生命のエンジン
――やっぱり、見つかっちまったか。
省生は悪戯を見つかった子供のように、どこか楽し気に言った。
物置で実験器具を見つけた茂木は、柊を呼びに行き、梅村省生を連れて物置に戻った。ドアの鍵を開けるように言われた省生は、さして抵抗も見せずに、素直に要求に応じた。
柊と梅村省生が物置の中に入る。入口を塞ぐ形で茂木が後に続く。省生に逃げられては一大事だ。
薬品の匂いだろう、物置の中は独特の匂いがした。茂木は高校時代の理科室を思い出した。あの何処か乾燥した無機質な匂いがした。
柊は物置の中央に置かれているテーブルの周りをぐるぐると歩き回った。省生は入口の側の茂木の横に立って、柊の様子を見つめていた。柊は窓際の机の前で足を停めると、机の上に置かれている書類を手に取って眺め始めた。
「刑事さん。そんなもの読んだって、あんたには分からないよ」省生が冷やかす。
柊は書類を机の上に投げ捨てると、「ふん。あんた、ここで毒を抽出していたんだろう?」と振り返りながら言った。
省生は「ふふふ」と笑って見せただけだった。
「まあ、良い。鑑識に調べてもらえば、直ぐに分かることだ。おい、鑑識を呼んでくれ」
柊に言われるまでもなく、既に県警と鑑識に連絡済だった。
「はい。大丈夫です。手配済です」と茂木が答えると、柊は嫌な顔をした。
そこそこ長い付き合いだ。柊が(余計なことをしやがって――黙って、俺の指示通りにしていれば良いんだ)と思っていることは、容易に想像できた。
物置の中で三人、黙って睨み合ったまま、時間だけが過ぎて行った。やがて、パトカーのサイレンの音と共に、安中警察署の刑事と鑑識が駆けつけて来た。
新井と金子がいた。物置の中を一目、見ると、「ああ、茂木さん。やりましたね。ここで毒を作っていたのですね!」と傍らの省生を睨みながら言った。
「それを鑑識に調べてもらいたいのです」
「分かりました。おいっ! テーブルの上のものを調べてくれ。毒成分が検出できたら、直ぐに教えてくれ!」新井がてきぱきと指示を出す。
「とりあえず、母屋で待っていて下さい」と新井が言うので、柊と茂木は省生を間に挟むようにして母屋に戻った。
「物置にあった、あの実験器具は何なのですか? あれで、トリカブトやドクゼリから毒を抽出したのでしょう?」ともう一度、柊が問い詰めたが、省生は「ふふ。刑事さん。黙秘権というのがありますよね。暫く、黙っていましょうや」とふてぶてしく答えた。
三人、睨み合う形で沈黙が続いた。
テーブルの上にあったシャーレに粉末状の物体が残っていた。鑑識が調べたところ、アコニチンが検出された。トリカブトから抽出されたのだ。毒成分だ。
新井が飛んできた。「茂木さん! 出ました!アコニチンです。トリカブトの猛毒です。物置にあったシャーレから検出されました‼」
梅村省生はその場で緊急逮捕された。
「やはり、お前の犯行だったのだな?」
柊の言葉に、「はは。もっと早く捕まると思っていましたよ。時間がかかりましたね。意外に、とろくさかったなあ~」と梅村はせせら笑った。
柊と茂木は、改めて梅村省生について調べた。一度、新井が調べてくれていたので、その捜査内容を確認するだけで良かった。ただ、梅村省生の家族についての捜査が抜けていた。梅村省生は高崎の生まれで、実家がそこにあった。実家には父母と妹が健在だった。
実家を訪ねて話を聞いた。「省生とは絶縁状態にあります」と背が高く、省生によく似た顔の父親、
「絶縁状態?」
「はい」と康介が説明する。省生は高校を卒業すると、家を出て地元の大学に進んだ。学費こそ、面倒を見たが、家を出てから一度も実家に帰っていないと言う。
「一度もですか⁉」茂木は流石に驚いた。
「はあ・・・すいません。あの子は子供の頃から家族を嫌っていたものですから。反抗期――というのとは、ちょっと違うと思います。実は、あの子の妹が発達障害でして、子供の頃は直ぐにパニックを起こしていました。ちょっとでも気に入らないことがあると、断末魔の悲鳴のような声を上げて、手足をばたつかせて暴れるのです。最初は子供特有の嫌々病だと思っていたのですが、ひどくなる一方で、小児科で見てもらったところ、発達障害であることが分かりました。一度、パニックを起こしてしまうと、もうダメです。何を言っても、どうなだめても、落ち着くのを待つしかありませんでした。
そんなだったから、私も母親も、妹に掛かりっきりで、省生のことを放っておいたのが良くなかったのでしょう。あの子、両親から捨てられたとでも思ったのかもしれません。
小学生の低学年の頃から、私どもに対して反抗的になり、子供とは思えないような口調で口汚く罵ったり、家を出て戻らなかったり、手が付けられなくなりました。私どもの眼を盗んで、妹のことを虐めたりしていました。火がついたように泣き叫ぶので、省生が妹を虐めたことが分かる――なんてしょっちゅうでした。それで叱ると、腹を立てて、家を出て行ってしまいます。まあ、子供の頃は、お腹が空けば戻って来たのですが、高校生くらいになると、平気で家を空けるようになりました。
一週間くらい戻って来ないことがありました。それでも、なんとか、大学まで出てくれて、教師になってくれたので、ほっとしていたのです。まあ、結局、それも辞めてしまいましたけど。
美咲さん。ああ、あいつの奥さんですけど、ろくに結婚式も挙げていないようなんです。私どもに結婚したことさえ、教えてくれませんでした。美咲さんが気を使って、一度、省生に黙って挨拶に来てくれました。それで、あの子が結婚したことを知った訳です」
「それは・・・徹底していますね」
「はい。私どもとは縁を切ったつもりなのでしょう。そんな有様ですので、省生のことは、何も知らないのです。すいません。美咲さんが亡くなったと聞いて、びっくりしています」
康介は「ふうう」と大きなため息をついた。
実家では、事件に関連のありそうな話は聞けなかった。康介に礼を言って家を出ると、茂木が「障害のある妹を守ってやとうとは思わなかったんですかね」と嘆いた。
「簡単に言うな。当事者にしか分からないことが、色々ある」柊が妙に常識的なことを言った。
「そうですね。他人が簡単に口を出せることではないのかもしれません」
「ふん。とにかく、これで、あいつの人となりが多少なりとも分かった。正義感とは無縁の自己中、それが、やつの正体のようだ」
「そうですね。どう攻めます?」
「お前なら、どう攻める?」
「自分のことが可愛くて仕方がないのだと思います。やつのプライドを刺激してやれば良いんじゃないですか?」
「ああ、それも良いな」
何時ものことだが、柊は茂木の知恵を拝借するのが上手い。(柊さんなら、梅村省生のプライドをズタボロに引き裂いてくれそうだな)と思うと、茂木は可笑しかった。
梅村省生の取り調べが始まった。
取り調べが始まるなり、省生は、「ああ~刑事さん。妻を殺したのは、私ですよ。まあ、殺したという言い方は正しくありませんがね」と、あっさり犯行を認めた。
「ふん。やはり、お前がやったんだな。奥さんを殺したことを、認めるんだな」柊が念を押す。
茂木は取調室の済で記録係を勤めていた。
「刑事さん。だから、言っただろう。私が殺したって言うのは、正確じゃないって。結果的にそうなったと言うだけだ。あいつが死んだのは、あいつ自身が選択した結果なんだ」
「どういうことだ?」
「まあ、刑事さん。のんびりやりましょうや。警察で取り調べを受けるなんて、初めてのことだからな。貴重な経験だ。すんなり終わらせてしまうのは、惜しい」
「ふざけているのか――⁉」
柊の変わっているところは、こういう時でも腹を立てないことだ。言葉は乱暴でも、怒っている訳ではない。冷静に被疑者を観察している。
「刑事さん、あんたは、人から話を聞き出すプロなんだろう? 私の口を開かせてみなよ」梅村が挑発してきた。柊の闘争心に火がつく。
「梅村さん。あなた、二年前まで、ホームセンターで働いていましたね? 園芸売り場で肥料を売っていたとか?」
「別に肥料だけを売っていた訳ではない。園芸用品全般を扱っていた」
「ホームセンターを辞めてからは、奥さんの収入に頼って生きていた。奥さんに養ってもらっていた訳でしょう?」
「そういう言い方は癇に障るな。ホームセンターを辞めるまでは、私があいつを養ってきた。私が仕事を辞めてからは、あいつが私を養う番だっただけさ。男女平等だよ」
「奥さんも同じホームセンターで働いていましたよね? レジをやっていたとか? 何故、あなただけがクビになったのですか?」
「クビになった訳じゃない。仕事が嫌になって、辞めたんだ」
「ほう~ホームセンターで店長から話を聞いたところ、あなた、その性格ですから、四六時中、お客さんとトラブルを起こしていたそうじゃないですか。お客さんからクレームを受けて、店長、奥さんにあなたをクビにすると伝えたそうですね。すると、『もう一度だけ、あの人にチャンスをあげて下さい』と奥さんが土下座をして頼むものだから、一度はクビにするのを止めたそうですが、それでもまた、懲りずに客とトラブルを起こしたので、クビにした――そう店長が証言していました」
「あいつ・・・余計なことをしやがって・・・」省生の顔色が赤黒く変わった。
「そうそう。あなた、ホームセンターで働く前は中学で理科の教師をやっていたとか?」
「ああ、そうだ。私は理科の教師だった。私のような人間は、大学の研究室で研究を続けた方が世の中の為になるんだがね。生憎、それほど裕福では無かったので、教師になる道を選んだ。まあ、悪くはなかったな。馬鹿な生徒たちに教えている時間は無駄だったが、それ以外では、それなりに好きなことが出来た」
授業が無駄な時間だと言っている以上、まともな先生でなかったことは明白だ。
「その悪くはなかった教師の仕事を、何故、辞めたのですか?」
「うん・・・それはだ・・・」省生が口ごもる。
「教師の仕事もクビになったんですよね?」
「クビ――⁉ とんでもない。私から辞めたんだ」
「そうそう。あなたから辞表を提出したんでしたよね。校長先生から、お願いだから、辞表を出してくれと懇願されてね」
「ふん。経緯はどうあれ、私が辞表を出して辞めたんだ」
「あなた、駅前の商店街で生徒たちに追いかけられて、『わあわあ~』泣きわめきながら、逃げ回ったそうですね。それを大勢の父兄に目撃された。あんな人が先生だなんて、信じられない――と校長のもとにクレームが殺到したそうですね。あなた、中学校の先生でしたよね。あなたを追い回した生徒たちって、中学生でしょう? あなた、まがりなりにも学校の先生だった。中坊に追いかけ回されて、恥ずかしくなかったのですか?」
「あ、あ、あんたねえ~中学生たって、今時の子供がどれだけ発育が良いのか、分かっているのか――⁉ 私は悪くない。あいつらは、はなつまみ者だった。ろくに学校に出て来なかったのに、あんなところで出会うなんて、ついていなかった。『先生、金を貸してくれ』なんて言って、近づいて来やがった。それで、『お前らに貸す金なんぞない。例えあったとしても貸せるか――⁉』と言ってやったのさ」
「その結果、彼らに追いかけ回された訳だ」
ねちねちとした柊の言葉の暴力に、省生は根を上げたようだった。「分かったよ。刑事さん。私の過去なんて、どうでも良い。事件の話をしよう。あんた~キルスイッチって知っているかい?」
「キルスイッチ? なんですか?」
「何だ、知らないのか?」
「知りませんね。教えてもらえますかね?」柊が淡々と言う。
気が短そうに見えて、こういう挑発には乗らない。省生は自供を始めるつもりのようだ。
「バイクなんかのハンドルについているやつだよ。燃料や電源を遮断して、エンジンを停止するためのスイッチだ。走行中にスロットルが戻らなくなったり、転倒したりした時に備えて、エンジンを緊急停止できるようになっている」
「バイクに乗らないもので知りませんでした。それが何か?」
「私はね。キルスイッチを作ったのさ。それもね、生命のエンジンを停止する為のスイッチをね」
「分かるように説明してもらえませんか」
省生は「ふん」と鼻を鳴らすと説明を始めた。「私どもはね、毎朝、朝食前に納豆キナーゼの入ったサプリを飲むことにしている。私はね、どうも納豆が苦手で、それでも体に良いと言うので、サプリメントを飲んでいるんだ。飲んでいると、気のせいか体調が良くなったような気がするから不思議なもんだよ」
「・・・」柊は無言で話の先を促した。話が脱線している。
「最近ね。どうも疲れやすくてね。声が出にくかったり、直ぐに息切れしたり、ぐっすり眠れなかったりするんだ。頭痛もひどくてね、日中は寝てばかりだ。サプリを飲むと、ちょっとだが体調が良くなるような気がした。一度、頭痛がひどい時にね。病院に行って見てもらったんだ。そしたら、もっと大きな病院に行けと言われた。大きな病院に行くと、更に大きな病院に行け――と、病院をたらい回しにされた。腹が立ったね」
「何の病気だったのですか?」
「刑事さん。あんた、筋萎縮性側索硬化症っていう病気を知っているかい?」
「聞いたことがあります。体中の筋肉が無くなって、動けなくなる病気ですよね」
「ああ、まあ、そんな感じだ。最終的に大学病院まで行って、見てもらった結果、その病気だったんだ」
「そうですか・・・」
柊の反応の薄さが気に入らなかったようで、省生は病名を繰り返した。「私はね、筋萎縮性側索硬化症っていう難病を患っているらしいんだよ。筋萎縮性側索硬化症、ALSなんて言ったりもする。不治の病なんだ。やがては自分で呼吸が出来なくなって死んでしまう」
「あなたは不治の病だった。それで、キルスイッチを作ったという訳ですか?」
柊は脱線した話を元に戻そうとする。
「ああ、そうだよ。病名を知ってから、病気のことを調べてみた。それから、色々、考えたんだ。私だって、科学者の端くれだ。この病気がどういうものか理解して、これからどうしたら良いのか、冷静に考えてみたよ。
これから、私は動けなくなる。歩くことが出来なくなり、手足を動かすことさえ出来なくなる。寝たきりになるだろう。妻に頼って生きて行くことになる。だが、うちのはまるで気が利かない。痒いところに手が届かないようなやつだ。それに、あいつが働かないと、収入の道が途絶えてしまう。うちに、高額の医療費を負担する余裕なんてない。あれが四六時中、私の世話だけを焼いてる訳には行かない。動けなくなると、私は一人、放っておかれるだろう。そんなことを考えていたら、目の前が真っ暗になったね」
「そこまで分かっていて、何故、奥さんを殺したんです?」
「最初はね。そんな思いをするくらいなら、死んだ方がましだと思った。そして、山からトリカブトやらドクゼリを取ってきて、毒成分を抽出したんだ。そうしたら、ふと良いことを思いついた」
「良いこと?」
「ああ。キルスイッチだよ。毎朝、飲んでいる納豆キナーゼのカプセルの中身を毒の粉末と交換するんだ。そして、カプセルを瓶の中に戻しておく。
こうすれば、俺かあいつか、どちらか一方がカプセルを飲んで死ぬことになる。ロシアン・ルーレットと言った方が良いかな。毒入りカプセルを飲むかどうかは運次第。運が良いやつが生き残る。どうだい? 面白いだろう?」
「あなた病気なのでしょう? あなた一人、生き残って、どうするのですか?」
「そりゃあ、警察に捕まって刑務所に行くだけだ。人権の問題から、刑務所なら、タダで十分な治療が受けられる。看病だって、二十四時間体制だろう。少なくとも、気の利かないあいつに看病してもらうより良いはずだ。私にしてみれば、願ったり叶ったりだ。
運が悪くて毒入りカプセルを飲んで死んでも、それはそれで良い。死んでも、生き残っても、どちらに転んでも良かった」
「あなたねえ~」流石に柊も言葉に詰まった。
究極の利己主義者が目の前にいた。
「まあ、綺麗に中身を入れ替えたつもりだったけど、それでも、カプセルがちょっとだけ変形してしまった。手に取って見たら、毒入りがそうじゃないか、何となく分かってしまった。はは。ちょっと、ズルをしてしまったかもしれないな」省生は楽しそうに言う。
まるで子供の言い訳だ。
「亡くなった奥さんのことを考えたことは無かったのか――⁉ 奥さんには、生きる権利があった。奥さんはあなたの所有物ではない。あなたに奥さんの生死を決める権利なんてない。いや、誰にもそんな権利なんてない!
あなたが、一人で自殺してくれていれば、奥さんはあなたから解放されて、有意義な老後を送ることが出来た。あなたのような人間から解放されて、せいせいしたはずだ。ひょっとしたら、再婚でもして、今よりも幸せになったかもしれない。奥さんは、死にたくなかったはずだ。あなた、そのことを考えなかったのか――⁉」
強い口調で、柊が問い詰めると、省生は「あっ、ああ~⁉」と初めて気がついたといった様子だった。そして、「権利? そう言われると、そうかもしれませんな。でも、あいつの気持ちなんて考えませんでした。そんなこと、考える必要なんて無いと思っていました。あいつが一人で生きて行くことなんて、想像もしなかったなあ~」と呑気そうに言った。
了
呪い谷に降る雪は赤い 西季幽司 @yuji_nishiki
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