エピローグ:残火.1

 夏の日差しで白く輝く駅舎を見上げながら、二年前の今日、ここに来たことを思い出す。


 鮫島さめじま三顎みつあご村に向かったあの日、ごった返す人々に戸惑いながら新幹線に乗り換えた巨大な駅だ。


 駅構内に入ると、近未来的な青白い天井が煌めいた。冷房は効いているが、充満したひといきれがじっとりと蒸し暑い。俺は全国展開の安い服屋で買ったスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。


 人波に沿って歩き出すと、昔の俺たちのように、ボストンバッグやキャリーケースを抱えた高校生たちとすれ違った。懐かしさに胸の内側を小さな爪で引っ掻かれたような気持ちになる。今では別世界の住民だ。



 あれから二年の間、俺と二瀧じろうは全国を転々と彷徨った。

 俺の家を襲撃した連中はすぐ捕まえて全員地獄を見せてやったが、奴らから情報はほとんど得られなかった。所詮はトカゲの尻尾だ。調査は続けたが、近づいたと思えば遠くなり、芳しい収穫はない。

 二瀧は、俺が脅しすぎたせいだという。人殺しのくせに揃いも揃って根性がない。


 村から持ってきた金塊は大量にあるが、身分証明書もない未成年に出処も聞かず換金してくれる場所は少なかった。

 結局、俺たちは履歴書のいらない日雇いの労働で資金を稼いだ。俺は工場やイベント設営、二瀧は肉体労働がほとんどだった。


 ドヤ街の簡易宿泊施設やネットカフェで、先に入った方がひとり分で宿を取り、従業員用通路から裏口の鍵を開け、もう片方が侵入する。そんな旅費の浮かせ方もした。

 俺たちふたりはひとり用のフラットシートや、外の空気と酔っぱらいの喧嘩が容赦なく飛び込んでくる畳部屋の薄い布団で眠った。

 養父母が知ったら何と言うだろうと思う。


 井綱香琉として生きていた頃の生活が日毎に遠のいていく。

 それでも、安宿の弱いWi-Fiで動画サイトを開けば、鮫島に会えた。テリブルジャポンの動画は増え続けている。俺の知らないメンバーがたまに顔を出すこともあれば、山奥の神社を探索する企画で矢子やこと共演することもあった。

 あの笑顔が薄れないよう思い出しながら、俺は駅構内の書店に向かった。



 目当ての雑誌を購入し、紙袋を抱えて店から出る。

 じきに二瀧の仕事が終わる頃だ。

 相変わらずの人混みだが、雑踏から頭ひとつ飛び出す長身はすぐに見つかった。俺と同じスーツ姿だが、なめし革のような黒い肌と白い眼帯は一際目立つ。


 俺は二瀧の背を小突いた。

「遅い」

「仕事が長引いて着替えるまで時間がかかったんだ。ほっつき歩いてた奴が文句言うんじゃねえよ。だいたい待ち合わせまで一時間以上あるだろ」

「それくらいでちょうどいい。今日会う相手には礼儀を尽くしたいからな。先に店に入って飯にしよう」

 顔を合わせたときから不満げだった二瀧は更に眉間に皺を寄せた。


「朝飯を抜いただけで空腹か? 贅沢になったもんだな」

「俺は腹は減ってない。お前は働き詰めだっただろ」

 二瀧は驚いたような顔をしてから、観念したように首を振った。



 地下へと降り、チェス盤のようなタイルを踏みながら、待ち合わせに指定された喫茶店に入った。

 昭和然とした店内は新幹線駅の真下にあるようで、時折震動で真鍮のコーヒーカップがカタカタと揺れた。


 俺がゆで卵と食パンを齧っている間に、二瀧は大盛りの焼き飯とウィンナーと目玉焼きとブロッコリーを平らげた。

「よく食うな」

「悪いか」

「別に。ただ……」

 新幹線の狭い座席で弁当を膝に広げていた鮫島の姿が浮かぶ。

「昔を思い出しただけだ」


 二瀧はそれだけで全て察したように口を噤む。辛気くさい面だ。俺はゆで卵の殻を潰しながらフォークの先で二瀧の鼻先を指す。

「お前は食ったものが全部背丈と筋肉に回るんだな。脂肪になる奴と何が違う?」

「知るか」

「それより、不思議なのはお前と同じ生活をしていて何で俺の背が伸びないのか、だ」

「知るかよ。俺は人類学者じゃねえぞ」

「最終学歴は中卒だもんな」

「お前も同じだろ」

「俺は進学校だった」


 俺の言葉に、二瀧は呆れたように笑った。この男が挑発と自嘲以外で笑みを浮かべるようになったのはいつからだろう。



 顔を上げると、楕円に切り取られた窓ガラスの向こうを女子高生の集団が歩いていた。

 ポニーテールを揺らしながら歩く、健康的な足つきの少女がいて思わず注視する。


 二瀧が吐き捨てた。

「女子高生を目で追うなよ」

 俺は舌打ちを返して視線を逸らす。

 真美まみと同じくらいの少女を見るたび、つい確かめようとしてしまう。こんなところにいるはずがないのに。会ったところで、今の俺には話しかけようもないと言うのに。



 二瀧はスープを啜りながら不機嫌な声で言った。

「今日会う奴には昔から目をつけていたんだろう。何でもっと早く行動しなかった」

「……俺が先に会うのは不義理だと思ったんだ」


 俺は怪訝な顔をする二瀧を無視して、紙袋から買ったばかりの雑誌を取り出す。

 テリブル日本、夏の特大号だ。表紙の一点には新進気鋭のホラー動画クリエイターのインタビューが宣伝されている。


 ツルツルした紙を捲ると、記憶の中と変わらない姿があった。Tシャツを押し上げる貫禄のある腹には、テリブルジャポンの文字が堂々と印刷されている。眼鏡は新調したらしい。



 ちょうど、ベルの音が響いて喫茶店のドアが開いた。

 入り口に黒づくめの若い男が佇んでいた。墨を塗ったような髪と、好奇心に満ちた目。髑髏が所狭しと並んだ柄シャツに、耳朶はピアスが埋め尽くして、軟骨に黒いバーが貫通している。一目で普通の会社員ではないとわかる男だ。


 彼は誰かを探すように店内に視線を巡らせ、俺の手元の雑誌に目を止めた。

 俺は立ち上がって二瀧の隣に映り、向かいの空席を示す。


 男は俺たちの元に歩み寄ると、微笑を浮かべて言った。

「はじめまして、オカルトライターの冷泉れいぜい葵太郎きたろうです」

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