【掌編】障壁────魔法使いは謳われない

こどー@鏡の森

障壁────魔法使いは謳われない



 会うことがかなわないなら、たとえば手紙を送っては。

 もし、手紙が届かないならば──?






 この春以降の住まいになるだろう屋敷を初めて訪れた日から、嫌な予感はしていた。


 三つ年下の主はどちらかと言えば奔放な性格で、堅苦しい生活様式や決まりごとを嫌う傾向にある。そのくせ妙に要領よく立ち回ることがあって、側近である自分の心配をよそに周囲からの評判は上々ときている。


 主の姿が見当たらないことに気づいたのは昼食後のことだった。


 午前中、図面を手に屋敷の主だった部屋を案内されている間はおとなしかったから油断していた。自ら案内人に質問を投げかけるさまを見、早々に家主の自覚が芽生えたのかなどと感心していたのが間違いだった。


「ご主君なら先ほど庭を散歩しておみえでしたよ。白鐘の木のあたりに庭師がおりますから、お尋ねになっては」


 どこか他人行儀な対応やご主君という呼称にはとまどいが見え隠れする。


 無理からぬことだと少年──スザロは思った。使用人たちの雇用継続は屋敷の売買の条件に含まれていて、家主が変わることはとうに周知されているようだ。とは言え新しい家主は十四歳になったばかりの少年で、ゆくゆくは央都グルティカ、そして央都から南東方向へと広がる大領地オースデンの主となることを約された人物だ。


 互いが馴染むまでに時間はかかるだろうが、退職者が相次ぐでもなく、働き慣れた者たちがいてくれるのは心強くはあった。


 これを機に田舎へ隠居するという好々爺から買い受けた屋敷は窓の多い贅沢な造りで、東側には使用人用の別棟がある。故郷の例にならい、街区の屋敷における使用人の住居と言えば地下と思い込んでいたから使用人のための建屋があると聞いた時は驚いた。周囲の家々すべてがそうというわけではなく、何代か前の主がそのように設計したらしい。


 設計主は好事家だったようで、屋敷の造りには他にも風変わりなところがあった。たとえば屋敷の東端、正面から見ると別棟に隠れる位置には塔が接続されているのだが母屋側からは出入りができないようだ。


 図面にはないが別の入口があるということだよな、と、主がつぶやいていたのを思い出し、スザロは庭師を探すのをやめた。主に仕えるようになって早十年、その行動傾向は多少なり読めるようになったつもりだ。






 件の塔は屋敷の正面からは見えない位置に配置されていた。本館と使用人用の別棟の間は少し離れた位置からは通り抜けられないように見えたが、巧みに配された植栽の間には小道が設けられていた。


 小道を通り抜けた先、東側には小さな門がある。見上げた塔の屋根が母屋よりやや高いせいか、一見、通用口のようにも見えた。


 肝心の塔には図面に書かれていなかった入り口がある。人が出入りした後であることを示すように、その扉は中途半端に開いていた。


 周囲に使用人の姿はない。勝手に立ち入ってよいものかと一瞬、思いはしたものの、長年の勘は主の居場所をそこだと告げている。立ち入り禁止ということはなかろうと思い直し、警戒しながら扉を開けた。どうやら掃除が行き届いていないようで中は埃っぽく、人の出入りはあまりなかったようだ。


 外壁に沿って設置された階段には一人分の足跡が残っていた。やはりと思いながら上った先は思いのほか広く、どうやら談話室のようだった。外からは接続された塔のように見えるが部屋の大半は本館に食い込んでいるようで、外観から想像するよりかなり広い。


 階段と足跡はさらに上へと続いていた。上階の廊下は薄暗く、扉で仕切られた部屋がある。


 入り口同様、半開きになっていた扉を開くと、予想通り主はそこにいた。


「探しましたよ」


 実際よりもずいぶん大げさにスザロは声をかける。主は部屋の中央に置かれた大きな寝台に転がっていた。


「そうか? 分かりやすかっただろ」


 扉は開けておいたし、と悪びれもせずに主は続ける。


 あれこれ言い募っても無駄と早々に判断して、スザロは部屋を見回した。階下に比べて低い天井には大きな天窓があって、空の青さが実によく映える。


 寝台脇の小机には長く使われていない様子の燭台と筆記用具があった。小机は時間をかけて書き物をするには小さいが、ささっと走り書きをする程度なら何の問題もなさそうだ。壁に造り付けの机は本棚を兼ねているようだが椅子は置かれていない。


「読書家の隠れ屋に見えるだろ?」


 主の問いかけにスザロは怪訝そうな顔をした。


「本棚に見せかけた隠し扉さ。本は外側だけだからそう重くもない」


 寝台から降りた主は小机を退かし、隠れていた閂を外した。重そうな見た目の机を主は軽々と右に引き、机は後ろの壁ごと寝台頭側の壁に引っ込む。


 その向こうには至って普通の扉が現れた。


「向こう側は確か一見、ただの壁だな。後で確かめてみよう」


 こちらからは開けられないんだ、と主は続ける。すでに試行錯誤した後らしい。


 隠し扉の存在自体は特に驚くようなものではなく、どこか楽しそうな主の言動に不安が湧いた。


「……まさかと思いますが。この部屋を使うおつもりですか……?」


「うん。寝室にする」


 想定外にもほどがある発言に二の句が継げなかった。


「毎日開け閉めするのは面倒だから両方とも開けっ放しにするか、邪魔なら取っ払ってもいいな。いちいち外を回りたくはないし」


「いえ、あの──ほ、本気で言ってますか? あの、外からの出入りが容易で、しかも天窓まであるような──」


「その天窓がいいんだよ。だいたい知らなきゃ入ってこれないだろ、こんな場所」


「無防備にもほどがあります! だいたい今だって、お一人でふらふら歩き回ったりして」


「分かった、分かった。ちゃんとほら、警護は考えるから。な?」


 主は奔放ではあっても決して我儘というわけではなく、説得に応じて考えを改めてくれることはあるが、今回はどうにも分が悪い。


「そういう問題じゃありませんよ。だったらこの下は私の寝室に」


「いやいや、何を言ってるんだ。おまえの部屋はさっき決めただろ、何、こっちから閂をかけて出入りを拒むようなことはしないから」


 主にはどうやら言い訳を考える時間がたっぷりあったようだ。反対されることなど最初から想定ずみだったのだろう。


 ふらりと姿を消したことに気づくのが遅すぎたと悔やんでも、後の祭りというものだった。






 その後も説得は試みたものの結局、主の意志を変えることはできなかった。扉を再び隠すことがないよう物理的な制約を加える約束を取りつけて、スザロは渋々引き下がる。


「夕刻からは観劇席の予約がありますよ。それまでこの部屋に?」


「……あー……。星の座をたどり、いつか詩が届くよう──だったか。母上が好きそうな演目だなあ」


 出歩いたら誰かに出会うかな、と小声で主が続けたのをスザロは聞き逃さなかった。


 主の立場はいささか複雑だ。故郷ユノを治める大領主を異母兄に持ち、婚約者はこの地オースデン大領主の一人娘。婚礼が前提とは言え次期大領主と見なされる人物にもかかわらず、現大領主からは招待の声ひとつかからない。「いつでも遊びに来るように」という許可こそあったものの、おいそれと押しかけるわけにもいかない。


 城に参上したのは四年前の園遊会が最後だった。その後、オースデン領妃が亡くなった際には主自身が喪に服していて故郷を離れることができず、墓参さえかなわないままになっている。


 参上を申し出たことは何度かあったのだがオースデン側の反応が悪く、腹の探り合いのような状況が続いていた。婚礼を待たずに城下にわざわざ屋敷を構えることになったのは、故郷ユノ側からの圧力を兼ねている。


「……目と鼻の先ですから。ユネスティーア様にお会いできる機会が増えそうですね」


 諸手を挙げて歓迎されているわけではない状況を理解しているからこそ、スザロは言葉を選んで言った。


「どうかなあ。お呼びがかかる気もしないんだよなあ」


「呼ばれたら行くんですか」


「そりゃ行くだろ!……多分。一応」


 実のところ主は堅苦しい席が嫌いで、かつては園遊会への出席すら渋ったことがある。


 行かなくてはいけないが、積極的に行きたいわけではない。しかし遠ざけられているとなれば先々の立場が思いやられるという、なんとも微妙な状況に立たされているのだった。


「大領主様はもとより、議員方にも出くわす機会はあるかもしれませんが。それよりもっと素直に手紙でも書かれてはいかがです? 印璽はお作りいただいたことですし」


 主は返事をせず、再び寝台に寝転がった。階段に埃が積もるほどの期間、人の出入りがなかったわりに寝具は清潔に手入れされていたようだ。ごく最近まで隠し扉を使っての出入りがあったのかもしれなかった。


 天窓から落ちる陽光をかざした手でさえぎり、主はつぶやく。


「手紙、か……。届くかなぁ……」


 今度はスザロが口ごもる番だった。主の言わんとすることはよく分かる。諸手を挙げて歓迎されている立場ではないのだ。


 軽々に否定することもできず、スザロは主にならって空を見上げた。


 ここオースデンの貴族たちは議会を組織し、その圧力で時に大領主さえ牽制するほどと聞いている。議会とは言え一枚岩ということはないだろうし、人間関係はさぞ複雑だろう。


「……まあ、何もしないよりはましなんじゃないですか」


 届かないと決まったわけではないでしょう、とは言えなかった──主の懸念を肯定することになってしまいそうで。


 主は何も応えず、持ち上げた手で前髪を弄んでいる。


「髪を少し切った方がよさそうですね。手配は──」


「あー……うん。任せた」


 どうにも気のない返事だ。


「それと、あちら側の壁を確かめに行きましょう。ここでお待ちになりますか」


「……行く!」


 主が飛び起きたのを肩越しに振り返って見、スザロは肩をすくめた。

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