作品44『顔』
安乃澤 真平
作品44『顔』
自分の顔っていつから自分の顔ってわかるようになったのでしょう。
記憶をさかのぼると、
幼稚園の卒園アルバムに写る自分のことは、
自分と認識していたように思います。
その他にも、
小学生や中学生だった時、廊下に張り出されている販売写真を見たり、
家族写真を見たり、
そして朝晩に鏡を通して見たりしても、そこに写る人物は自分と分かります。
分かるというより、いつの間にか知っていた、と言った方が正しいでしょうか。
では、どうしてそれが自分と分かるようになったのでしょうか。
鏡や写真がそのままを写すからと考えればそれまでですが、
そもそも本当の自分を自分の目で見たことがないのに、
鏡に写る自分が自分だとどうして答え合わせができるのか。
自分の顔は、写真や鏡など、
何かを通して見ることでしか知りえない。
まさか自分の視線が跳ね返って自分を写すなんてこともない。
つまり、反射された顔しか見たことがない。
なら、私の顔も、みなさんの顔も、
本当はどういう顔をしているんでしょうか。
そこに写る顔は、誰の顔でしょう。
触れれば確かにおうとつがあって、自分の顔はそこにある。
でもそれがそのまま自分の顔を物語るわけではありません。
自分の顔ってどうなっているんだろう。
真夜中、鏡を通して見た自分の顔は、どこか他人の顔を見ているようでした。
「お前は誰だ!」
そう叫びたくなった。
自分のことなのに、自分の顔がわからない。
そんな顔を、私は持っている。
鏡で目が合う度に、少し怖い思いをする。
了
作品44『顔』 安乃澤 真平 @azaneska
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