第4話 霊能力者②
③
研究所に来てから十日目。
ここ数日間、わたしは毎日悠馬くんと会って話をした。
最初は映画を観ながら話すだけだったが、意外にも研究所の人に見られてないと分かってからはカフェテリアでも話をするようになった。
といっても、隣り合ってではなく、背中合わせに別々のテーブルに座ってだが。
わたしはあと四日でこの研究所と結んだ契約期間が終わるが、悠馬くんはあと二日だけらしい。
つまり、悠馬くんはわたしより二日先にここへ来ていたそうなのだ。
あと二日でお別れなのは寂しいが、日常に戻っても連絡を取り合えたらいいなと。
互いに大変なことはたくさんあるだろうが、これから励まし合っていければいいなと思っている。
だから、わたしたちは研究所を出てからの話もたくさんした。
何を食べたいとか、どこへ行きたいとか、何をしたいとか。
「へえ、悠馬くんは野球選手になりたいんだね!」
「うん……でも、あんまり練習に行けてなくて。チームのみんなも、僕が変なやつだって思ってるから……」
悠馬くんの声のトーンが段々と落ちていった。
カフェテリアの椅子に背中合わせに座っているので顔は見えないが、どんな表情をしてるかくらいその声でわかる。
不意にフラッシュバックする小学校時代の自分。
クラスのみんなからわたしは変人扱いされていた。
こういう時、男子よりも女子の方が残酷なまでに異物に関わらないようにしようとするのだと思う。わたしはクラスの中で常に一人だった。
休み時間に話す相手なんていなかったし、登下校も一人。ペアを組もうとしてもあぶれ、誰もわたしに話しかけようとすら思わなかった。
なんでもないふりをしていたが、そんな毎日が、一時間が、一秒が、ゆっくりとだが着実に、わたしの心を鋭いナイフで切り裂いていた。
望んでもない一人は、つらいよね。
悠馬くんも本当に毎日学校で頑張ってるんだね。
そんな思いを込めつつ体を半分だけ彼の方へ向け、周囲に研究員の目がないことを確認しながらそっと頭を撫でてあげた。
それから体を戻し、あえて明るい声で訊ねる。
「憧れの選手とかいるの?」
「うん! 小谷浩平とか、鈴木次郎とか。特に小谷はすごいんだぁ。打っても投げてもスーパープレイの二刀流なんだよ」
悠馬くんは元気いっぱいの声で返してくれた。
よかった。好きなことを考えて、嫌なことが一瞬で吹き飛んだようだ。
「小谷さん、毎日のようにニュースで見るけどほんとすごい選手だもんね」
「あ、そうだ、お姉ちゃんにだけ見せてあげる」
悠馬くんが体をこちらに向ける気配がしたので、周囲に目がないことを窺いながら、わたしもまた少しだけ体の向きを変えた。
「みてみて」
「野球選手のカード?」
悠馬くんの手の中にはきらきらと輝くカードが数枚。ユニホームに身を包んだ野球選手たちの打ったり投げたりする姿を写している。
「そう、集めてるんだ。これとかすごくレアで、ネットで一枚5万円くらいで売ってるんだよ」
「え、5万円!? じゃあなかなか当たらないんだね! それを当てたの?」
「そうだよ~!」
自慢げにえへへと笑って見せる悠馬くん。
あまり見られない彼の年相応の表情に、わたしまでつられて口元が緩んだ。
そこでふと悠馬くんがはっとした顔になり、壁にかかった電子時計を見た。
そして、顔色を曇らせて言う。
「あ、いけない。そろそろ検査の時間だ」
「そっか、検査頑張って。早くこの力を消して、野球の練習頑張んなきゃね」
「うん……あのね、お姉ちゃん」
「ん?」
「また、話せるよね?」
どこか不安げな面持ちでそう訊ねてくる悠馬くん。
確かに悠馬くんは今日を抜いてあと二日でこの研究所を後にするが、それまではこうして会うことができる。
何も心配することはないよ。
そういう気持ちを込めて、悠馬くんの頭をそっと撫でつつ優しい声音を意識して言う。
「うん、もちろん。また明日一緒に映画見てここでお茶しよう」
すると、悠馬くんの顔が一気に晴れた。
「またね! お姉ちゃん」
そう言い残して検査室の方へとかけていく悠馬くんの背中を見送った。
明日はどんなことを話そうか。
本当は最終日にするつもりだったが、悠馬くんを安心させるためにもわたしの連絡先を渡してしまおうか。
そんなことを考えつつ、わたしは紙コップに残っていたコーヒーを飲みほした。
しかし、次の日。
悠馬くんはシアタールームにもカフェテリアにも姿を現さなかった。
そのさらに次の日、悠馬くんが被験期間を終える予定日。
この日も、悠馬くんの姿を見ることはなく夜になってしまった。
おかしい。
もしかしたら、予定より二日早く悠馬くんの被験期間は終わったというのだろうか。
いや、だとしたら彼のことだ。きっとわたしに別れを告げてから去るはずである。
もしそれが不可能だったとしても、書き置きか何かメッセージのようなものを残すと思う。
シアタールームにもカフェテリアにも、そんなものは見つけられなかった。
脳裏によぎる昨日の悠馬くんの表情。
不安げに「また、話せるよね?」と訊ねてくる彼の顔。
具体的に何が起こったとかは分からないが、わたしの中で嫌な予感が芽生えだした。
悠馬くんの身に、何か良からぬことが起こったのではないか、と。
その予感は数分の内に大きく成長し、わたしは居ても立ってもいられなくなり、自分の部屋を飛び出した。
ここへ来てから十二日間、検査を受けたり散歩をする中で研究所内のマップは大体頭の中に構築されている。
そのため、悠馬くんの部屋の位置の目星はついていたのだ。
間もなく日付が変わろうかという研究所内は、昼間とはまるで違う景色に見えた。
真っ白な壁で明るい印象のある廊下は、窓がなく消灯時間を過ぎていることもあって薄暗く、人通りが全くないことで廃墟のような寂しさを感じた。
こういう場所には大抵一人や二人、幽霊の姿があるものだが、それすらもない。
変な話かもしれないが、わたしにはそれがひどく不気味に思えた。
転ばないように注意しつつ長い廊下を進んでいくと、ある部屋の前にたどり着いていた。
「ここだ……」
悠馬くんの部屋の正確な位置は知らなかったが、なんとなくその部屋だと分かった。
ドアの造りがわたしの部屋のものと同じだし、不思議とこの部屋の中から悠馬くんの気配のようなものを感じられたから。
きっと施錠されているだろうと思いつつ、ダメ元でドアに手をかけてみた。
「……開いてる」
この研究所の部屋は、シアタールームを除いてすべてオートロックになっているはずなのに。
違和感を覚えつつもドアを開け、中の様子を窺ってみる。
「っ!?」
部屋の中は廊下よりも暗く、最初は何があるのかさえ分からなかった。
しかし、暗さに徐々に目が慣れてきて、廊下の常夜灯に薄っすらと照らされた室内が見えてきた時、思わず息を呑んだ。
内装自体は恐らくわたしの部屋と同じだろう。
だが、もはや原型を留めぬ域で荒れ果てていたのだ。
獣にでも引き裂かれたかのようなソファやシーツ。
黒い液体のようなものが飛び散った壁。
そして床には、引きずり回されたかのような血の跡。
一体ここで何が……!?
まさか熊や猪などの獣が入ってきたとか……?
いや、研究所の入り口は厳重なセキュリティで守られているし、もし侵入できたとしてもこんな奥の部屋を狙うのはおかしい。
じゃあどうしてこんな惨状に……!
「……っ……る…………」
微かだが今、悠馬くんの声が聞こえた気がした。
「悠馬くん……!? どこにいるの! 悠馬くんっ!」
わたしは迷わず部屋に飛び込み、悠馬くんの姿を探した。
必死で目を凝らすが、暗すぎてすぐには見つけられない。
「……いつ…………るあ……」
また悠馬くんの声がした。
今度は声の方向が大体分かり、すぐにそちらの方へと駆ける。
倒れた椅子に足をぶつけ、壊れた家具の端で腕を切ったが、全く構わない。
一刻も早く悠馬くんの安否を確認したかったのだ。
「悠馬くん……!」
そしてついに、ぼんやりとではあるが、部屋の隅に座り込んだ子どものシルエットが見えた。
間違いない。悠馬くんだ!
急いで彼の元へと駆け寄った。
「悠馬くん! 大丈夫!? 怪我してない!?」
悠馬くんの手や足、腹部などを確認するが、どこにも怪我らしきものはない。
よかった。異常はないようだ。
……いや、異常はあった。
悠馬くんは怯えた表情でガタガタと震え、その目は少し離れた床に向けられていた。
しかしその目は床ではなく、得体の知れない恐ろしいものを目の当たりにしているようにカッと見開かれている。
よほど怖い目にあったのだろうか。ひどく老けて見える。
「悠馬くん……?」
「……あいつがくる……」
「え?」
「あいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくるあいつがくる――」
「悠馬くん! どうしちゃったの、ねえ悠馬くんっ!」
悠馬くんはガタガタと痙攣する顎の動きに合わせて、歯を激しく打ち鳴らしながら何度も同じ言葉を繰り返した。
揺すっても声をかけても反応はまるでない。
そもそもあいつとは一体……!
「あいつがくるあいつがくるあいつが……」
唐突に悠馬くんの震えが止まった。
それとともに、その声も停止。急に訪れた無音。
そこで悠馬くんの目が、ようやくわたしを捕らえた。
今の今までわたしの存在には気付いていなかったかのように、そして何が起きてこの状況になっているのかも知らないかのごとく、きょとんと首を傾げる。
「……お姉ちゃん?」
「よかった、悠馬くん……!」
安心したのも束の間、わたしは違和感を覚えた。
両手で掴んだ悠馬くんの肩、その下の腕の位置に青白い何かがある。
「え、なにこれっ!?」
その青白い何かは、年老いた人間の手のように骨ばって皺がある手だった。
それが、闇の中から伸びて、悠馬くんの腕を掴んでいたのだ。
これは人間の手ではない……!
わたしは一瞬でそう察した。
肘の関節が闇の中に紛れて見えないが、普通の人間の腕のサイズであれば、どう考えても見えるはずなのだ。
この腕は、少なくとも3メートル以上はあると考えられる。
すると次の瞬間、闇の中から無数の同じ腕が伸びてきて、悠馬くんの腕を足を首を掴んできた。
わたしは急いでその腕を振り払おうとするが、遅かった。
悠馬くんは悲鳴を上げながら、その無数の腕によって闇の中へと引きずり込まれてしまったのだ。
「悠馬くん‼」
咄嗟に追いかけて、どうにか悠馬くんの手を掴むことができた。
ぐっと踏ん張って、悠馬くんを連れ去ろうとする腕の力とどうにか拮抗する。
ふと、悠馬くんの背後に目を向けると、そこには信じられない光景があった。
さっきまで悠馬くんがいた場所とは反対側の壁。そこが腐り果て朽ちたかのように穴が空き、ドロッとした赤黒い液体がこぼれ出していた。
そしてその穴から、先ほどの無数の腕が伸びて悠馬くんを掴んでいるのだ。
穴の中に引きずり込まれたら、絶対に帰ってくることはできない。
初めて見るものなのに、それだけはなぜかわかった。
「お姉ちゃんっ! 苦し……い……たすけて……」
「だい……じょうぶだからねっ! お姉ちゃんが、必ず助けるから……!」
悠馬くんのつらそうな表情。今すぐにでも助けたい。
けれど全身に力を込めても、悠馬くんは少しずつ穴の方へと引きずられていっている。
このままじゃまずい……!
誰か助けて!
とうとう、悠馬くんの下半身が穴の中に入ってしまった。
どんなに力を込めても状況はまるで変わらない。
それどころか、ずっと全力で力を込めていた疲労のせいで、加速度的に悠馬くんが穴の中へと呑まれていく。
あまりの無力感に涙がこぼれた。
神様お願いします。何でもしますから今すぐこの子を助けてください。お願いしますっ!
このままではわたしも穴の中に飲み込まれる。
だが、最後に奇跡が起こると信じて、諦めたくなかった。諦めらなかった。
それに、もしそうなるのなら、それでもいいと思った。
ずっと一人ぼっちの人生だった。見せかけの友達はいても、どうせ理解してくれないからすべては話せない人たち。
そんなわたしの人生にできた唯一の理解者であり、友達と一緒に死ねるのならそれも本望だ、と。
「悠馬くん、ごめんね……守れなかった。でもお姉ちゃんも一緒に行くから、安心してね。独りにはしないからねっ」
泣きながらそう言うと、悠馬くんも泣きながら大きく首を横に振った。
そして、ぼろぼろと涙を流しながらも、優しく微笑んで言う。
「お姉ちゃんは……ここから逃げて」
トン、と肩に衝撃が走った。
悠馬くんがわたしを突き飛ばしたのだ。
想定外の出来事に、思わずわたしの手が悠馬くんから離れてしまう。
「だめっ! 悠馬くん‼」
「ありがと――」
引き留める力を失った悠馬くんは、穴の中へと吸い込まれてしまった。
悠馬くんを吞み込んだ穴と無数の手は、まるで目的を果たしたと言わんばかりに一瞬にして跡形もなく消えた。
そこにはもう部屋の壁しか存在しない。最初から何もなかったかのように。
「そんな……悠馬くんっ、悠馬くんはどこに……っ!?」
慌てて穴のあった壁を触ったり叩いたりしてみるが、また穴が開くことは愚か、びくともしなかった。
それは何の変哲もないただの壁だった。
わたしはその場に崩れ、激しく叫んで嗚咽した。
悔しい。
悠馬くんを守れなかったことが。逆に守られてしまったことが。
胸が痛い。苦しい。
まるで、大切な友達を失ったことの悲しみが氷の刃となって胸に突き刺さっているようだ。
誰かを失って、こんなにも胸が痛くなるなんて。
一緒に過ごした時間は短かったが、ここまで悠馬くんはわたしにとって大きな存在となっていたのか。
ひとしきり泣いた後、不思議と頭が冴えたかのような感覚がした。
徐々に冷静な思考が戻ってくる。
よく考えればおかしい。こんなこと起こるはずがない。
いや、そもそもおかしいのは幽霊が見えるわたしたちのような存在だ。
さらに言えばここは、そんなおかしな人間を研究する施設なのである。
それならば、普通では想像もつかないことも起こりえるのかもしれない。
あるいは何か手がかりがあるかも。
所長……藤原さん。藤原さんに聞けば何かわかるかもしれない。
悠馬くんを助け出す手段が何か……!
わたしはすぐさま立ち上がって、廊下へ飛び出し、所長室へと走った。
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