地獄.6
幸い、二瀧の助言で金はすぐに見つかった。
岩影に隠すように彫られた穴の中に、灰色に汚れた麻袋が埋まっている。
引き千切るように開くと、泥と小石に紛れて鈍く光る黄金が覗いていた。鉱山時代の遺物か、想像していた金の延べ棒とは違い、河原の砂利のような大小入り混じった金の塊だった。
俺は袋の中の石と金を選り分ける。換金しておいてくれれば楽だったのに、最後まで気の効かない連中だ。
袋を担いで鉱山から出ると、地面に座り込んだ二瀧が気まずそうに俺を見た。
「そんな面をするくらいなら手伝え」
二瀧はかぶりを振って、巨大な石が塞ぐ山道の先を指した。
木陰から朝日が差し込み、強烈な眩しさに思わず目を細める。薄淡色の逆光の中に、鮫島が立っていた。
「会長……」
眼鏡にはヒビが入り、Tシャツはテリブルジャポンの文字が見えないほど煤と土で汚れていた。
鮫島は哀しみを押し殺すような、俺が見たことがない表情をしていた。今まで当たり前に向けられていた笑顔を正面から見ることも、もうないのかもしれない。
俺は黄金の詰まった袋のいくつかを押しつける。
「これは会長と矢子さんに。こっちは狐塚さんと知夏ちゃんの家族に。まだ余ってるから村の復興資金にも使えるはずだ」
鮫島は少し迷ってから袋を受け取り、予想外の重さによろめいた。
何を言ったらいいかわからなかった。教室でも、電車でも、宿泊施設でも会話が尽きることはなかったのに。
「驚かせたよな」
俺の言葉に、鮫島は小さく唇を動かす。
「……君がオカルト研究会に入ってくれたときさ、兄貴に話をしたら、血相変えて言われたんだ。『井綱香琉には近づくな』『アイツはヤバい』って」
「会長のお兄さんが?」
「兄貴の後輩が弱そうな中学生に絡んだら病院送りにされたんだって。信じられなかったよ。同姓同名の別人のことだと思った」
身に覚えがあったが、噂になっていたとは知らなかった。俺は肩を竦める。
「高校に入ってからは大人しくしてたんだけどな……」
鮫島は呆れ笑いを浮かべた後、表情を曇らせた。
「全部嘘だったの……?」
「何と言えばいいかわからない。記憶がないと言ったのは嘘だった。普段は昔の友人の真似をして演技してた。でも、会長と一緒にいて楽しかったのも、映画が完成したら観たいと言ったのも本当だった……」
鮫島は何も言わなかった。蜘蛛の巣のように割れた眼鏡に俺の顔が反射していた。
「巻き込んでごめん……じゃあ、元気で」
俺は踵を返す。二瀧が足を引き摺りながら俺に追いついて言った。
「あのデブをそのまま帰す気か。奴は知りすぎた……」
俺が鳩尾に肘を打ち込むと、二瀧は身を折って呻いた。
「次デブと言ったら肋を折るぞ」
「事実だろ……」
「態度が気に食わない」
背後から鮫島の視線を感じたが、振り返れなかった。
俺と二瀧は再び肩を組んで歩き出した。木々の間から陽光に照らされた血痕と死体の残骸が覗いていた。
俺たちは朝日に追い立てられるように下山した。
じりじりと照りつける太陽と、油が沸騰するような蝉の声を背に受けながら、昆医院の前に立った。入り口は施錠され、中は静まり返っている。
俺はうがい薬色のガラス扉を叩いた。疲れ果てた老女の声が答えた。
「主人は怪我で療養していますので……」
「知るか。こっちはもっと重傷だ」
「ですが……」
「旦那の傷を更に深くしたくないなら今すぐ開けろ。ドアを叩き破ってもいいんだぞ」
扉が開き、医者の妻が怪物を見るような目で俺と二瀧を見た。
院内に押し入ると、両頬にガーゼを貼り付けた寝巻き姿の医者が慌てて飛んできた。俺は二瀧を押し出す。
「こいつの火傷を治してくれ。今日中に出発したい。多少痛んでも構わないからとにかく早く歩けるようにしろ」
二瀧は文句を言いたげだったが、医者に伴われて黄色いカーテンの向こうに消えた。消毒液の匂いが漂ってきた。
待合室のウレタンが飛び出た長椅子にに座っていると、医者の妻がおずおずと麦茶を運んできた。俺は汗をかいたグラスを受け取る。
「どうも。今治療を受けてる奴にもやってくれ」
俺は袋の中の金をひとつ摘んで握らせた。老女は金の重みを確かめるように握りしめてから、おっかなびっくり言った。
「あのひとたちはどうなったの……」
「零子たちなら全員死んだ。お前らも解放された訳だ。金蔓も失ったけどな」
老女は青ざめ、唇を震わせて立ち尽くしていたが、やがて消え入りそうな声で呟いた。
「ごめんなさいね……」
「何が? お前らも被害者だろ。ほとんど自業自得だけとな」
リノリウムの床にひしゃげた煙草の箱が転がっていた。二瀧が落としたんだろう。中身は半分なく、代わりにライターが捩じ込まれていた。
俺は隅に置いてあったガラスの灰皿を引き寄せ、一本抜き取って火をつける。細い煙が蛇のように天井を這い回った。
俺は咥え煙草で尋ねる。
「宅急便を送れる場所は?」
「役場から出せるけどまだ道が……」
「その心配はいらない」
老女はスリッパが脱げそうな勢いで駆けて行き、小さな段ボールと送り状とボールペンを持ってきた。
俺は手と顔を擦って血を落とし、僅かに痛む指でペンを握った。
金を箱に詰め込んでから、ポケットを探る。
縮緬の袋と香合守は傷ひとつなく残っていた。俺は小さな木の弥勒菩薩だけを懐にしまい、袋を箱に入れる。これで俺からだとわかってくれるだろう。
送り状に名前を記しながら手を止めた。
「もう井綱香琉は名乗れないな……」
名字を使い続ければ井綱家に迷惑がかかるかもしれない。香の字は十八番のためのものだ。
煙が傷にも目にも染みた。俺は垂れた鼻水を膝で拭い、メモにペンを走らせる。
"高校と大学の学費きっかり七年分。留年したら殺す"
俺はガムテープで箱を塞いだ。
着替えて宿泊施設に荷物を取りに帰った後、昆医院で二瀧と合流する頃には空が夕陽で染まっていた。
俺は松葉杖をついた二瀧の背を押す。
「とっとと行くぞ。まずは俺の家族に手を出そうとした連中を始末したい。警戒してすぐ村には近寄らないだろうから、大きめの駅で待ち伏せるぞ」
「随分と楽しそうだな」
「お前も楽しめよ。これからはスーパーマーケットにももっと賑やかなところにも行ける。駅前に出たら夕飯を食おう。どうせタッチパネルの注文の仕方もわからないだろう。俺が教えてやる」
二瀧はひどくうんざりした顔で俺を眺めた後、自分に言い聞かせるように言った。
「あいつらと暮らすよりはマシか……」
「何がマシだ。最適解だろ」
太陽の色をした村が輝く。
水を湛えた水田が波打つたび錦のように光り、青々とした山や長閑な家々を反射する。巣へと急ぐ鴉の影が大路を横切った。夏の夕暮れだった。
もし、ここがアイツらと関係のない村だったら、と思った。
昼間は矢子から川釣りのやり方を教わって、夜は鮫島といもしない幽霊を探しに森に入ったり、夜通し怪談をしたり、普通の夏休みがあったかもしれない。
俺は夢想を振り払う。有り得ないことを思っても仕方がない。今引き返せば、そんな未来があるのかもしれないが、俺は選ばなかった。
結局、奴らの言う通り俺は化け物だ。普通の幸せより、あいつらを皆殺しにする方を選んだ。
一本道を塞ぐ土砂の山の前に辿り着くと、二瀧が言った。
「どうする気だ」
「退がってろ。お前にできることが俺にできないはずないだろ」
俺は拳を握り、力を込める。土の山に埋まっていた巨人が目覚めたように、土砂が震え出した。泥の欠片が剥がれ落ちる。
轟音に紛れて、後ろから俺を呼ぶ声がした。
「香琉くん! いや、六番くん!」
俺は振り返る。
茜色に染まった道を、鮫島が駆けていた。俺は息を呑む。鮫島は大きく手を振った。
「俺も楽しかったよ! 映画、必ず観せるから! どこにいても届くように頑張るから! 全部嘘でも、いつか本当に面白いって言わせるから!」
息を切らせる鮫島は、数えきれないほど見たいつもの笑顔だった。
「だから……、またね!」
俺は硬く握った拳を解き、手を振り返す。
「またな!」
天地が揺らぐような音と土煙を立て、土砂の山が弾け飛んだ。
積み上がった泥の向こうに、俺と二瀧を導くように一本の道が拓けていた。
俺は鮫島に背を向けた。道の先の森は、既に夜空の色を吸って薄暗く広がっている。
「化け物のまま幸せになってやる」
俺は村の外へと続く道を、一歩踏み出した。
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