本当に怖い世界

素通り寺(ストーリーテラー)旧三流F職人

怖いものなど無い男の恐怖体験

「ありがとうございましたー」


 映画館の入場ゲートをくぐって出る。同時に俺はケッ! と息を吐いて不満をぶつけた。

 今年の夏は特に暑苦しい。なので評判のホラー映画とやらを見て涼みに来たのだが……正直全く怖くなかった、まったく期待外れもいい所だ。


 まぁ、その映画のせいじゃないのは分かっている。上映中にも客席から「ひぃっ」という悲鳴や、イヤイヤと泣いて出ていく女などがいた事からも、評判通りの怖い映画だったんだろう。今も出口のグッズ売り場で下着を買ってトイレに向かう男女も何人かいる。

 だが俺には失禁どころか、背筋がヒヤッとすることすら無かった。古の温泉旅館で蟲の大群に襲われる話だったんだが、むしろ旅館で出される料理がうまそうで腹が減ったくらいだ。


 そうだ。俺はもう何年も「怖い」という感覚を実感する事が無くなっていた。


 幽霊? 妖怪? ゾンビ? ンなもん居るわけないし、いたらいたで叩きのめしゃあいいだけの話じゃねぇか。

 病気? 天災? 未知との遭遇? それはそれでしゃーないわ。みんなまとめて死ねば怖くはないだろ。


 そうだ。俺はそもそも『死ぬ』という事をそれほど怖いとは思っていないんだ。


 極道に生きてきて、生き死にの喧嘩なんざ何度も乗り越えて来た。日本刀や拳銃を突きつけられたり、大人数で監禁リンチなんて目にも合った。散々暴れまわってムショにも入ったし、出てきて見れば俺みたいなヤクザが生きられる社会じゃ無くなっていた。


 だからまぁ、いつ死んでもいいかなんて思っている。だから『怖い』なんて思う事が無ねんだろうなぁ。



「もし、お前さん」

 映画館から出てすぐの路地で、俺は占いの出店を出してるばあさんに声をかけられた。紫のローブを頭からすっぽりと被った、なかなか雰囲気のあるしわくちゃばあさんだ。

「なにかお悩みのようじゃな」

 水晶玉を撫でまわしながら、ニヤリと片目を開いてそう聞いて来る。ふん、面白そうだ。この婆さんにさっきの俺の不満をぶつけてみるか。


「なぁ婆さん、俺を怖がらせて見てくれや。こう暑くっちゃ怖い思いでもして、涼しくなりてぇんだよ」

「ほう」

 俺の言葉に婆さんは目を丸くして俺をまじまじと見つめた。が、やがて顔を伏せると、肩と声を震わせて不気味にケッケッケと笑い始めた。

「本当に怖い世界を覗いてみたいかえ? そんならお前さん、そこのゲートをくぐってみやれ」


 ばあさんが後ろ手で指差すその先には、何故か裏路地には不似合いな四角い枠があった。空港とかで人がくぐって金属探知をしてそうな、あんな枠だ。


「あー、はいはい、っと」

 俺は素直にその枠に向かう。どうせ枠をくぐった瞬間派手な警報音がするとか、光や煙が出てビビらせるとかそんな類だろうな。最悪電気ショックでもくらう可能性もあるが、まさかこんな婆さんがそこまで用意してるとも思えんし。


「よっ、と」

 その枠を跨ぐようにしてくぐる。


 その瞬間、老婆が口角を釣り上げてにたり、と笑ったのを、俺が知ることは無い――


      ◇      ◇      ◇


「……な!?」

 俺は、見知らぬ土地にいた。


「な……何だってんだ? おいばばぁ、ここはどこ……!?」

 振り返るも、周囲を見回すも、俺がくぐってきたあの『枠』が、どこにも見えない。

 そして東京にいたはずの自分は、いつのまにかどこかの田舎の真っただ中にいた。どこを見てもビルなんざ見えず、山々と田んぼ、あぜ道、小川なんかが目に入るだけだった。


「俺は……夢でも見てるのか? それともまさか、ど〇でもドアでもくぐったってのか?」

 これが夢でなければ、俺は一瞬にして別の土地に飛ばされたことになる。馬鹿な、いくら技術が進んでもそんな事が出来る訳が無いだろう。


「まさか?」

 技術、という言葉に思い当って、俺は自分の顔を撫でまわした。確かVRとかなんとかいうゴーグルをつけて別世界を見せるアトラクションがあったはずだが……

「違う、のか」

 俺はゴーグルもメットも着けてはいなかった。しゃがみ込んで足元の雑草を引きちぎって見ると、ぶちりという感触と、雑草特有の青臭さが確かに鼻を突いた。


「信じられん。が、どうやら俺は本当にどこかに転送された、のか!」


 一体何者だあのババア! という憤慨を抱きながら、あぜ道を走り出した。少し先には道路が見えていて、押しボタンの信号もある。まずは人のいる所に行って、ここがどこか聞き出すのが先決だ。


 道路に出て、そこから500mほど先にあるコンビニに辿り着く。駐車場に止めてある数台の車を横切り、ずかずかと店に入っていく。自動ドアが開き切り、入店を知らせるチャイムが鳴り響く。ほどよく効いたクーラーに気分を落ち着かせながら、カウンターに一歩踏み出して……俺は、足を止めた。


「なんで、誰も、いねぇんだ?」

 店員の姿が見えない。それだけではなく店の中には客の一人も居なかった。駐車場には多くの車が停まっていたってのに……どういうことだ?


 チンチンチンチィーン


 店員呼び出しベルを鳴らすも反応が無い。「おい、誰かいないのか!」と店の奥に怒鳴りつけるが、、声が消えた後はクーラーの稼働音が響くのみで、誰も出ては来なかった。


 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。なんだ、ここは。


――なぁ婆さん、俺を怖がらせて見てくれや――

――そこのゲートをくぐってみやれ――


 あの婆さん、俺を怖がらせるために、俺をここに飛ばした、ってのか?


 じゃあ何か? この世界は本当に宇宙人にでも人類を滅ぼされたのか? あるいはパンデミックとやらで、人間を消されでもしたのか? それとも……


 ばっ、と本棚の影に身を隠して外の様子を伺う。ひょっとして抗争や、生き死にのバトルでも町を上げてやっているのか、なんて馬鹿な妄想をするが……

「バカバカしい、ンなわけあるかよ!」

 我に返り、起き上がった俺はそのまま本棚を派手にひっくり転かした。さぁ、店員さんよ、いつまでも隠れてないで出て来いってんだ!


 が、やはり誰も出て来ることは無かった。


「何だってんだ、クソッタレが!」

 怒りに任せて店を出る。店内の看板からここが山梨県内だという事は分かった、とにかく東京に戻ればさすがに誰かに出会うだろう、あのババアの所に戻ってとっちめてくれる!


 駐車場に止まっている車のうち、キーがつけっぱなしの車を見つけて、道端の石を拾って、窓ガラスを叩き割るぞと大声を上げて車の持ち主を呼ぶ。が、誰も出てこなかったので仕方なくガラスを割って車を拝借することにした。


「しかし……この町は何か無人イベントでもやってんのか」

 東京方面に車を走らせるも、対向車や順送車にも会わなけりゃ、歩道を歩く人も全然いない。まるで町全体から人がいなくなったかのような静寂に包まれていた、それでいて信号機はしっかりと仕事をしているんだから妙な話だ……


 だが、山梨県を抜けて神奈川入りした辺りから、俺はいよいよ異常な事態になっている事を悟らざるを得なかった。


「うがあぁぁぁぁぁー! 人がいねぇぞコラァーっ!!」

 窓を開けて叫び、クラクションを鳴らしまくっても何一つ帰ってこない。もう100km以上は走っているのに、人っ子一人見つけられないでいた。


 やがて叫ぶ気力も失せた時、俺は東京に戻って来た。


 大都会、一千万都市の東京。そこにはやはり誰一人としていなかった。オフィスビルには電気が灯り、街中の看板は流行りの映画を宣伝し、パチンコ屋の電飾は景気良く光り輝いているのに……建物の中も外も、完全なる無人だった。


(そうだ、あのババアの所に行けば!)

 ハンドルを切り、あの映画館へと向かう。


 ああ婆さんアンタの勝ちだ、心底ビビっているよ俺ぁ、だからもういいい、元の世界に戻してくれ!


「うそ……だろ」

 そこには占いの屋台だけが残っていた。あの婆さんも、その後ろにあったはずの四角いゲートも、どこにも見えなかった。

 もちろん周囲にも誰も居ない、あれだけ賑わっていた東京から、ニンゲンという存在だけがすっぽりと抜け落ちていたのだ。



「は、ははは……いいじゃねぇか別に」

 少し休んで頭が落ち着いたのか、俺はそう自分を納得させようとした。


 そうだ、俺には怖い物なんてない。なんならこの世界には俺しかいないのならやりたい放題じゃねぇか。食い物はそこらのコンビニや店にいくらでもあるし、移動したきゃその辺の車を勝手に使えばいい。


 なぁに、ひとりぼっち上等じゃ、ねぇか。



 例え風俗の女を抱けなくったって

 苛立って誰かを威嚇する事が出来なくったって


 コンビニの店員に「ありがとうございました」って愛想を使われなくったって

 若い衆が集まってゴチャゴチャうるさい光景をうっとおしいと思えなくったって


 知り合いに会って「おう」って声をかけあう事が出来なくったって

 誰かと飲みに行って、ぐだを巻く事が出来なくなったって


 ガキどもが元気に登校する様が見られなくなったって

 年寄りが木陰のベンチで休んでる様を見て「いつか俺もああなるのか」と思えなくったって


 ニュースで美人キャスターが、外国の出来事を他人事のように報道するのを聞けなくったって

 何気なく点けたラジオが流す、流行りの歌を耳にする事が無くったって


 いまの季節で、「あついなぁ」なんてことばをみしらぬだれかときょうゆうすることができなくったって

 ふゆになって「さむいなぁおい」なんてかいわを、いいあうことができなくったって


 なにかがほしいとおもって、かいものにいって、てんいんさんにおかねをしはらい、ほしいものをうけとることが、できなくなったって

 そこでてんいんに「ぎふとほうそうしますか」なんて、えがおでこえをかけられることがなくなったって


 とうきょうのおおどおりで、いきがつまるほどのおおぜいの、ひとのなみがみられなくなったって

 まんいんでんしゃで、じぶんとおしくらまんじゅうするさらりーまんや、おれのけつをおすえきいんがいなくなってたって


 だれかとはなせなくったって

 だれかとであえなくったって

 だれかとなかよくなれなくったって

 だれかとけんかできなくなったって


 だれかが そこに いなくなったって


 ……


「いやだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!」



 怖い、こわい、コワイ。


 せかいじゅうに、おれひとりしかいない。


 それは、なによりも      コワイ。




(そうだ、あの『わく』だ)


 あれをくぐれば、。もとのせかいにもどれる。

 だれかとまた、ふつうに会えるんだ。


 あのばあさんの屋台にはなかった。

 なら、あの山梨の田舎のあぜ道だ。


 俺はあそこに飛ばされた。じゃあ、あそこに戻れば、そこからきっと元の世界に――


 車を飛ばし、途中でガソリンが尽き、別の車を探して再びあの場所を目指す。


 到着したのは夜だった。あのコンビニに車を止め、相変わらず無人の店内から懐中電灯を拝借して、あの場所を目指す。


 そこには、夜の闇に、まるでLEDのように緑色に光る、あの枠があった。


「や、やった……やった!」

 疲れ切った足を懸命に動かす。あそこに行けば、あれをくぐれば、また誰かに会える。その一念でひたすらそこに突き進む。


 もう、俺がどんな表情をしているかは分からない。ただ、ヨダレを垂らしている事と、涙をぼろぼろとこぼしている事だけは分かる。


 だがそんなことはもうどうでもいい。また、誰かに会えるのなら――


 かちゃん


 その四角い枠は、俺の手が届くほんの1メートルほど手前で、まるで積み木のように崩れ、壊れた。



 THE END

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