第4話 霊能力者③
④
「助けてください! 悠馬くんがっ! 悠馬くんが消えちゃったんです‼」
所長室のドアを突き破らんばかりの勢いで叩いた。
ここに来て気が付いたが、深夜だしもしや藤原さんは帰宅してしまっているかもしれない。
むしろ、普通であればそうだろう。
そうだとしたらどうしよう……!?
不安な気持ちでいっぱいになった頃、所長室のドアが開き、いつもの無表情でありつつも心配の色を目に浮かべた藤原さんが顔を覗かせた。
「どうしましたか、落ち着いてください」
その顔を見ただけで少し安堵して泣きそうになってしまったが、ぐっと堪えて状況を説明する。
「悠馬くんが……どこかへ連れていかれたんです!」
一刻も早く悠馬くんを助けたかったため思わず早口になってしまったが、できる限り端的にわかりやすく、わたしは先ほど自分の目で見た出来事を話した。
話し終えてみると、自分ですら戯言に感じられるほどだった。
わたしはひどく取り乱しててとても冷静ではないし、あまりにも突拍子もない話だ。
話を聞き終えた藤原さんは考え込むように顎に手を当てて唸った。
この話をどう処理すべきか、彼の頭の中で会議が行われているのだろう。
ほんの数秒のことだったかもしれないが、今のわたしには数分にも数時間にも感じられた。
信じてください、という思いを込めてそんな彼を見つめる。
すると、藤原さんは僅かに口の端を持ち上げて言う。
「もう大丈夫です、水原さん。ちゃんとあなたの話を信じますからね」
よかった……!
まずは信じてもらえた。
まだどうにかなると決まったわけではないのに、藤原さんを頼りにしてよかったと思った。
「ところで、田々井悠馬さんからは何か聞きましたか?」
「え、何かって」
「検査の内容とかです」
「いえ……特に何も」
「そうですか」
藤原さんはそう言うと小さくため息を吐いた。どこか安心したようなため息だった。
今それを聞くことに何の意味があるのだろう。
一刻も早く悠馬くんを助けるために動いてほしいというのに。
混乱気味のわたしの脳でも違和感を覚えた。
そこでふと、藤原さんの後ろに目がいった。
デスクにパソコンモニターが二枚。その奥の壁に六つほどの小型ホログラムモニターがあり、それぞれ研究所内の異なった場所を写している。
研究所の入り口に、廊下、シアタールーム、そしてカフェテリア。
防犯用ならあっても不思議はない。
しかし、今のわたしには引っかかることがあった。
まだ確信ではない。確かめる必要がある。
「すみません、色々なことがあってひどく喉が渇いてしまって……何か飲み物はありますか?」
わたしがそう言うと、藤原さんは「待っていてください。今持ってきます」と言って部屋の奥の方へと歩いていった。
所長室には給湯スペースもあるようで、そこにある冷蔵庫を開けて中を確認していた。
わたしはその隙にモニターのところまで移動し、パネルを操作する。
「申し訳ありません。ペットボトルのお茶くらいしか……何をしているのですか?」
藤原さんが冷蔵庫の戸を閉めながら、鋭い眼差しを向けてきた。
「四日間くらいですが、わたしは毎日悠馬くんとカフェテリアで話をしていました。この日もそうです」
わたしは一つのモニターを指差した。そこにはカフェテリアの映像が流れている。
30席ほどあるカフェテリアの隅の方に腰掛けるわたし。
この日のこの時間、わたしの隣には悠馬くんがいたはずだが、そこには黒い靄のようなものの塊が人間の形を作っていた。
恐らく藤原さんにはこの靄の人間が見えてないだろうが、理解したように何度も頷いた。
「映像で見ると幽霊かどうかわかる、でしたね」
そう、悠馬くんは、出会った時からすでに幽霊だったのである。
藤原さんはわたしに他の被験者と会話をするなと言った。カフェテリアの映像を見ていたのなら、わたしと悠馬くんが近くにいるのを見て注意をしたはずである。
だが、しなかった。藤原さんには悠馬くんが見えていなかったから。
「悠馬くんは、ここで亡くなったんですか? まさか……っ!?」
悠馬くんは恐らくこの場所に縛られた幽霊だ。となると、もしかすると悠馬くんはここの人たちに……!
わたしの中で嫌な予感が次々と湧いてきた。
すると藤原さんは降参だというように深くため息を吐いた。
「あー、余計なことを喋られる前にと、霊媒師を呼んで祓ってもらったのが裏目に出ましたね」
「悠馬くんに何をしたんですかっ!」
藤原さんはわたしの問いに答えなかった。
しかし、出揃っている情報だけでもう充分だった。
「今確信しました。ここに来て、様々な薬を投与され、検査を受けてきましたが、力が弱まっている感覚はしなかった。むしろ、幽霊の声を今まで以上にはっきりと聞くことができていた」
今までのわたしであれば、さすがに何時間も話していたら幽霊かもしれないと思った。
だが、悠馬くんと話していて幽霊だと疑ったことは一度もなかった。
わたしの霊能力がここ数日で強まっている証拠である。
「わたしの、いいえ……”霊能力者(わたしたち)”の力を強めようとしてますね?」
「さすがに気が付かれてしまいましたか」
藤原さんはひどく歪んだ笑みを浮かべて続ける。
「幽霊は科学で証明された。しかしですね、この12年間で実はあまり霊磁分野は進歩していないんですよ。正直なところ、これから大きく伸びるとも思えない。霊磁研究を抑制するような法案なんてものが提出されたりしたらなおさらです」
いつもは抑揚のない喋り方をする藤原さんだが、この時ばかりは違った。
徐々に大きく、熱のこもった声へと変わっていった。
「したがって、私は霊能力者に目を付けた。霊能力者の力を強めることで、狙った幽霊を確実にその場に降ろすことができる――降霊術ができると思ったんですよ。それは確実に、霊磁分野にとって大きな進歩だ!」
「そのためにわたしたちは礎になれと?」
「光栄なことだと思いませんか?」
きょとんとした顔で訊ねてくる藤原さん。素で疑問に思っているような表情だ。
その反応がわたしの気を強く逆撫でた。
「思うわけないでしょっ!」
悠馬くんは、こんなやつのために騙されて犠牲になったというのだろうか。
許せない……。
「もう一度訊きます。悠馬くんに何をしたんですか……?」
「霊能力を強めると、霊能力者はあっちの世界に触れることができるようになる。しかし同時に、あっちの世界も霊能力者に触れることができるようになるみたいでしてね」
藤原さんはにこりと笑って言う。
「連れていかれてしまうみたいなんですよ」
「このっ!」
燃えるような感情に体が勝手に動かされ、気が付けば藤原さんに駆け寄り胸倉を掴み上げていた。
今すぐにこいつを殺してやりたい……! 苦しめてやりたい……!
「悠馬くんは霊能力を消して、叶えたい夢があったんですよ……そんな純粋な子どもをよくも…………それにご両親だって」
「ん? ああ、田々井さんのご両親ですね。お子さんが向こうの世界に連れていかれたことを説明すると、ほっとしていましたよ。きっと不気味がっていたんでしょうね。あ、もしかしたらあなたもそうだったんじゃないで――」
その瞬間、視界から藤原さんが消えた。
かと思えば、凄まじい衝撃音が鳴り響いた。
音のした方へ目を向けると、藤原さんの体が冷蔵庫へと叩きつけられていた。
「――ぐがっ!」
あまりに突然の出来事。
けれども、わたしには、何が起こったのか理解できた。
これは”わたしが望んだこと”だったから。
「今のはっ……」
藤原さんはよろめきながら白衣のポケットから何やら小型の装置を取り出して確認する。
その途端、彼は大きく目を見開いた。
「なんだこの数値は……」
そして口と耳が繋がりそうな勢いで口角を持ち上げた。
「ああ、素晴らしい……今あなたは無数の幽霊を呼び出していますね! あなたは成功体だ!! ついに成功したんだ!」
そう、今わたしの周りには数えきれないほどの幽霊がいて、それらによって禍々しい黒い渦ができている。
さっき藤原さんを突き飛ばしたのも”この子”たちに頼んでやってもらったことだ。
「あなたの名前は霊磁史に残る! もちろんこの私も! さあ、一緒に――」
「……ちぎって」
わたしがそう呟いた瞬間、ベチョっという気持ちの悪い音とともに床に何かが落ちた。
「へ……?」
藤原さんが唖然とした顔でその何かを見る。
それは腕だった。
見覚えのある腕だったのだろう。
冷や汗をたらたらと流しつつ、今度は自分の腕を確認する。
しかし、そこに腕はなく、肩からは滝のように赤黒い液体が流れ出ているだけだった。
「ぁああああああああああああ痛いっ痛いいいいぃ!」
落ちたものが自分の腕であると認識した瞬間、藤原さんが痛みに悶え、床に転げまわった。
相当苦しそうだが、まだだ。
悠馬くんが味わった苦しみや絶望はこんなものではない。
「こんなことができるなんて、お前たち霊能力者は、人間ではないっ! 化け物だ‼ 化け物を利用して何が悪い!?」
猛禽類のような鋭い目で睨みつけてくる藤原さんを見下ろしながら、わたしは呟く。
「つぶして」
「やめっやめろ――」
わたしの言葉から、藤原さんは次に自分の身に何が起こるのか悟ったようで、ぎょっとした顔で残ってる左手をこちらへと伸ばしてきた。
だが、次の瞬間、その左手は消えてしまった。いや消えてはない。
腕だったものが床に薄っぺらい赤い塊となって張り付いていたのだ。まるでプレス機によって潰されたかのように。
また藤原さんが泣き叫びながら床に転げまわる。
これで終わりではない。
わたしが彼の足に目を向けると、左腕と同じようにして両足も潰れた。
「――あぁあああああああああっもうやめ、やめてください」
手足がすべて無くなり、もうのたうち回ることもできないようだ。
そもそも、もうその体力も残っていないのか。
確かに、どのみちそろそろ出血多量で気を失ってしまいそうだし、終わりにしてあげよう。
「たべていいよ」
「は……?」
渦巻いていた幽霊たちが一斉に藤原さんに跳びかかる。
ここにいるのは人間の幽霊だけではない。獣や虫の幽霊、ありとあらゆる恨みや憎しみを抱えた幽霊たちがその気持ちを解放しにやってきたのだ。
藤原さんの残った身体のあちらこちらがスプーンで削り取ったアイスのような形に消え去り、凄まじい量の血が流れ出てきた。
誰かが喉をかき切ったのだろうか。あるいは死んでしまったのだろうか。もう声も聞こえない。
わたしはくるりと振り返り、隣の幽霊――悠馬くんと手を繋いだ。
「いっしょに……いこうね」
たくさん話した二人の夢。研究所を出たら何をしようかということを一つずつ叶えていこうね。
わたしたちは所長室を後にし、研究所の外へと向かった。
道中、通りかかった警備員や研究室で作業をしていた研究員など、幽霊たちによってみんな彼岸花のように鮮やかな血しぶきをあげていった。
だって、この世界には”わたしたち”以外不要なのだから。
ああ、どうしよう、これからが楽しみで仕方がない。
最初はどこに行って何をしよう。
そうだ、まずは悠馬くんのご両親に挨拶に行かなきゃ。
わたしと悠馬くんは二人、笑い合いながら外の世界へと踏み出した。
第4話 霊能力者 ―了―
幽霊が科学で証明された世界 海牛トロロ(烏川さいか) @karasugawa
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