赤い烏

亜咲加奈

俺は今、憤っている。

 また来たのか。

 私はそう思って使者を出迎える。

 使者が言うことはそらんじることができる。もう、何度も何度も聞いているからだ。

 あの方は一体私に何をしたいのだろう。こうして使者に繰り言ばかり述べ立てさせて、私があの方に追従するとでもお思いなのだろうか。

 あの方が私にお送りになった詰問の書状を読み上げる使者の顔に汗の玉が何粒も見える。かつて丞相の任にあり、合戦場にも立つことのあった私の前で、間違いがあってはならぬと気をはりつめているのだろうか。それとも主君の言葉を一字一句漏らさぬように読み上げることそのものに全力を注いでいるからだろうか。それとも今が、暑い季節だからだろうか。

 烏が鳴いている。

 私は外に目をやった。

 そして、奇異に思った。

 烏は普通、黒い。しかし私が今見た烏は赤かった。何か他の鳥と見間違えたのだろうか。それとも本当にあの烏は赤い色をしていたのだろうか。

 考えている頃には、烏は消えていた。私の首筋にも汗が流れ始める。四方から熱気が迫り、息苦しい。

 そういえば、今は赤烏七年だ。あの方が直接赤い烏をご覧になったことが改元の理由だという。

 使者の口上はまだ続いている。しかし私には彼の声はいつしか聞こえなくなっていた。ただ、口が動いているだけだ。

 汗は私の背中にもにじみ出ている。

 思い出した。

 あの日も暑気が強かった。

 劉備を追い払うことができたあの日。

 あの時も私の首筋を汗が流れていた。汗に濡れた背に戦袍が貼りついていた。

 兵士に茅を持たせ、劉備の陣営を焼いた。季節の暑さと炎の熱さは私の首筋と戦袍をさらに濡らした。山に登った劉備を四方から追い詰める私の喉は嗄れた。

 我々は逃走する劉備を追った。我々の行く手を阻んだものもまた火だった。軍楽器やらよろいやらが燃えていると私は兵士から報告を受けた。他に受けた報告では死骸が長江にいくつも浮かんでいたそうである。

 劉備を捕らえることはできずに終わった。

 ほどなくして曹丕が攻めくだってきたとの報告を受け、我々は迎え撃った。

 なぜこんな時に思い出すのだろう。

 使者の口からはまだ、あの方の繰り言が垂れ流されている。

 少なくともあの時までは、私とあの方との間には信頼があったのだろうと思う。あの方はただ私に、劉備の進攻を止めよと命じただけだ。そして私はそれを実行した。私とあの方との間には何も余計なものは混じっていなかったはずだ。少なくとも私は合戦に専念できたのだから。

 すべてが順調だったわけではない。劉備が築いた営は沢や山地や平原に連なっていた。私はすぐに兵を動かさず、劉備が疲弊するのを待った。あの方のお父上や兄上の代から勤めていた将軍たちにとって、私が取った行動は理解しがたいものであったらしい。幾度となく叱責され、幾度となく詰問された。彼らは即座に行動に移りたかったのだ。しかしすでに劉備は進攻している。確実に追い出さねばならなかった。私には敗北は許されなかった。古参の将軍たちがあまたいる中からあの方はこの私にお任せくださったからだ。

 烏がまた鳴いた。それが黒いのか赤いのか、見なかったからわからない。

 使者は述べ終えた。顔から流れ落ちた汗でその衿には染みができている。

 眉一つ動かさない私を見て、使者は無言できびすを返した。


 どうしてこうなったかと考える。

 劉備の死後劉禅が立ち、政務をとるようになったのは諸葛亮だが、あの方はその時々の情勢にとって取るべき最善の手だてについて諸葛亮に語る役目を私に課した。あの方が劉禅や諸葛亮に送る書面を確認し、訂正したのは私だ。

 曹丕は三度我々の領土を侵したが三度とも我々は防ぎきった。三度目の征討のあと、曹丕は没した。

 曹丕が没した年だったと記憶している。刑罰や徴税、民衆の徴用についてお諌めした時のことだ。

 その頃には私は、あの方に直言することができないと感じるようになっていた。

 あの方は周りにいる身分の低い者たちの言葉ばかりを聞き入れておいでだと私は思うようになっていた。

 あの方はそうではないと私におっしゃった。そしてむしろ私にもっと腹を割って話してくれともおっしゃった。

 きわめつけはこれだ。

 あの方は私におっしゃった。


 君と私の関係は余人のそれとは異なるではないか、君と私は名誉も悲しみも同じくしてきた仲ではないか。


 だから、受け入れよ。

 そう、私にお伝えになりたかったのか。

 私があの方から「信頼」として受け取っていたものは、そんなものだったのか。

 あの方は罪について定めた条文を私と子瑜どののもとに持っていかせ、削除させたり増補させたりするようお命じになられた。

 しかしそれも、見せかけに過ぎなかったのではないだろうか。あの方の本心ではなかったのではないかと、私は今、思う。


 思えばあの方のもとに参じたのはいつだったか。

 私は二十一歳、あの方は一つ年上だった。

 私の初任地は毎年干魃が起こるところだった。私は官倉から穀物を貧民に与える一方で、百姓に農耕と養蚕を勧め、かつ、監督した。

 その時、稲穂が青々としていたことを思い出す。私は黄金色に垂れる稲穂よりも、青々とした稲穂がびっしりと田を埋めているところを見る方が好きだった。これから育つ、これから実ると期待できるからである。

 稲穂が青々としていた時も私は汗をぬぐっていた。田畑を巡った。時には苗を受け取り、泥の中に裸足で入って植えた。まだ若かったからできたことだと思う。百姓の家に足を踏み入れ、桑の葉をむさぼる蚕を確認した。繭を熱湯で煮て糸を取り出すところも見せてもらった。初めて目にするそれらに若い私は夢中になった。百姓たちにいろいろなことについて質問する私に驚いていた百姓たちは次第に私のことを弟か息子、あるいは孫のように遇した。陸屯田都尉のおかげで食いつなげました、と感謝の言葉をもらった時はたまらなく嬉しく、やりがいを感じたものだ。

 私の喜びは暑さと共にあり、その時はいつも汗を流していた。

 父を亡くし、父のいとこに引き取られ、父のいとこの息子よりも年長だということで私は一族を率いることになった。

 偉大な父と兄を亡くしたあの方の境遇を知った時、近しいと感じなかったかと言えば嘘になる。

 あの方の幕下に名をつらね、あの方のかたわらで働いた。働き続けてきた。私なりに知恵をしぼり、関羽を油断させ、あの方が関羽を捕らえて斬った。

 私はその時、最善を尽くしたはずだ。

 しかしそのことは劉備が我々の領土に進攻する理由となった。

 私がまいた種なのか。

 私が植えた苗なのか。

 その種は芽吹いた。その苗は青々とした稲穂となりそして黄金色に実った。その結果は我々にとっての危機であったけれども、私はそれを刈り取った。ただしそれはたやすいことではなかった。

 そののち、あの方の周りには賤しい臣下が群がった。私がそれを指摘すると、あの方はたくさんの言葉を使って私の指摘を否定した。

 私の言葉を聞き入れてくださっていた頃のあの方はもう、私の前にはいなかったのだ。それにもっと早く気づくべきだった。早々と病と称するなどして引きこもり、あの方の幕下でいることをやめればよかったのかもしれない。

 それをしないままでいるうちに、私は丞相に任じられてしまっていた。

 赤烏七年の春正月のことだった。


 また、烏が鳴いている。

 赤いのか黒いのか、確かめようとも私は思わなくなっていた。

 そもそも赤い烏など、本当にいるのだろうか。

 確かに伝承としては残っており、私も実際に目にしたのだが、それは真実であったのだろうか。

 汗をかくことも、四方から迫る暑気もなくなった季節になっても、あの方はまだ私に使者をよこす。そしてその使者は詰問の書状を私の前で広げ持ち、声を張り上げて読むのだ。

 怒り、落胆、一方的に私を責める言葉、それらが使者の口から垂れ流される。

 違うのは、彼の顔からも、私の首筋からも、汗が流れ出ないことだけだ。

 四十二年。

 それが私があの方に捧げてきた年月だ。

 その四十二年間の結果が私の流罪とあの方の繰り言であるとは。

 あの方が私にお送りになった詰問の書状はすでに束となっている。

 流罪のきっかけとなったできごとを思い出す。

 赤烏五年の春正月に皇太子が立てられたにも関わらず、魯王との間に対立関係が生じた。官吏たちはその子弟を皇太子または魯王のもとへ出仕させるようになった。

 言語道断である。才能があるならば必ず用いられるはずであるから心配する必要はないのだし、それよりも正式な手続きを取らずにおのれの営利のために出仕するなどあってはならないことであり、必ず災いのもとになる。

 そればかりではない。現在の皇太子では不安があるという意見が目立つようになった。そこで私はあの方に申し上げたのである。今にして思えば、それが私があの方のために植えた、最後の苗であったのだ。


 皇太子は正統であり、どうぞその地位を磐石なものとなさいますように。これに対して魯王は藩臣であります。どうかその差を明確になさいますように。それが明確になって初めて、臣下は安心できます。以上謹んで叩頭流血して申し上げます。


 それが、ここに流される原因であったと、私は記憶している。

 私の直言は聴許されなかった。

 私の甥たちが皇太子に近しいという理由で私は流罪に処せられた。

 私が植えた苗は青々と育つどころか育つ前に踏みにじられてしまったのである。

 私は、束になった詰問の書状を取り出し、卓に乗せてみた。

 この厚みが、私があの方のためにした四十二年間の勤めの、結果なのであろうか。

 私は今、何を思っているのだろう。暑くはない。汗もかいていない。衣服は重ねて着ている。汗による染みはない。

 また、烏が鳴いた。

 屯田都尉の任にあった若い日々を思い出す。烏は嫌われていた。まいた種を食ってしまうからだ。

 まいた種をついばむ烏。そうか、烏はあの方だったのか。赤い烏など、あの方のでっちあげなのかもしれない。

 いや、烏の色が赤かろうと黒かろうとそんなことは問題ではない。

 あの方は私の四十二年間を食ってしまわれた。

 そう思った瞬間、腹の底からこみ上げるものを感じた。

 私は今、何に気づいているか。

 そうだ。私は今、憤っているのだ。憤っていることに気づいている。

 劉備を追い返した時も私は憤ることはなかった。いや、憤っていることに気づかなかった、違う、憤っていることに気づかないふりをしていたのだ。憤ってしまえば冷静でいられなくなるではないか、策を考えられなくなるではないか。

 大都督である俺にあやつら、言いたい放題抜かしおって、俺が本当に憤っていたならばあやつら全員目玉をえぐり出し鼻をそぎ耳をちぎり舌を引き抜き首を切り腕を切り脚を切り胴体も切って長江めがけて投げ込んでやったものを!

 あの方、ではない、あの男が俺に送りつけたこの詰問の書状、それらを俺は両手で握り締める。

 汗が出る。暑い。熱い。

 俺は今、憤っている、そうだ、憤っている。

 汗、暑さ、熱さ、俺の喜び、今は夏か、いや、春だ、春二月だ、赤烏八年の春二月。

 いや、違う、夏だ。俺にとっては夏なのだ。俺は今、憤っている、汗をかいている、暑い、熱い、暑い、熱い、暑い、熱い、暑い、熱い!

 卓に置いたあの男の手になる詰問の書状を宙にばらまいた。

 これは種だ、これは苗だ、俺が最後にまく種、俺が最後に植える苗。決して芽吹くこともなく、青々と育つこともない種と苗、それはまるでこの孫呉の行く末のようだ。

 あの男に思い知らせてやる。

 俺は帯を解く、天井の梁にそれを引っかける、帯を引っ張って梁が折れてしまわないか確かめる。

 よし。折れない。

 帯で作った輪に俺は首を入れ、ぶら下がる。

 帯が俺の喉を締める……締める……締め上げる。

 烏が鳴いた気もするが、もう俺には、確かめようがない。

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赤い烏 亜咲加奈 @zhulushu0318

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