第44話:もし彼女の人生を変えられるのなら
「……あ、あれ?」
気が付いたら、何故か俺は小高い丘の上にいた。
空は雲ひとつなく澄み渡り、気持ちのいい風が吹いている。
眼下を望むと青々とした芝生が広がり、一本の道が曲がりくねりながらどこまでも続いてた。遠くには太陽の光に煌めく海も見えた。
ってか、一体ここはどこだ?
こんな天国か、はたまた車のCMに出てくるような場所なんて、全く見覚えがない。
そもそもなんでこんなところに来ることになったんだ。
俺は確かさっきまでラブホで……。
そうだよ! 俺、ラブホで徳丸と戦っていたんじゃないか!
篠原たちの侵入がバレて、別荘へ向かおうとするあいつをなんとか引き留めようとして襲い掛かったら、逆に灰皿で思い切り頭を殴られて……。
思わず殴られた部分を手で触る。
痛みはない。たんこぶにもなっていない。でも、その事実がかえって不安にさせる。
もしかしてマジでここは天国で、俺は死んじまったってコトか!?
おい、勘弁してくれ神様!
俺は篠原と約束したんだ、いつまでも一緒にいるって!
俺は死んじゃいない。
死んでいてたまるか。
そう自分に言い聞かせるように何度も繰り返しながら丘を下る。
なんで俺がここにいて、ここがどこかなんてどうでもいい。とにかく今からでも徳丸の別荘に行かなきゃ。まだ篠原たちが殺されずにいるのなら、俺がなんとかして助けてやらないと。
丘を降りて道に出た。が、ここで少し困ったことになった。
どっちに行けばいいのか分からない。
スマホで調べようにもどこかで落としてしまったらしい。というかその時になって初めて、俺がまだゴスロリ衣装を着ていることに気が付いた。
ここがどこか分からず、どっちに行けばいいのかも見当がつかず、しかも女装したままとか。
なんだよこれ、ヒッチハイクでもしろっていうのかよ。
と思っていたら、一台の車がこちらに向かってくるのが見えた。
なんてご都合主義なとは思うものの、これを利用しない手はない。道の真ん中に立って、ドライバーへ両手を振る。
「……ん?」
道は多少蛇行しているものの、見晴らしのいい一本道だった。
絶対ドライバーは俺に気付くはず。
「おいおいおいおいおいーっ!」
なのに車は全くスピードを落とすことなく向かってくる。
ちょっと待て、女の子が道のど真ん中に立っているのが見えたら、普通はスピードを落とすもんだろ。
というか、女の子じゃなくても人間だったら、いや人間じゃなくても生き物だったらまずは車を止めるだろ、常識的に。
にもかかわらず、車はいっこうにスピードも緩めなければ、こちらを躱す様子も見せずにどんどん近づいてくる。
もしかしてドライバーは居眠りしてるんじゃないか?
あるいは周りの景色やスマホに夢中で、前を向いていない?
とにかく俺の存在にドライバーは気付いてなくて――
いや、そもそも俺が見えていないんじゃないか?
やっぱり俺は死んでいて、この体は幽体で、誰も見ることができない。
そう、車の運転者だけじゃなくて、篠原にさえも……。
「……いや、違う! そうじゃない!」
呆然とする俺の側を、車が猛スピードで通り過ぎる。
風でウィッグが吹き飛ばされた。次いでワンピースがふわりと浮き上がる。股間を押さえることもなく、なすがままに任せると、やがてゴスロリ服が頭からすっぽりと脱げて飛んで行った。
青い空にゴスロリ服が溶けていく。
その様子を見送ることなく、いつもの姿に戻った俺は車を追いかけ始めた。
「そうか! そういうことかっ!」
普通なら猛スピードで爆走する車に追いつけるわけがない。
だけど今の俺はきっとなんでもできる。事実として走っていたはずが、いつの間にか空を飛んでいた。
風を切る音がごうごうとうるさい。構わずスピードを上げる。あっという間に車との距離が近づいてきて、運転手の後頭部が見えた。
この人に話しかけなければいけない。今からやろうとしていることを、俺はやめさせないといけない。
さらにスピードを上げ、車と並走した。ドアに手をかけようとしてやめる。開けるのは面倒だ、そのままドアをすり抜けて飛び込んでやれ。
案の上、衝撃もそれすら衝突音もないまま、俺は車内にお邪魔することができた。
そこは静かな空間だった。
音楽の類はかけられてなかった。ただかすかにエンジンや路面を走るタイヤの音が聞こえてくるだけの、なんとも穏やかな世界。助手席の前に飾られた写真立てには幸せそうな家族が映っていて、運転手はその写真そのままの穏やかな笑顔を浮かべてハンドルを握っていた。
俺には分からなかった。
なんでこの人は、こんな時にそんな表情でいられるのだろう?
だってこの人は――。
「やめろ! 考え直せ、篠原のおじさん!」
さっき車とすれ違った時に見えた運転手の顔。.
初めて見る顔だったけど、一瞬で分かった。篠原のお父さんだって。
目とか鼻とかひとつひとつのパーツは全然違うし、雰囲気もまるで異なる,。でも、魂の形というか受け継いできた遺伝子というか、とにかく絶対にそうだって確信できるものがあった。
そしてもうひとつ、瞬時に理解できたことがある。
ここは現実じゃない。
だって篠原のお父さんはもう死んじゃっているはずだから。
そのお父さんがこうして生きて車を運転しているシーンに遭遇するんだから、そりゃあもう現実ではありえない。俺も空を飛べたり、ドアをすり抜けできたりと万能感半端ないしな。
もっともだったらここはなんなんだと言われても分からないとしか言えない。
死後の世界かもしれないし、夢の世界かもしれない。
だけどそんなことはどうでもよかった。ここは篠原のお父さんがひとりで海岸線をドライブしている世界。だったら俺がやるべきことはひとつしかなかった。
「やめろ! やめてくれ! 自分の保険金で借金を返そうなんて、そんなことをして残された篠原が喜ぶと思っているのか!」
ここで篠原のお父さんを心変わりさせても、現実の世界に影響があるのかどうかは分からない。
もしかしたら何にも変わらないのかもしれない。
それでももし、万が一にも篠原の人生を変えることができるのなら、試してみる価値は大いにある。
「お金なんて生きて働いていたらいつかなんとかなるじゃねぇか! でも死んじまったらそこで終わりだ! 話すことも、抱きしめることも、おはようの挨拶も、何か辛いことがあって泣いているあいつを励ますことだって出来ないんだぞ!」
「…………」
「篠原があんたの死をどう思っているかは知らない。でもあいつのことだ、きっと今もなんとかできたんじゃないかって後悔しているに違いないんだ!」
「…………」
「あんた、実の娘にそんな思いをずっと背負わせていいのかよ!」
「…………」
懸命に声をかけるもダメだ、全く反応がない。
ヒッチハイクで無視されたから想像はついたけれども、俺の姿も声も届いていないらしい。
「だから自殺なんて馬鹿なことはやめろ! やめてくれ!」
けれど呼びかけるのをやめない。やめられるわけがない。
俺の声に反応なんかしてくれなくても、せめて虫の知らせめいたものでも感じて少しでも考え直してくれたらと、ひたすら呼び掛けた。
すると不意に篠原のお父さんの表情が少し和らいだように見えた。
もしかしたら声が届いたのだろうか。
そう思った瞬間、お父さんは車のアクセルをさらに踏み込んだ。
「初、茜……」
そして篠原と篠原のお母さんへ祝福とふたりへの感謝の言葉を残して、車はガードレールを突き破って眼下の海へと飛び出していった。
☆ 次回予告 ☆
その世界で何も出来なかった少年。
しかし世界はさらにもうひとつの過去を見せる。
一体少年に何をさせようとしているのか。
次回、第45話『俺に任せろ!』
この小説は今回と次回に限り現代ファンタジーのジャンルとなります。
次の更新予定
高校生が五万円でやったこと タカテン @takaten
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