終章
忌み子の巫は天を照らす
──酒呑童子との激闘から、一ヶ月ほどが経った。
しばらくは、首領を失ったことから魑魅魍魎が襲いかかってくる日々が続いたが、今はその姿を消し、平和そのもの。念のために簡易結界を張れる護符は渡してはいるが、御守り代わりのようなものだ。
帝都も活気を取り戻しつつあり、夜に出歩く者達も増えたと聞く。人々の心の翳りも晴れてきているのだろう。それをあらわすかのように、雨など天気が悪い日以外は雲一つない空が見られるようになった。
守護隊や八十神家の部隊はそのまま残しているが、平和そのもの。しかし、
尊や正宗も「身体が鈍るのは嫌だ」と鍛錬に勤しみ、清孝と勇は「有事の際にすぐ動けるように」と話し合っている姿を見かける。
咲耶と紫貴はと言えば、怪我もすっかり良くなり、今はもう誰もいない藤村家に来ていた。
「……少し、埃っぽいですね」
一ヶ月以上誰もいなかったのだ。当然か、と庭へ続く戸を開け、家の中に風を通す。
不思議なことに、茨木童子に襲われたはずだが、中はまったくと言っていいほど荒れていない。香世子が綺麗にしていたまま残っている。だからだろうか、いないはずの二人のぬくもりが、まだあるように感じられた。
あくまでも推測だが、言葉巧みに誑かし、外へ出した後に二人を──そこまで考え、咲耶は小さく頭を振った。せっかく実家へ戻ってきたのだ。今は考えるべきではない。
「あたたかいな」
これまで黙っていた紫貴だが、ぽつりと呟くと縁側に座り込んだ。咲耶もその隣へ腰を下ろす。
「そうですね、今の時間帯は日も差し込むので過ごしやすいです」
「それもそうだが、この家の話だ。どこを見ても、あたたかさを感じる」
いいな、と紫貴は目を細めて笑った。
「俺達も、このような家庭を築きたいものだ」
「えっ、あ、そっ、そう、です、ね……?」
突然の言葉にドキリと心臓が跳ね、うまく返せなかった。
このような家庭を築きたいというのは、結婚を考えている、ということなのだろうか。まだそこまで考えが及んでいなかったため、頭の中が混乱してしまう。
それを察したのか、紫貴の表情が少し暗くなる。眉を八の字にし、不安そうな目で咲耶を見てきた。
「俺と結婚するのは嫌か……?」
「い、いえ、そうではないのです。その、結婚というものを意識していなかったので……紫貴様はそこまで考えてくださっているのだと、驚いてしまって」
「……ああ、そうか。そうだな。俺は咲耶と結婚するつもりでいたが、求婚していなかったな。では、俺が結婚できる年齢に達したとき、咲耶へ求婚しよう」
もう求婚しているようなものでは、と思いつつも、咲耶は「お待ちしています」と小さく頷いた。あと二年ほど。恥ずかしさで顔が熱いが、そのときが来ることを楽しみにしている自分がいた。
「咲耶、顔が赤いが、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。あの、そっ、そういえば、今日はお祭りですね」
「ああ。初めて夜に祭りが開催される。……変装して、二人だけで行かないか?」
「いいのですか? 護衛の方をつけなければ、清孝様あたりに叱られてしまいそうですが」
そう言うと、紫貴はむっとした表情で腕を組んだ。
「デヱトというものは、男女二人で行くものだろう? 護衛がいると邪魔になる。俺も、咲耶と二人で祭りを堪能したい」
嬉しい申し出だが、後で露見したときにひどく怒られるのではないだろうか。とは思うものの、せっかくなら咲耶も紫貴と二人で祭りに出かけたい気持ちはあった。
普段から二人でいることは多いものの、どこかへ赴くときは誰かが護衛としてついてきてくれる。それは非常にありがたいのだが、世間一般の男女のデヱトというものを楽しんでみたかったのだ。
「……変装の際の服は、どうされますか?」
「用意済みだ。流行というものを取り入れているぞ」
楽しみです、と咲耶は微笑んだ。
それから二人はしばらく藤村家で過ごし、家中の埃などをある程度払ったところで外へ出た。ここは、残しておくつもりだ。今日のように一ヶ月に一度くらいの頻度で帰り、掃除をして、また戻る。まだ、二人の思い出に浸りたいがためのわがままだが、紫貴は笑って賛同してくれた。
「では、戻って変装だな」
「そうですね」
外では祭りの準備が始まっている。二人は胸を躍らせながら、八十神家の屋敷へと戻った。
* * *
日が沈み始めた頃。祭りが始まった。
咲耶と紫貴は尊達の目を盗み、そっと屋敷を出て祭り会場へと向かう。
「ものすごい人の数ですね……」
「それだけ、夜への不安が払拭されたということだ」
紫貴は白色のシャツと、紺色のズボンに茶色のサスペンダーをつけている。靴も新調した革靴を履き「何だか変な感じだ」と言いつつも、どこか嬉しそうだ。
咲耶は薄緑色のワンピースに革のブーツ。制服を除いた念願の洋装に、ついつい笑みが溢れる。
「紫貴様、よくお似合いですよ」
「咲耶もよく似合っている。可愛い」
急に顔が熱くなった。そう言ってもらえるのは嬉しいが、照れくさい。ありがとうございます、と消え入りそうな声で呟くと、目の前に手が差し出された。
「今日は帝でも巫でもない。ただの紫貴と咲耶だ。恋人らしく、こうして手を繋いで歩いてもいいだろう?」
「恋人……で、では、よろしくお願いします」
「畏まりすぎだ」
くすくすと紫貴が笑う中、おずおずと手を重ねる。
骨ばった、大きな手。緊張から手汗をかいてしまいそうだと不安になっていると、そっと指が絡められた。
慣れていない咲耶は慌てて隣にいる紫貴を見上げると、彼もまた頬を赤く染めながらこちらを見ていた。
「……嫌か?」
「い、いいえ! ……こうして、いたいです」
きゅっと手を握ると、嬉しそうに顔をくしゃりとさせながら握り返してくれた。
帝として振る舞っているときには見れない、コロコロと変わる表情。まだ十六歳の少年なのだと実感しつつも、その一つ一つが愛おしくて、胸が締め付けられる。
「何からまわろうか。いろいろとあって、迷ってしまうな」
「そ、そうですね。とりあえず、気になったものからまわっていきましょうか」
いつもは日中に開催されていた祭り。夕方までには客はもちろん、出店も撤収していた。それもあり、早くしないと、と楽しむことよりも時間を気にしながら過ごしていたように思える。
それが、今は夜に開催され、こんなにも賑わっているのだからすごいものだ。時間を気にしている素振りもなく、誰もが心から楽しんでいる。
咲耶と紫貴も、人の目を気にすることなく、時間が許す限り目一杯堪能した。
飴細工や焼きとうもろこしを食べながら歩き、金魚すくいや射的に真剣になった。くじは残念ながらどちらも外れで、悔しい思いをしつつも楽しかった。最後に大道芸を見て笑ったあと、二人は祭り会場からは少し離れた川の畔で腰を下ろした。咲耶が座っているところには、紫貴がハンカチを敷いてくれている。
「とても楽しかったですね」
「そうだな。二人で来れて良かった」
くじが外れて悔しかった、飴細工が綺麗で食べるのがもったいなかった、など、祭りの思い出を語り合う。
祭りとはこんなに楽しいものだったのかとしみじみ思っていると、優しく頬に触れられ、どきりと胸が高鳴った。振り向けば、熱が込められた紫色の瞳が咲耶を見ていた。
「……もっと、恋人らしいことがしたい。駄目か?」
「だ……誰かに、見られるかもしれませんよ」
「見られても構わない」
唇が重なる。やわらかな唇が軽く触れたあと、あたたかいものが当たった。ぎこちなく口を開けば、それはぬるりと中へ入り、驚きから逃げようとした咲耶の舌を絡め取る。
後頭部が押さえられ、より深い口付けへと変わっていく。知らない感覚がぞくぞくと背中を這い、思わず声が漏れた。その声に羞恥心が込み上げ、紫貴の身体を両手で押して離そうとするも、彼はびくともしない。寧ろ、気をよくしたのか、口内を好き勝手に動き始めた。
もう限界だ。咲耶は両手で紫貴の胸元を叩く。そこでやっと紫貴が唇を離してくれた。
「もう少し」
「こ、これ以上は……その、わたしが、保ちません……!」
むす、と紫貴は拗ねるような表情を見せるが、絆されないようにと顔を背ける。もう今日は口付けはしない。けれど、とちらりと横目で紫貴を見た。
「……ありがとうございます。わたしには、紫貴様がお傍にいてくださるのに。とても、心強いはずなのに。不安に呑まれて、わからなくなっていました」
「少しは肩の力が抜けたか? ……いや、待て。先程のあれは、励ましというよりは俺がしたかっただけなのだが」
「それは……はい、わかっています。でも、それもすべて含めて……ありがとうございます」
咲耶は笑みを溢した。
明日、初めて神楽殿で神楽を舞う。天照大神へ捧げる、感謝の神楽。そこで、神森家の
忌み子という存在を、受け入れられない者もいるだろう。不幸を招くと言う者もいるかもしれない。
そんなことを考えていると、神楽を舞うことが怖いと思うようになっていた。誰にも言っていなかったが、傍にいる紫貴には気付かれていたのだろう。今日一日の行動は、彼なりに咲耶を励ますためのものだった。
誰が何と言おうと、自分だけは必ず傍にいると。
最後のあの口付けは、そのような意図はなかったかもしれないが。ただ、咲耶を想ってくれていることが強く伝わってきて、心があたたかくなったのだ。
紫貴に引き寄せられ、強く抱きしめられる。咲耶も彼の背中に手を回した。
「明日は、思う存分舞うといい。咲耶の心は天に、人々に、必ず届く。天を照らし、人々の心を照らすはずだ。俺は、そう信じている」
──そして、翌日。
陽葉がそうしていたように、白衣、緋袴、千早、白足袋の装いに身を包む。外は祭りのとき以上に人が集まり、咲耶の緊張は高まっていた。
「咲耶。陽葉は神秘性を高めるために面をつけていたが、どうする」
紫貴の手には白色の面。この日のために用意してくれていたのだろうが、ゆるゆると首を横に振った。
「いえ、面はつけません。……巫ですが、一人の人間。わたしという人間を、しっかりと見てほしいです」
「そうか、わかった。では……行っておいで、咲耶」
尊、清孝、正宗、勇に見守られながら。
紫貴に背中を押してもらい、咲耶は舞台へと出る。
太陽へ頭を下げ、続けて人々へ頭を下げると、神楽鈴を、シャン、と鳴らし、舞い始めた。
初めて神楽殿へ行ったあの日。そこで、陽葉の舞いを目にした。その舞いは静かで、されど、優雅で。あのときの陽葉のように、舞えているだろうか。
まだまだ拙いところはあるかもしれないが、感謝の気持ちだけは伝わってほしい。本当に感謝しているのだ。
天照大神が依り憑いてくれたからこそ、紫貴の力になれた。酒呑童子が倒せた。それに、と咲耶は目を細める。
今もこうして、皆が笑顔を浮かべてくれている。後ろを見れば、紫貴も、八十神家の皆も、優しい笑みを向けてくれている。
咲耶は空を見上げ、ここにいる者達と同じように笑みを浮かべた。
雲一つない空に輝く太陽。
ああ、やはり。太陽は、輝いてこそ美しい。
<了>
忌み子の巫は天を照らす 神山れい @ko-yama0
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