どろぬま結婚

脳幹 まこと

どろどろとした空の下


1.


 晴子がピカッと光った。


「もう、どろぬま結婚しかないやんなぁ、キミぃ!」


 そう言うと晴子は僕の背中をいつもより強く叩いた。


 夜八時のカフェテリア。

 今までの二十分の会話からは欠片も連想出来ない言葉。


 晴子は名前の通り元気な子で、雨女だった。

 彼女とのデートはいつも雨だった気がする。


「それを言うならでんg……」


 言いかける僕の口をマカロンで封じようとする晴子。


「言わんといて、せっかく効果なさそうな言葉選んだんやから」


 天気アプリを見てみると、ここから少し離れた場所の降水量が真っ赤になっている。雷予報に切り替えると、密集しすぎて菊の花みたいだ。

 話の途中から忙しなくスマホを見始めた理由がよくわかる。


 まあ、夏の風物詩みたいなものだ。


「じゃあ、帰ろうか」


 晴子がまた光った。

 心底呆れた、信じられないと言わんばかりの顔だ。


「今の、聞き間違いやんな?」


「そんなわけないじゃん帰ろうよ」


「キミぃ……いつから、そんな死に急ぐようになったん?」


 晴子悲しいわぁ……とハンカチを目に当てる彼女。


 なぜなのか。

 ジェットコースターも、バンジージャンプも、猛獣ショーも、スキーも、ダイビングも、何でもバッチコイなのに。

 普段の様子なら、むしろ「ヒャッホー」とでも言いそうなものだが、雷だけはダメだった。


「大丈夫だって、雷に当たる確率は宝くじの一等に当たるのと同じくらいだって」


「ゼロやない」


「それ言ったらあんさんがきゃっきゃ言ってた激流下りの方が」


「激流下りは一瞬で黒焦げにはならん」


「でも待ってたら土砂降りになるかも」


「びしょ濡れで済むなら安いモンや。それか今日はここを宿にして……」


 このままだと埒があかない。

 今は光だけで音は鳴っていない。もし、このまま様子見していたら、雷雲が近づいてくる可能性もある。

 そうなったら晴子は確実に動かないだろう。本当に泊まることになる。


「言いにくかったんだけど、ずっと顔にクリームついてるよ」


 なんで言わへんの、と手鏡を取り出す晴子。

 もちろん、恥ずかしい状態で放置するほど、僕の性格は悪くない。


 ハッとした表情を浮かべてこちらを見た時には、会計は終わっている。


「いぎたぐない!!」


 晴子が三度光った。



2.


「別にな? ウチだっていつも怖いとは思てないんよ。家にいる時なんか元気に鳴っとんなー、雷様も陽気なもんや、って思うんよ。 でもな、なんでそんなピシャーゴロゴロォ鳴ってるとこわざわざ通らなあかんねやって思わん? 怖いとは思っとらん、ただ、愚かな行動は遠慮したいってだけ、それだけや」


 そう早口でまくしたてる晴子の視線はふらふらで、わかりやすくパニクっている。

 

「大体、なんでこの近くはタクシーがないんや? ウチらに死ねちゅうんか? なあキミどう思う?」


「そうだね」


「なんでひろゆきさんは【この世で一番頭悪いのって実は雷なんですよね】って言わんのやろ、不思議やわあ」


「そうだね」


「だいたい雷ってナニ、何様のつもり? 人が怖がってるのを見てそんなに楽しいんか? なあ?」


「そうだね」


 がくがく震えている。出来る限り下を向いて、片手で耳を塞いでいる。もう片方の手は僕の手とつながっている。

 光るたびにひゃあ、ひょお、といった声をあげながら全力に握りつぶしにかかる。スポーツ全般に強い晴子の握力は成人男性でも割ときつい。


 入れそうな店があるたびに「ちょっと様子見よ?」「焦ってもいいことない」と説得しにかかる彼女を必死になだめすかすのだ。


「でも、雷がなかったらフランクリンだって電気の存在を確認できなかった。今の便利な生活は雷のおかげだと言ってもいいんだ」


「あれな、ウソやねん。実はたまたまデンキナマズ踏んじゃって痺れて、これが電気……!ってなったんや。フランクリンさんに聞いたことあるから間違いない」


「そのフランクリンさんって何歳なの?」


「え、確か今年で二六って言ってたわ。ウチらと一緒やね」


「ベンジャミン・フランクリンって一八世紀の人じゃなかった?」


「ほら、ウチらも一八世紀から生きてるから問題ないやん」


 なんでこうなるのだろう。

 しっかり者で各方面にスキがないはずなのだが、雷が絡むとこうだ。

 一生解けない謎かも知れない。


「溜めとる溜めとる溜めとるてぇ!タマ取るために溜めとるてぇ!」

「もうまじなんで地中に道路つくらへんの国土交通省!?」

「ここら木ぃばっかやん。いつ落ちてもいいよ♡みたいなツラしたアホばかりやん」


 家までは徒歩十五分なのだが、既に三十分が経過している。



3.


 ピカ、、、ゴロゴロ……!!


 なんだかんだ話をし続けて、ノリもそれなりだった晴子だったが、この音を聞いた瞬間、すっかり黙ってしまった。

 死刑宣告を受けたかのように青ざめている。握っている手も冷たい。


「ピカゴロじゃん確実一キロ圏内じゃんもう終わりじゃんつかバキバキメキメキみたいな音してんしもう次だわ次でトドメだわもうおしまいだわ泣くわ泣く泣く」


 最高にパニクっている。

 今までどうやって凌いできたのだろう。


 災難なんてのは巡り合わせみたいなモンでな、当たろうとして当たるものではないし、当たるときはどないしたって当たるんや。何するにもそう気楽に考えとけばええ。

 

 その言葉に、対人恐怖症だった僕は大分救われたのだが。


 彼女にとって災難の中に雷は入っていないのかもしれない。


 でも、道行く人に出来ることが、晴子に出来ないなんて滅多にない。


「ですからッ! 神様ッ! どうかッ! 私どものッ! お命だけはァァァッッ!!」


 そう叫ぶ彼女の耳に優しい音楽を挿入する。


 ハッとした表情を浮かべた彼女に向けて、スマホのメモ画面を見せる。


【眼も閉じて良いから。落ちてきたらその時は二人一緒だ】


 彼女はつまらなさそうににこりと笑い、こう返した。


【背が高い方が落ちやすいやんな?】


 それからは一切会話はなかった。


 どろどろとした空、蒸すような熱気。

 ちかちかと点滅する光と音。


 背中越しの彼女は、いつもの調子に見えた。


 そして家が見えてきた――




「ありがどう神様ガミダバァァァ!!」


 家のなかに駆け込むと同時に、ひざから崩れ落ち、祈りを捧げる晴子。


 やっぱり怖かったのね。


 ドアを閉める僕。


「あ、晴子」


「うん?」


「結婚しよ」


 晴子がピカッと光った気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どろぬま結婚 脳幹 まこと @ReviveSoul

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ