【短編集】恋のため息は深い

青いひつじ

第1話 叱られるのを覚悟で


PM23時。外は青い夜。


『叱られるわよ』


『誰に?』


『‥‥神様?』


『神様になら叱られてみたいな』


『ネジが外れた?』


『最初からだよ。知ってるくせに』


『すんごく怖いかも』


『それも覚悟の上で』


これはとある洋画のセリフ。突然のラブシーンにどうしたらいいか分からない。それは彼も同じなようで、先ほどからやたら髪を触っている。

手を戻した瞬間、白く、長い彼の指が私の指に触れた。冷たかった。骨をなぞるゾワゾワは次第にもったりした幸福感に変わった。暗い部屋は窓からの光で薄く白く光って、ここにいるのはふたりだけ。



『覚悟なんて言葉、簡単に使うもんじゃないわよ』


『本音は、怖いから一緒に叱られて』


『いやよ』


『じゃあ、僕を置いていく?』


『選択と幸福は友人かしら?』


『僕の中で、幸福の友人は軽減かな?』


『そう思うなら変なことは聞かないで』


洋画特有のオシャレな言い回し、溶けるように見つめ合う主人公たち。彼の小指が私の小指を捉えようとした瞬間、私はその罠をするりと抜け出した。


「水もらってもいい?」


「どうぞ」


冷蔵庫を開けると、5本の炭酸水と2つのタッパーがあった。中身は肉じゃがときんぴらごぼう。彼の母親は2年前に他界したと聞いたことがある。炭酸水、あまり好きじゃないなと思いながら一本いただく。


「優しそうな子だね」


蓋を捻ると破裂音がした。私のその言葉だけで彼は何か悟ったようだった。


「んー、でも炭酸が抜けてる」


「どういう意味?」


「炭酸水美味しくない?」


「んー、私は普通の水が好き。安定思考なので」


「ごめんなさい。秘密にするつもりはなかったけど。そろそろ別れようかなって思ってるし」


「さいてーなことには変わりない。まぁ何もないけど」


「僕もシャワー浴びてくる。もし帰りたかったら、どうぞ」


「ありがとう」



2年前入社してきた時は、くりっとした目が子犬みたいだなって思っていたけれど、気づいたらいつのまにか狼になっていた。


彼のケータイのバイブが鳴った。しかし、10秒ほどして止まった。


え?私?

私は、後輩の男の子をとって食おうなんて考えていない。ましてやまだ別れていない彼女がいるのに。今彼の家にいるのは、飲み会の帰り道、勢いよく横を通ったトラックのせいで、髪に泥がついてしまったからである。だから、なにひとつとして、やましい気持ちはない、と思いたい。きっと心優しい子なのだろう。彼は会社でも片付けができないのに、部屋はこんなに綺麗に整頓されてる。


5分後、またバイブが鳴った。


彼が出てきた。男の人は早く済んでいいなと思う。


「あ、いたんだ」


「鍵ないし、危ないかなって。それにお礼も言えてないし」


「あー、ふふ」


ガシガシと頭を拭きながら浴室から出てきた。

薄い胸板、ヒョロリと長い手足、白い躰。あと、たまに柔らかく笑う時の声がいい。少し息の混ざった声。ひもが緩まる感じがする。中身は、見た目に反して黒いから好きじゃない。いや、うそ。そこも好きなのかも。いや、やっぱりなし。お酒が抜けきれていないこの頭では、判断はしたくない。


「じゃあ、シャワーありがとう。また会社で」


「遅いし、駅まで送っていく」


「いいよ別に。じゃあ、また」


「あ、まって」


ここまでの物語、どこかで同じようなのをみた気がする。シャワー終わりで熱くなった彼の手が私の首に触れ、少しだけ顎にも触れた。


「糸くず、多分バスタオルの」


「あぁ、ありがとう」


その辺にあったTシャツを適当に取って、頭から被った。


「じゃあ、行こ」


出ようとしたその時、部屋の奥で携帯のバイブ音が鳴った。先ほどとは違い、今回は長く鳴っている。彼を呼ぶように。

彼は振り返り、吸い込まれるように音の方へ行こうとした。


私はというと、意味は知らない英単語の書かれたシャツの首元を引っ張っていた。明日の自分に叱られるのを覚悟で。




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【短編集】恋のため息は深い 青いひつじ @zue23

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