第7話 最後の舞台
1
タケヤ親子の舞台、今日10日目で最後になる。たかがキャバレーの出し物に過ぎないけれど、客の受けは良くて、結構な評判を呼んでいる。そこでマネージャーは、5日目から私製の立て看板を店の表に出した。社長は、もう少し長く続けてほしいと話を持っていったが、ラッセル氏は、息子の負担が大きいからという理由で断った。そもそも、遅い時間に子供を働かせるということ、昭和のこの時代でも、当局の目は厳しくなってきていた。それで、予定通り今日が最後の舞台になった。
私は毎日天井桟敷で見ていた。罪人の首が落ちるトリックも知っている。罪人の首を断頭台に乗せた後、執行人が大仰な動作で上の板をあてがう時、タケヤはスルッと首だけ抜いてしまう。実に簡単なトリック。暗い舞台だから出来ることだ。
2
その日の昼食を済ませてから、私とタケヤは、いつものように裏階段にいた。
今日の舞台が終わったら、タケヤたちは、隣町へ帰ってしまう。もう、タケヤに会えなくなる。住所はお母さんが訊いてたから、手紙なら出せる。でも、女の子同士ならともかく、男の子のタケヤが手紙なんて、とても想像できない。それに、それ以前に、これでお別れになることは嫌だという思い、それを、私は、伝えられていない。
タケヤが同じ気持ちでいてくれるかどうかなんて、確かめてないし、確かめられるわけがない。もう…どうする
それは……それは、とても辛かった。
いつになく二人は、というか、私の方が、今日は黙り込んでいた。私が話さないので、タケヤの方が仕方なさそうに口をひらいた。
「今日が最後なんだよ…俺たちの舞台」
「………………………」
「知ってた?」
「うん、知ってる」
「そうか…………」
私が黙り込んでいるのは、ある一つのことが、私の頭の中で渦巻いていたから。
それは、今日の朝のこと。お母さんが買い物に出てる時、厨房の脇の階段にいた。
そうしたら、サユリさんと小雪さんが話すのが聞こえてきた。
「久しぶりよねえ…『
「うん……たまには使いたいよね。『琥珀の間』…」
「琥珀の間」は、瀬戸屋の三階の奥にある特別な部屋で、社長の大事なお客さんが来た時とかに使われる部屋だ。そのほかにも、それなりの事情があると、ホステスが使わせてもらうことがある。ホステスとお客さんの、大人の使い方だ。そのことは、私もうっすら知っている。でも、小雪さんがサユリさんに尋ねた次の言葉を聞いた時、私は、血の気が引く思いがした。
「アイナちゃんだったの?」
「そう」
「あの外人さんと?」
「そうみたい。まあ…分かってたけどね……」
お母さんが?……タケヤのお父さんと? 私は、耳がキーンとしている。
確かに、縁日の時も二人はいい感じになっていた。でも、あの雰囲気は、お母さんの、ホステスとしてのサービス精神だと思ったし、お母さんは、そういうノリの人だったから……まさか、本当にそんなことするなんて………。
今朝、お母さんは、ずいぶん早く起きた。「厨房の掃除がしたいから、早く店に行く」と言った。私は「一緒に行く」と言ったけど、「朝ごはん前に戻るから」と言って出ていった。あれがそうだったんだ………。
午前中私は立ち直れなくて、ずっと「桔梗の間」で寝ていた。色々なことで、頭の中がごちゃごちゃになってた。タケヤは、きっとあすの朝には行ってしまうだろう。そして、大好きなお母さんが、タケヤのお父さんとあんなことを………。最悪のことばかり。いいことなんて、一つもない。………でも、その時、私の頭の中で、不思議な糸がつながった。
もし、もし、お母さんが、タケヤのお父さんとそんな関係になったのなら、私達は、私とタケヤは、まだ、何処かでつながっていられるかもしれない。ひょっとしたら、本当の家族になれるのかも………。
悪魔の囁きとしか思えなかった今朝の出来事、もしかしたら、天使の囁きかもしれない。私はガバっと跳ね起きて、天井の上の「うなぎの間」にいるタケヤを思った。
そして今、こうしてタケヤと裏階段にいるんだけど、やっぱり、二人になると、何も言えなかった。ましてや、自分たちの親が、そんなことをしてしまった関係だなんて言えない。タケヤが、その辺の大人の事情のこと、どの程度知ってるのか分からないし。
タケヤが、あんまり私が黙ってるので、めずらしく私の方を向いて言った。
「今日は、なんも言わないね……」
「だって………あした、行っちゃうんでしょ?」
「………ああ………」
タケヤの方から、「また会えるよ」って言ってほしかった。でも、言わなかった。タケヤの様子から、きっとタケヤは、あの事を知らない、と思った。
今、何も言わなかったら、ほんとうにこれきりになってしまう。でも、大人の事情に乗っかるつもりはない。私は、私の言葉で言いたい。
「ねえ………また、会えるかな」
「ああ………」
少し間はあったけど、思いがけないタケヤの言葉が返ってきた。
「また、会いたいね………」
ふわっとしたトキメキが私を包んだ。
「うん、会いたいね………」
やっとの思いで答えたけど、もう、それ以上は何も言えなかった。あのタケヤが、私に「会いたい」と言ってくれるなんて………。
その時、私はちょっぴり舞い上がってしまったのかもしれない。思いがけないことを言ってしまった。
「ねえ、私たち、家族になったらどうする?」
「えっ?家族?どういうこと?」
「つまり、さあ……私のお母さんと、タケヤのお父さんが……」
「結婚するってこと?」
「そう………」
「なんで、そう思うの?サクラのお母さん、何か言ってたの?」
「ううん、何も言ってない」
「じゃ、なんで?この前、縁日の時、仲良くしてたから?」
「それだけじゃなくってね。もう、二人は、大人の関係になってしまったの」
「えっ?なにそれ……つまり、男と女の、ってこと?」
「そう」
「うそだろ……」
「ほんとみたい」
「どうしてだよ。どうして、そんなことが言える?いつ、そんなことしたんだよ」
「今朝、ほら、3階の奥に『琥珀の間』っていうきれいな部屋があるでしょ、あそこで。今日、ホステスさん達が言ってたの」
「…………………」
タケヤは、頭に手をやって、呆然と前を見ている。私としては、二人の親たちの出来事を、いい方向へ向かう兆しと感じていた。だから、この時タケヤの顔に深い苦しみの影が浮かんでいたこと、見落としてしまったのだ。
3
その日の夕方。一つの事件が起きた。もうすぐ開店の時間だというのに、タケヤがいない。何処かへ行ってしまい、そこらへんを探したけど、見つからないのだ。
マネージャーとラッセルさんが話し合った。ぎりぎりまで待つけど、最悪帰ってこなくても「舞台はできる」とラッセルさんは言った。最後の場面、ハリボテだけの罪人の首を落とし、それを手にアドリブでセリフを入れて、舞台を完結させる自信はあるということだ。
それにしても心配なのはタケヤのこと。でも、大人たちはそれぞれの仕事がある。タケヤを探しに行けるのは、ただ一人、私だけだった。
タケヤ親子が暮らしている隣町のアパートは、鍵を持たせていないのでないだろう。まだ小学生なのだから、行く場所は限られている。私は最初から決めていた。というよりも、あそこしか知らない。私は、自転車に乗って、昨日二人で行ったタンパチ山を目ざした。
タンパチ山に着くと、公園の入り口に、瀬戸屋の自転車が置いてあるのが見えた。よかった、やっぱりここだったんだ。私は息を切らせて登っていった。昨日はタケヤと一緒だったから気にしなかったけど、一人で行ってみると、途中で道が分かれてたりする。誰もいない木の下闇の中、不安になりつつ登っていって、やっと、昨日の、視界の開けた場所に着いた。タケヤとお母さんの思い出の場所だ。
昨日私が坐っていたベンチ、暗くなり始めたその場所に、タケヤは一人坐ってた。
私が近づいていくと、タケヤは少し驚き、それから、納得した表情で微笑んでくれたように見えた。私がここへ来るのは当然だもの。二人だけに通う気持ちがそこにあった。私はそれが、ちょっとだけうれしかった。
私は、まず黙って隣りに坐った。足をプラプラして「やっぱり、ここだと思った」と言った。タケヤは「ふん」と答えた。それから私が言った。
「帰らないの?」
「………………」
タケヤは答えなかったけど、じっと待ってると、やがてポツリと言った。
「帰るところがない………」
「どうして?みんな待ってるよ。心配して………」
タケヤはまた、ちょっと考えてから言った。
「帰ると、俺が……ウソの自分になっちゃう」
「………………」
「今の、俺にとっては、そこに帰れない俺が……自分自身なんだ」
私は、タケヤの言ってることが分からなくて、何も答えられなかった。タケヤは、私と同じように足をプラプラさせながら言った。
「俺さ……母さんのことは、信じてたかもしれない。でも、今日分かったよ。母さんも同じだったと思う。きっと、そういうことに
「でも、それは………分かんないじゃない。タケヤのお母さんも、そうだったのかどうかは」
「同じだよ。ダディだって、そんなことすると思わなかった。でも……したんだろ?つまり、それが大人の素顔なんだ。俺たちに見せてるのは、仮面なのさ………」
私は何も言えなかった。タケヤの言ってること、間違いじゃないことを、そのとき私も感じていたから。
それから、私とタケヤは、ただ黙って足をプラプラさせて、そこにいた。
どんどん夕闇が二人を包んでくる。私は、もう一度訊いてみた。
「やっぱり……帰らないの?」
タケヤは、少し考えてから答えた。
「帰ったとしても、仮面だよ……」
「?………」
「仮面を被って帰ったとしても、俺、仮面取るかもしれない。それが、本当の俺だとしたら………」
最後はやっぱり、タケヤの言ってること、私には分からなかった。
4
それから私とタケヤは、アーケード商店街の駄菓子屋を覗くという、小さな抵抗をしてから、二人で自転車を押して、キャバレー「オーロラ」に帰ってきた。関係者は一同ホッとしていた。
舞台はもう、タケヤ抜きで進行していた。タケヤは舞台裏で、自分で手足を白塗りにした。タケヤはマネージャーに付き添われ、舞台袖の、ラッセルさんからだけ見える位置に立った。仮面をつけたラッセルさんは、舞台からそれを確認したようだ。
ラッセルさんは、しばらく録音した罪人の声と対話を続けていたが、あるタイミングで、突然両腕を上げ、「おお…神よ!」と、シナリオにない言葉を叫んだ。
ラッセルさんの視線は、天井桟敷から見下ろしている照明係の宮前君に向けられている。宮前君は勘するどく、ラッセルさんだけにスポットライトを当てて、全ての照明を消した。ラッセルさんが神の無慈悲を訴えるセリフをアドリブで叫んでいる間に、タケヤは罪人のハリボテの中にもぐりこんだ。
そこからは、いつものように舞台は進行した。死刑執行人が罪人を捕まえ、断頭台の方へ引きずると、ハリボテから白い手足が出てきて抵抗した。観客席に驚きの声が広がる。執行人は罪人の首を断頭台に据え付ける。それから大仰な動作で、上から板をあてがう。ここでタケヤは首を抜いているはずだ。
執行人は、鉄の棒をギロチンを落とす留め金にあてがい、前を向いて刑執行の口上を述べる。この時ラッセルさんは、いつにない妙な違和感を感じた。今一度罪人の方へ目を向けた。すると、中身がないはずの罪人の首が動いて、ラッセルさんの方を向いた。………タケヤが首を抜いていない!
動揺したラッセルさんは留め金にあてがった鉄棒を引いてしまった。ギロチンの刃が落ちる。ラッセルさんは、とっさに鉄棒を断頭台の上に刺しこんで、すんでの所で刃を止めた。でも、息子を
宮前君は瞬時に舞台の光を消し幕を下ろした。ざわざわする客の前に、ラッセルさんは再び姿を現した。そして、「わたしには、刑を執行することはできなかった………」とアドリブのせりふを語り、仮面を取って素顔を見せた。光の色で分からないが、手に持った仮面の中にはあふれる血が溜まっていっただろう。一連の出来事は、観客には、鬼気迫る演技に見え、それなりの感動を与えたようだった。
私がラセン階段を飛び降りたことは言うまでもない。私は、タケヤが何をしたかが分かっていた。白い顔をして、気が抜けたように立ちつくすタケヤを捕まえ、ゲンコで肘で殴りまくった。人を殴ったのは初めてだった。それから、無傷な首を確かめ、抱きついて泣きじゃくった。泣きながらも、背中や腕や足や、色んな所をさわって、さわって確かめずにはいられなかった。 ラッセルさんは、マネージャーが病院に連れていった。
5
翌朝、ラッセルさんは、左手を包帯でぐるぐる巻きにした姿で、右手だけを使って、「うなぎの間」の片づけをしていた。もちろん、私のお母さんも手伝っている。
でも、お母さんとラッセルさんの仲が、これでおしまいになったのは明らかだった。息子のタケヤに、あんな強烈な拒絶をされて、どんな薄っぺらい関係であろうと、続けられるわけがない。ということは、私とタケヤも、もうこれでお別れということなんだ。ウチの住所は渡しておいたけど、タケヤに手紙なんか期待できない。
社長やマネージャー、その時間来ていたホステス全員が外に出て、この親子を見送った。振り返り、手を振り、少しずつ離れていく親子。みんながいるから、私だけが叫ぶことはできなかった。でも、一度だけ大声で、「タケヤ!…」と叫んだ。タケヤは、私だけに手を振り返してくれた。本当は、「私のこと覚えていて!」と続けたかったけど、それは飲み込んだ。飲み込んだ分が涙になってあふれてきた。
了
※ 読んで下さったあなたに、深く感謝申し上げます。
夏色の思い出 ふみその礼 @kazefuki7ketu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます