第03話 勇者さまと魔王さま

「笑わないで、ディルト!」

 アイリスは憤然としてふりかえった。


 三歳年上の幼馴染みが、黒い長上着ながうわぎを風になびかせて立っている。

 服の上に羽織ったそれは、薬品や爆発から身を守るための特別に丈夫な品で、究者きゅうじゃは誰でも着ているのものだが、黒は誰も着ていない。


 ましてディルトが着ると、魔王の漆黒の衣のように見えた。

 金色の髪も、氷のような瞳も、際立った長身も、物語の美しい魔王そのものだ。

 実際には、暗黒魔竜あんこくまりゅうどころかロバにも乗れず、走るとすぐに息切れし、喧嘩もできないのだが。


「いや、笑うさ。なぜか、かような悪を為す魔王に、勇者さまは何を言うんだっけ?」

「え、ええと、なぜ、かような悪を為す! 人も魔族も同じ命と……えっと」

「『同じ命と思えばこそ、あなたがたとわかりあう道を探そうとした、それなのに、あなたは、なぜ』……で、立ち回り」


「なんでディルトが覚えてるの!」

「昨日集会所の外歩いてたら聞こえてきた」

「聞いただけで覚えるなんて、ずるい!」

「ずるくない」


 ディルトはアイリスの手から台本を取りあげると、ぱらりぱらりとめくって目を通した。


「何だよ、簡単じゃねえか。旅芸人のおばばが語ってくれたそのまんま。お前、筋知ってるだろ、これくらい覚えられないのか」

「じゃあディルトがやってみてよ!」

「ん、別にいいけど?」

 ディルトは台本を閉じてアイリスに返した。


「さあ、どっからでも来な」

「じゃあ、十五頁めの真ん中へん!」

「十二行目だろ、お前のセリフ。『魔王よ、もはや我らがともにける道はない。お前と魔族か、私と人間か、いずれかが世界に残るまで戦いぬくのみだ。たとえこの命が尽き果て、この大地が血に染まろうとも!』」


 アイリスが一度もスムーズに言えたためしのない台詞を、ディルトは易々と、しかもはるかに上手に言ってのけた。


「二頁めの右から四行目!」

「『さすがは兄上、とても私の及ぶところではありません』」


「六頁めの、いち、に、七行目!」

「『姫、ご安心を。私は必ず魔王を倒し、貴女のもとに戻ります』

『この国の王女である私が、貴方ひとりを待ち続けると本気でお思い?』

『お待ちくださるでしょう、私の愛する貴女であれば。言葉の剣を向けるのは、貴女の愛と、震える小鳥のような心の証』

 ……なんだったら最後まで全部言ってみるか?」


「だったらディルトも出なさいよ、『魔王さま』!」

「は、ガキ用の芝居なんかやってられるか。俺は研究が忙しいんだよ」

「ディルトが魔王をやってくれたら、あの子たちみんな大喜びするよ?」


「……囃したてるだけだろ。あいつら普段から俺を魔王呼ばわりしてんだから、今さら芝居したって目新しくもねえよ」

「基本と定番は大事なんでしょう?」

「知るか。第一、俺じゃ戦闘できねえだろ」


「……もしかして、それ気にしてる?」

「してねえよ!」

「だったら大丈夫だよ! 魔王は剣とかで戦うんじゃなくて、偉そうに立ったまま、こう、両手から見えない魔法の力を出して戦ってることにすれば、ディルトでもできるよ!」

「だから、しねえよ!」

「してってば!」


 互いに声を張りあげていると、下から呼び声がした。二人で防壁内を覗きこむと、操者そうじゃ見習いの少年が駆け寄ってくるところだった。


「見つけた! 勇者さま、早く来て! 大変なことになっちゃったんだ!」


 風が不穏な音をたてて強まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る