れませんでしたが、様子を窺ったところ、焼け落ちた実験施設のようなものが見えました」
俺は小声で二瀧に囁いた。
「知ってるか?」
「いや……だが、
「じゃあ、生ける炎って奴も、俺たちと同じように神を取り憑かせる実験現場から脱走したガキってことか」
「その線はある」
俺は冷泉の視線に応える。
「わかりました。俺たちに協力してくれるなら、冷泉さんの身は守ります」
冷泉は目尻を下げ、早速スマートフォンのメモ帳を開いた。
「私が調査して、貴方たちは組織を追い詰める。いい関係が結べそうで嬉しいです。記事のネタもできました。因習村サイコキネシスの次ですから……邪宗門パイロキネシスなんてどうでしょう」
二瀧が呆れたように「好きにしてくれ」と返した。
冷泉は素早く液晶をタップしながら言った。
「そういえば、まだおふたりのお名前を伺っていませんでしたね」
「昆二瀧」
二瀧が短く答えた後、冷泉が俺に目を向ける。俺は額に残った古傷を掻いた。
「I.Kは昔の名前なんだ。しばらくは使えない」
俺はスーツのポケットから香合守を取り出し、握りしめた。
「今は昆
鼓膜の内側では、変わらず異形の虫の神の声が響いていた。殺せ、と。
それを打ち消すように、小さな木の弥勒菩薩は安らかな顔で微笑んでいた。
因習村サイコキネシス 木古おうみ @kipplemaker
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