第44話

「えー、それでは競技会を始めたいと思います!」


 定刻通りに例の勝負は開催されることとなり、バルトルードが司会を務めている。


 最初の演目『騎馬突撃VSエルフ弓術』は、イルヴィシュの中心部を通貫する道路が会場に選ばれた。中心部は広場になっており、ここには「貴賓席」が用意され、私とエディが隣り合って座らせられている。


 私達の前にはテーブルが設えられ、その上には2つの酒杯が置かれている。これは勝負に勝った戦士に贈られるものなのだが――そのうち片方の盃が、やたらとデカい。ほとんどタライだ。


「……随分と自信があるのだな?」


 隣のエディに尋ねてみれば、彼女はこちらを見もせずに小さく頷いた。


「オイゲンはそのようね」


「きみも戦士の1人として出場するものと思っていたが」


「……『未熟者が出る幕ではない』ですって」


 随分と正直に言うものだ、と少し面白みを感じつつ肩をすくめてみせる。


 当然と言えば当然だが、オイゲンはこの演目に関しては複数人の弓兵を選抜してきたらしい。酒杯の1つがやたらとデカいのは、その弓兵たち全員に酒を行き渡らせるためなのだろう――勝つ気満々なのだ。


 貴賓席は道路と平行するように設えられており、私達から見て左手側、30mほど離れた場所に木人が置いてある。これが的だ。これに150mを駆け抜けてきたヘルマンの槍がぶち当たれば、勝負はヘルマンの勝ちとなるのだが――その木人の前に、オイゲンを含む15人のエルフがやってきた。30代前半から40代後半くらいの見た目をしているので、おそらく120歳から300歳くらいだろうか。全員弓を持っている。


「あれで全員か?」


「伏兵を潜ませているとでも? これは平地で突撃を受けた想定だと思うのだけれど」


「いや違う。新兵ではない者はあれで全員なのか?」


 少ない。少なすぎる。そう思って尋ねてみたのだが、エディは片眉を釣り上げた。


「ああ……いえ、まさか。あれは専業の兵士たちね。それも今日は非番の人たち。エルフだって全員が専業の兵士なわけじゃないわよ、新兵訓練を終えた後はそれぞれ己の職業に着くわ」


「そうか。少し……安心した」


 そう言うと、エディはちらと私を見た。


「それでも人口バランスが狂っているのは変わりないわ。あれのほかに当直中の正規兵……哨戒と食料調達にあたっている者が50人いて、それと同年代の労働者は200人未満よ」


 こちらが考えていることの核心を突かれた、という驚きもあるが、具体的な数字で人口や労働者のバランスを知った衝撃が大きく、絶句してしまう。


 主力労働人口の1/3以上を兵士にしている? いびつ過ぎる。……いや、兵士の仕事として「哨戒と食料調達」と言っていたか。そういえばオイゲンもそのようなことを言っていたな。


「兵士は食料調達もやるのだな」


「そう。狩りと採集をしながら、防衛線たる森の地形を頭に叩き込んでいくってわけ」


「なるほどな……だが狩猟採集で得られる食料は限られているだろう。農業はしないのか?」


「それは人間らしいものの見方ね? エルフやドワーフのような、身体の構築に魔力を使っている種族は食料消費が少なくて済むから、狩猟採集だけで事足りるのよ」


「なるほど」


「……そうだとしても、農業はやるべきだと私は思うのだけれどね」


「ふむ?」


 続きを促すが、エディは頭を振り、薄っすらと笑みを浮かべた。


「……だから、ね。あなた達には期待しているのよ」


「なに?」


 噛み合わない言葉に困惑する。意味を問いただそうとするが、それは沸き起こった歓声にかき消されてしまった。道路脇には見物のエルフたちや我が隊の兵士たちがずらりと並んでおり、我が隊の兵士たちが歓声を上げたのだ。


 見てみれば、1騎の馬上の騎士がこちらに向かって歩み来ていた。頭から爪先まで甲冑を着込んだヘルマンだ。乗騎にも馬鎧を着せてある。バルトルードが声を張る。


「ディオス王子が従士、ヘルマァァァァァン!!」


 ヘルマンは歓声に応えて手を振りながら、貴賓席の前までやってきた。私は立ち上がり、ヘルマンに近づく。勝負に望む戦士に、君主が励ましの言葉を送るという習わしだ。


「良いかヘルマン、奴らの鼻をあかしてやれ。どんな技を使ってくるかは未知数だが、お前ならやれると確信している」


「おっぱい」


「……。そうだね、それでいいよ。邪念で満たされている時のお前が一番強い」


 ヘルマンは体躯・膂力ともに大きく、邪念で満たされている時の勘の冴えは素晴らしいものがあるが、スピードには欠ける。そのため手数をぶつけられるのが苦手なのだが、まあ今回の相手はたったの15人である。大丈夫だろうと踏み、私は頷く。


 私は従者たちから槍を受取り、それをヘルマンに手渡した。2本だ。彼は両手に槍を持った勇壮な姿で、スタートラインへと向かっていった。


 貴賓席に戻ると、エディが怪訝な視線を向けてきた。


「……ねえ、彼。なんだかこの場に相応しくない言葉を吐いていなかった?」


「気の所為だよ」


「そもそも会話が成立していなかった気が」


「気の所為だよ」


「……そ、そう」


 それきりエディが黙り込んだので、私は内心でホッとした。色々な意味で、説明したくないからだ。


 ヘルマンがスタートラインにつくと、オイゲンたちが静かに矢を番えた。鏃には革が巻かれており、万一急所にぶち当たっても大怪我程度で済むようになっている。彼らが弓を持つ左手には、数本の矢が一緒に握り込まれている。バルトルードが頷き、手を大きく振り上げる。


「はじめぇッ!!」


 彼が手を振り下ろすと同時、ヘルマンが馬を進めた。150mの距離があるのでまずは速歩から始め、ゆるりとした速度で距離を詰めてゆく――のだが、5歩も進まぬうちにエルフ兵たちが矢を放った。15本の矢が一斉にヘルマンへと向かう。


「……!」


 ほとんどの矢は、綺麗な放物線を描いてヘルマンへと向かってゆく。だが数本の矢はヘルマンから大きく逸れている――と思った次の瞬間、それらの矢の軌道が変わった。大きな弧を描き、左右からヘルマンを挟み込むようにして飛んでゆく。


 だがヘルマンは両手の槍を振り回し、その全てを難なく撃ち落とした。


「……凄いな、エルフが矢の軌道を変えられるというのは本当だったのだな!」


「速度が落ちた瞬間に曲がるよう、矢に細工がしてあるのよ。手元も少しいじるけどね」


「ほぉ。それだけで驚嘆すべきだが、あれを正確に当てるのは凄まじいの一言だな。弾いていなかったら今の1斉射で終わっていたぞ」


 ――ヘルマンは全ての矢を弾き落としたが、それらの矢は兜のスリット、脇腹、内腿、馬の目や脚など、装甲がない部分に向かって正確に飛んでいた。


 たった5歩歩いた姿を見ただけで、その馬の歩き方の癖を読み、馬上で揺れる騎士の弱点へと狙いをつけたのだ。


 ちらとエディを見てみれば、彼女は――頬を引きつらせながらも、喜色を滲ませながらヘルマンに視線を送っていた。


「……これよ、これが見せたかったものよ」


 それは独り言だったのであろう、彼女は食い入るようにヘルマンの挙動を見つめている。――見せたかった? エディが? 誰に? 彼女は人間を侮辱するためにこの勝負を持ちかけたのではなかったのか?


 卓上兵棋で相手の意図を読み違えてこちらの駒を進めてしまった時のような、じわりと内臓が冷える感覚に襲われる。


 だが一度始まってしまったものは止まらない。ヘルマンは腿を締める動きと拍車の刺激だけで器用に馬を操り、徐々にその速度を上げていった。


 その間にもエルフ兵たちは射撃を継続しているが、ヘルマンは全てを弾ききり――木人まで残り80mを切った。拍車を強く入れられた馬は、蹄鉄で道を耕しながら徐々に襲歩に移行してゆく。


 対するエルフ兵たちは、最後の1射をゆっくりと引き絞り始めた――弓が最も威力を発揮するのは、直射の時だ。矢が落下を始める前、かつ矢の軌道が安定し始める距離――すなわち30m前後の距離で放たれる矢は、致死の一撃になり得る。この距離ならわざわざ鎧の隙間を狙わずとも、鎧に対して直角に刺されば板金鎧さえ貫通しうる。エルフ兵たちはその瞬間をじっと待っているのだ。


 そしてその距離で放たれる矢は、最も速い。しかもヘルマンは、その矢に高速で向かってゆくことになるのだ。素早い動きが苦手なヘルマンでは、相手が矢を放ってから動き始めたのでは遅い。放つ前に動き始めている必要がある――すなわち読みと勘でどうにかしなければならない。


 残り60m、50m、40m――30m。ヘルマンの馬が最高速度に達した。1秒を数える間に10m近く駆け抜ける、猛烈な速度だ。ヘルマンの両手の槍が動く。その瞬間、エルフ兵たちが矢を放った。


 矢が放たれる直前に動き始めたヘルマン槍は、自らに向かってくる矢、馬に向かってくる矢、それらの矢軸を槍の穂先で切断し、あるいは柄で叩き、薙ぎ払った。だが弾いた数は、合計14本。


 1本だけ、一瞬遅れて放たれた矢があった。オイゲンが放ったものだ。それは地面に向けて、斜めに放たれていた。


「……!」


 その矢は水面に投げた石のように、地面を跳ねた。狙いは――馬の腹だ! そこには馬鎧がない!


 ヘルマンは既に両手の槍を振り切っており、右手の槍に至っては木人に穂先を向けつつある。ここから軌道を修正するのは困難だ。これは回避不能――そう思った瞬間、ヘルマンの馬が跳んだ。鉄靴の爪先で馬の腹を小突いていたのだ。


 前脚を大きく上げた姿勢で、馬体が宙に浮く。頭を下げ、前脚が落ちる。腹が浮く。腰が大きく浮き上がる――その股の間を、オイゲンが放った矢がすり抜けていった。


 着地した馬は一瞬沈むこむが、勢いに任せて疾駆を再開し、木人の横をすり抜ける――瞬間、破滅的な音とともに木人が吹き飛んだ。


 誰もが息を飲む中、ヘルマンは馬の速度を落としてゆく。馬が停止するのと、吹き飛んで転がった木人が停止するのは、ほとんど同時だった。


 ――木人の胸には、2本の槍が突き立っていた。ご丁寧に両方の乳首のあたりに穂先がめり込んでいる。


「突撃成功! 四方八方から襲い来るエルフの矢をくぐり抜け、敵のちく……両の肺腑を穿うがったヘルマンの技に拍手!」


 バルトルードがそう叫ぶと同時、我が隊の兵士たちが歓声を上げながら諸手を叩いた。エルフ兵たちや見物していた老エルフたちも、苦々しい表情を浮かべながらも拍手し始めた。


 最後の一射を放ったオイゲンは一瞬呆然としていたが、すぐに気を取り直したようで、弓の弦を取り外して片膝をついた。負けを認めた、ということだろう。


「如何だったかな、エディ嬢?」


 そう問うてみるが、「どうだざまあみろ」という気持ちは殆ど湧いてこなかった。エディの言動は、何か引っかかるものがある。それを探るつもりだったのだが、彼女はさらりと「称賛に値するわ」と言ってのけた。皮肉の色もないので、私はやり返す手も封じられたかたちだ。


 エディは薄い笑みを浮かべながら立ち上がると、大酒杯を手にとった。馬を降りたヘルマンがやってきて、彼女の前に片膝をつく。


「見事な槍術、馬術。しかとこの目で見届けました。惜しみない称賛と共に、イルヴィシュが誇る林檎酒シードルを進呈しましょう」


 エディがそう言いながら大酒杯を差し出す。ここでヘルマンも一言謝辞を述べるべきなのだが、猛烈に嫌な予感がした私はすっくと立ち上がった。ヘルマンが兜のバイザーを上げ、口を開く。


「はい、いっぱいおっ」


「いっぱいお酒が貰えてよかったなヘルマン!!」


 ヘルマンを睨みつけながら、私は大声で叫んだ。


「お酒大好きだもんな!! さぁ飲め、勝利の美酒を! おらっグイッといけ!!」


「う、うす」


 私の剣幕に怯んだヘルマンは、15人が回し飲むはずだった大酒杯を一息に飲み干した。急に割り込んだ私を皆が訝しんでいたが、彼らの興味はすぐに、剛毅に大酒を飲み干すヘルマンへと戻った。「おおー」などと歓声が上がっている。ヨシ!


 空気を読んだバルトルードが「では続きまして、剣術競技に移りたいと思います。会場はこの広場のままで、さぁ皆様円を作って――」と進行してくれた。


 この隙に、私はエディに「ちょっっっっと準備してくるから待っていてくれたまえ」と言い残し、ヘルマンを引っ張って会場の隅の木陰へと移動した。


 従者たちがヘルマンの鎧を取り外していくなか、私は彼に詰め寄る。


「おまっ……お前なぁ、さっきなんて言おうとした!?」


「ごめん、ずっとおっぱいのこと考えてたからつい」


「ついじゃないんだよ! マジでえらい恥さらすところだったぞ!? いいか、股間に集まった血を頭に戻せ。おっぱいのことは忘れろ」


「わかった……うん縮んだ」


「ヨシ。……本題に入ろう、八百長のことを思い出せ。騎馬突撃で勝った以上、次の剣術競技は相手に勝ちを譲るんだぞ。適当に打ち合った後、不自然じゃないよう1発貰え。いいな?」


「任せとけ!」


「よぉし、頼んだぞ! うまくやれよ!」


 ヘルマンの背中をばしばしと叩き、私は貴賓席へと戻った。

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神罰王子と神官乙女のアナバシス しげ・フォン・ニーダーサイタマ @fjam

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