豹変

夢月七海

豹変


 わたくしは辻占い師をしています。道端に小さなテーブルを置いて、たくさんの細長い棒をじゃらじゃら言わせて占う、そんな、古風なイメージの占い師です。

 活動拠点が高架下のためなのか、占いの館や喫茶店にいる占い師よりも、もっと切実な悩みを聞くことの多い気がします。例えば、不倫の清算をしたい、会社の不正を見てしまった、そして、殺したい相手がいる……。


 ある晩、ふらっと立ち寄ったその方は——念のため、性別も伏せておきましょう——真っ先に、「殺したい人がいます」と言いました。占い師の歴は長い方ですが、こんな第一声は初めてなので、内心動揺しました。

 詳しい話を聞いてみると、その殺したい相手は、隣人でした。お客さんの家は閑静な高級住宅街にあるのですが、隣人はゴミ出しのルールを守らず、テレビや音楽を大きなスピーカーで聞いていて、その音が酷いのだそうです。


 最初は、普通のご近所トラブルかと思いました。ただ、よくよく話を聞いてみると、窓を開けて掃除機をするから、その音もうるさいと普通のことを言い、洗濯物がうちの物干し竿に被っていると、その隣人でもどうにもならないことまで言い出していますので、おやおやと思いました。

 隣人は独身で、実家暮らしだったのですが、最近親を亡くし、一人暮らしになったそうです。それから、どうも大きな顔をするようになったとかで。ただ、お客さん自身も、所謂パラサイトシングルで、これは同族嫌悪ではないかと秘かに思いました。


 いくら占いが商売でも、「〇月×日の何時に殺害するのが吉です!」とは言えません。わたくしは、その方の怒りをなだめつつ、人間関係を円滑にできる占い結果を伝えました。

 しかし、翌週もその方は来ました。正直、最初の時から納得した様子はなかったので、そんな予感はしていましたが。


 また始まった隣人への怒りを、わたくしはひとまず聞きました。相手のやることなすこと、全てが気に食わないようで、エコバッグではなくビニール袋で買い物していたということにまで憤慨しています。

 話を聞いているうちに、この方は、隣人を四六時中監視しているに思えてきました。お仕事はどうなさっているのでしょうか? という当然の疑問が湧きましたが、トレーダーとか家賃収入とか、そういうのかもしれないと、勝手に納得させました。とても聞き出せる雰囲気ではないのですから。


 その方は、わたくしのところに週に一、二回の頻度でいらっしゃいました。やはり、隣人を殺したいという大本は変わらないのですが、わたくしに話すことで、ある程度落ち着いて帰っていきました。

 根本の解決には至っていないのですが、これで気が済むのでしたら、いくらでも話を聞こうと思い、わたくしはその方に付き合っていました。ですが、日を追うごとに、その方の怒りは天井知らずとなり、どんなに愚痴っても収まらない日が何度かありました。


 ある時など、占いが終わって帰るその方が、落ちていた空き缶を思いっきり蹴り飛ばしていました。夜空に高く上がった空き缶が、落下時に人や車に当たったら一大事です。ただ、わたくしは小心者でしたので、それを注意できませんでした。

 今は、物に当たるほどですが、そのうちにわたくしへ怒りの矛先が向けられるかもしれない。毎日戦々恐々で仕事をしているわたくしの元へ、その方がいらっしゃいました。この時も、眉間に深く皺が刻まれています。


 「引っ越しに最適な日を教えてほしい」……その方の第一声は、隣人への愚痴ではなく、そんな相談でした。わたくしは虚を突かれつつ、その方の住所を聞いて、タブレットのマップ機能を使いつつ、いつ、どこの方面へ行ったらいいのかを懇切丁寧に説明しました。

 数日後、その方がいらっしゃいました。今まで見たことのないアルカイックスマイルを浮かべています。なぜだか、この方と対面して、初めて背筋が冷たくなりました。


 ともかく、引っ越しはどうでしたかと尋ねると、その方は首を振り、「先にお隣さんの方が引っ越していきました」と返しました。久しぶりの敬語にも驚きましたが、それ以上に度肝を抜かれたのは、「お隣さん」という呼び方です。お客さんは、最初から一貫して、隣人のことを「あいつ」または「あの男/女」と呼んでいましたから。

 それは良かったですね、と、わたくしは笑みが引き攣らないように、気をつけて答えました。その方はゆったりと頷き、「全部占い師さんのお陰です。今日はそのお礼に来ました」と深々と頭を下げると、そのまま帰っていきました。


 ご近所トラブルが解消して、憑き物が落ちた、というべきかもしれません。ですが、わたくしにはどうしても、人が変わってしまった、という表現が一番しっくりきます。

 その方と隣人の間に本当は何が起こったのか。住所を教えてもらったので、調べるのは、それこそ占うことは、簡単です。ですが、わたくしはただ恐ろしくて、それが出来ずにいます。


















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

豹変 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ