盆の夜、仏間にて。

皐月あやめ

盆の夜、仏間にて。

 ガクンッと落ちた衝撃で目が覚めた。

 寝相があまりよろしくないわたしは、寝ているとベッドから足が落ちて、ビックリして起きてしまうことがままある。あれは何故あんなにも身体に激震が走ったみたいな衝撃を受けてしまうのか。必要以上に驚いてしまって心臓に悪いったらない。

 その夜もそうだった。


 その夜は、わたしが社会人になって初めての夏で、ちょうどお盆の頃だった。

 家族はみんな祖父母の家に泊りがけで出かけており、数日の間わたしひとりが留守番役になったのだが、わたしだって別に好きで留守番しているわけではない。

 仕事だ。単純に休みが取れないだけで、間違っても『田舎』や『お墓参り』なんてダサッとか思っているわけではないし、昨年までは毎年恒例になっていたお墓参りにはわたしだって行きたかったのだ。


 わたしが高校二年生の冬に亡くなった祖父に、久々に挨拶したかったのに。


 わたしが就職したのは接客販売業で、扱っている商品は時計に宝石。全国に50店舗以上チェーン展開している中堅クラスの宝石店だった。その宝石店の『北海道○○市支店』という、大型ショッピングモールに入った店舗がわたしの職場だった。

 そこでは決まった先輩社員がインストラクターとして仕事のノウハウを徹底的に教えてくれた。毎月いくつもあるノルマをその先輩とふたりで熟していく。そうやって一年後には晴れてひとり立ちできる社員を目指して、研鑽している日々だった。


 正直、仕事は面白かった。

 商品自体には大して興味はなかったが、ひとつひとつ商品知識を蓄えていくのが楽しかったし、接客のコツを伝授してもらったり、初めてひとりで高額の宝石を販売できた時は生まれて初めての快感を覚えた。あれはクセになるくらいに気持ちが良い。日常生活ではまったく必要のない『0』の数がアホみたいに連なった小さな指輪とピアスがセットでポンと売れたのだ。驚きと喜びで脳内麻薬がガン決まり、ヤバい程だった。


 それに、お給料が良かった。

 当時で30万円近い額を毎月頂いていた。今考えれば社会に出たばかりの小娘にそんな金額をあげちゃうなんてけしからん話だが、あの頃はそんなモノだと思っていたし、それが仕事から離れられない理由の筆頭だった。


 お給料が良い代わりに、休日はほぼ無かったと言っていい。

 そもそも土日祝日は出勤必須。平日のみで週休二日になるように店長がシフトを組んでくれるのだが、ノルマを熟すためにはに休んでいたらクリアはできない。それで休日出勤を余儀なくされた。その分は給料に上乗せされてがっぽり稼げる――悪魔のループの出来上がりだ。


 そんなこんなの毎日だったので、祖父が亡くなってから月命日すら欠かさずお線香を上げに行っていたのにも係わらず、社会に出て4~5ヶ月は行けていない状態だった。

 平日の休みにでも行けばいいと思われるかもしれないが、祖父母の家は従姉家族と二世帯で住んでおり、平日はみんな仕事や学校で不在なのだ。祖母ですらパートに出ており、平日に行くわけにはいかなかったのだ。

(ちなみに祖父は享年64歳。6歳年下の祖母は誰より元気に働いていた)


 初孫として、あんなに可愛がってもらっていたのに。


 祖父は元来、厳格な人で、初孫だからと言って何でも買い与えてくれたり、膝に座らせてくれたりなどの所謂『猫可愛がり』してくれるような人ではなかったけれど、「あやのことをいつでも一番に考えてくれている」と祖母も両親も口を揃えて話すように、行儀や礼儀作法、仕来たりなどは幼い頃から厳しくしつけられたし、感受性を養うためにと童話や絵本、児童向けの小説を誕生日やクリスマスにプレゼントしてくれた。


 心臓の発作で緊急搬送され、治療のために長期入院となりそのまま帰らぬ人となってしまった祖父は「あやの成人式の準備をしてやれなかった」と悔やんでいたと、葬儀の際に祖母から教えてもらい、胸が締め付けられるほど痛くなったのを覚えている。


 そんな祖父に不義理を働いてしまったせいだろうか。あんなことが起こったのは。


 ガクンッと落ちた衝撃で目が覚めた。

 けれどどうせいつものことだろうと思い、目すら開けなかったわたしは、けれど強烈な違和を覚えて意識だけはしっかりと覚醒した。

 

 普通、ベッドから足が落ちると、その足先はブランとぶら下がる感じがするのではないだろうか。いつもならそうだ。床に爪先がつくかどうか、そんな感じに揺れる足を寝惚けながら布団の中に引き戻す。そのハズだ。けれどその夜は違った。


 足が、落ちたハズの左足が膝と同じ高さで畳についている。


 畳?


 わたしの家は中古のマンションで、ベランダに面した角部屋が私の部屋だ。その室内でベッドは窓に足を向けて右側を壁にくっつける形で配置していた。窓とベッドの間には小さなラック。その上に寝転びながら観られるようにTVを置いている。


 左側の壁に小学校から使用している木の机。これは祖父が小学校入学祝いにとプレゼントしてくれた物で、成人してからもずっと使っていた。その隣に本棚と背の低いタンスが並んでいる。そしてすぐに横スライドの扉。フローリングの床に薄いカーペットを敷いている。畳の感触がするわけがなかった。


 他の部屋も同様にフローリングだ。畳の部屋は一室も無い。

 なのに何故畳?なにかがおかしい。

 そう思ったわたしは一気に布団から飛び起きた。


 シングルベッドに寝ていたハズのわたしは、しっかりと硬い敷布団の上に豪奢な柄の客用の羽毛布団を被っていた。その敷布団から左足の膝から下の部分がはみ出ており、畳の上に投げ出されていたのだった。


 そして目の前に広がるその部屋は、そんな布団がしっくりくる和室。


 電気も点いておらず薄暗いその室内は、窓は閉まっているようだが外の灯が漏れているのか眼前に大きく開けた障子のおかげで仄明るい。

 縁側には背の高い飾り棚があり、いくつかの盆栽やサボテンの鉢が並んでいた。晴れた日には太陽に当てられるそれらは、夕方になるといつもに仕舞われていた。


 盆栽もサボテンも祖父の趣味だ。今では祖母がきちんと世話をしている。


 視界に入る左右には、和箪笥が二棹。飾り棚にはケースに入った日本人形に三体のこけし。このこけしが可愛らしくて、触ってみたくなり手を出そうとすると「お爺ちゃんの大切な物だからダメ」と、よく祖母に叱られたものだ。


 壁際には、布団を敷くために除けられた飴色に艶めく和式座卓。よくこの座卓で祖父は仕事をしていた。

 そう、ここは祖父の書斎だ。間違いようがないくらい見知ったその和室は、生前も祖父の部屋だった。


 飛び起きたわたしの背後は床の間になっているハズだ。振り向かなくても分かる。そこには古い掛け軸と、その下に二振りの模造刀。

 そしてその横、ちょうど今のわたしの背後にはお仏壇がある。祖父の位牌が置かれたお仏壇が絶対にある。振り向かなくても分かってしまった。ここは祖父の書斎。


 わたしは祖父に呼ばれたのだ。


 背後から、いや、頭の真上から視線を感じる。そこにあるのは祖父の遺影。白髪混じりの黒髪をオールバックに撫でつけた、少しエラの張った四角い輪郭のその表情に笑顔はない。太くて吊り上がり気味の眉が祖父の厳しい人柄を象徴している。そして何よりも印象的なのが、ぎょろりと大きな双眸だった。

 幼い頃は眼光鋭いその眼に射竦められると、怖くて身がすくむ思いだった。成長してそれが畏怖の念と呼ぶものだと知った。


 今、頭上からあの視線が、わたしに向けて射るように注がれている。

 

 祖父が怒っている。

 わたしは瞬時にそう理解した。


 祖父はあれだけ厳しく教え諭したハズの孫娘が、仕事にかまけてお盆のお墓参りにも来ないどころか、普段から少しの時間も作ろうともせず、祖母にすら顔を見せない不義理な孫に怒っているのだ。

 もしくは呆れているのか、情けなく思っているのか。

 

 どちらにせよ、祖父はわたしに何かを伝えようと、気づかせようとしてこの和室にわたしを呼び寄せたのだろう。生前は祖父の書斎。没後は祖父のお仏壇が置かれた仏間。ありえない現象だけれど、そうとしか考えられなかった。


 おじいちゃん——


 わたしは祖父の想いが込められた視線に貫かれ、振り返ることもままならず、只々飛び起きた格好のままで固まっていた。胸に苦いものがじわじわと広がる。

 その時だった。

 開けた障子の向こうから、目を眩ませるほど眩しい真っ白な光が射し込んできたのだ。光は障子の幅いっぱいに広がり、ゆっくりと、しかし圧倒的な力を持って仄明るい和室を舐めていく。舐められた場所から『白』に塗り潰されるかのように

 盆栽。飾り棚。こけし。和式座卓。

 みんなみんな消えていく。


 ――ヤバい。


 白い光は本来、清浄なモノの象徴だろう。けれどわたしは、その『白』に触れた途端にこの身も消えて無くなってしまう予感に襲われて、その時になって初めて恐怖を感じた。それまでは怖いなんて思ってもいなかったのに。

 わたしは何とかその『白』から逃れようと、いつまでも投げ出しっぱなしだった左足を布団に引き入れ、そして何故かふと思った。


 この布団から身体を出してはいけない。

 この布団だけがだから。


 何故かは分からない。そもそも、こんな豪奢な羽毛布団、祖父の家にあっただろうか。見たことはないけれど、わたしの足が遠のいている間に客用として祖母が新調したのかもしれない。

 分からないなりにわたしは自分の直感を信じ、すっぽりと頭から布団に潜り込んだ。その間にも『白』は布団の間際まで舌を伸ばして、今にもこちらを舐め尽くそうとしている。

 布団の中で身を縮こませて、毛細血管が千切れそうなほど眼を瞑ったけれど、それでも強い光の帯が布団に覆い被さったのが、塞がれた視界の外側が明るくなったことで分かった。


 ダメだ、終わった――


 そう覚悟した時、ガクンッと落ちた衝撃で目が覚めた。

 目覚めた?わたしは慌てて布団を跳ね除けて周囲を見渡す。

 量販店で購入したシングルベッド。安物のタオルケットが足下で団子になっている。落ちた左足は薄いカーペットを踏んでいて、祖父に買って貰った机の横でカーテンの縁が朝日を浴びて淡く滲んでいる。

 自室だ。どうやらわたしは夢を見ていた、のだろうか。

 何はともあれ無事に目覚めたわたしは、安堵の息をつき、来月の土日どこかで休みを貰おうと強く心に誓ったのだった。


 それからは毎年九月(ちょうど仕事の閑散期なのだ)に纏まった休みを取り、家族や親戚とはひと月遅れでお墓参りをするようになった。その甲斐あってか以降、祖父に呼ばれることはなかった。

 そして程なくして相方さんと知り合い、結婚を機に上京したわたしのお盆は、毎年相方さんの地元で過ごすことになった。

 そのため現在までお盆は一度も地元北海道には帰っていない。けれど、嫁ぎ先の仕来たりを守っている間は祖父に呼ばれることはないと確信している。


 今年も慌ただしくお盆が過ぎていく。

 それでもふとした瞬間に懐かしく思い出すのだ。

 祖父の仏間に呼ばれた、あのお盆の夜ことを。





  完 

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盆の夜、仏間にて。 皐月あやめ @ayame

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