霞ケ浦のケッシー
一矢射的
ネス湖ならネッシー。ならば霞ヶ浦に住む怪物は……?
毎晩、
貴方は女性なんだからジョギングは昼間行くべきという耳の痛い意見もありそうだけど、スケジュール的にアルバイトを終えた遅い時刻でないと霞ヶ浦まで行く時間を捻出できそうもないし、奨学金頼みの学生が金銭問題の現実から目を逸らすわけにもいかない。(借金を減らしたいので)だから私はバイトのシフトを削ったりはせず、予定の空いた夜間に駆ける日課を貫き通すのだ。依怙地に、どんなに疲れていようとも。
そりゃ~正直、忙しすぎて思う所も多々ありますけれども。
健やかな青春に憧れて大学生となったのに、実際はサークルも入れず、彼氏も出来ず、バイト三昧……いやいや、よしましょうね。
なにも私の愚痴をみんなに聞かせたいわけじゃないんだからさ。
そんな夜半のジョギング中に奇妙な体験をしたって話なのよ、これは。
それも、とびっきり奇妙な奴!
夜だからこそでしょ、こんな経験できたの!
負け惜しみじゃなくてよ!
おっと、その前に肝心の霞ヶ浦についても説明しないとダメか。
これは茨城県の南部にある県内でもっとも大きな湖でね。
岸部に立つと海かと見間違うくらいの広さ・雄大さなの。大袈裟じゃなく。
風の強い日は湖面に波も立つし、ヨットハーバーの桟橋も雰囲気があって、内陸なのに海を感じられるステキな場所なんだ。昔は伝統の帆掛け船で底引き網漁をしていたそうなんだけど、最近は観光客向けだけにヒッソリとやってる感じ?
遊覧定期船も出てるし、県内ではまだ賑わってる方かな。
地元じゃチョー有名な観光名所。筑波山や牛久大仏にも匹敵する知名度なんだ。
そんな地元民に広く深く愛されている湖だからこそ、サイクリングロードや物見台も完備されていてね。嫌なことがあった日には、高所からオレンジ色に染まる湖を見ていると心がスッと軽くなるんだ。私は大好きだね、霞ヶ浦。夏も涼しいし。
だから毎日のジョギングにここを走る。私のこだわり。高校時代は陸上部だったせいか、大会とか目標がなくともつい走っちゃうんだ。サボると寝れなくなるし。
昼間は大学で講義を受けて、夕方からカラオケ店でバイト、夜はジョギング。
それが私の多忙な毎日。
そんな、なんの変わり映えもしない日々がずっと続くと思っていた。
K太に出会うその日までは。
ある晩、いつも通りに私がジョギングをしているとね……普段は誰も居ない港のコンクリート壁の前に誰かが居るわけ。あれは堤防の一部なのかね、結構なサイズの壁があるんだけど、そこに向かって何かゴソゴソひとり作業している奴がいるの。
そいつ、壁へ絵を描いていたんだ、夜中に。
暴走族とか「そういうの」大好きだって言うし、ヤベー奴かと思って最初は素通りしようとしたんだ。そしたら、そいつ私よりも背丈がなくてチビでさ。
年齢も同年代、格好もジャージ姿同士。少しだけ親近感わくじゃん?
相手は男だったけど、思い切って声をかけてみたんだ。
何をしているんですか?ってね。
そしたらソイツ何て言ったと思う? ありえないよ。
驚いたことに「ケッシーを描いているんだ」だってさ!
ネス湖にネッシーがいるのなら、霞ヶ浦にはケッシーが居ないとダメなんだって。頭おかしいよね、描かれている絵もパンク調で一目で気に入っちゃったよ。
思わず突っ込まずにはいられなかった。
「霞ヶ浦の頭文字からとるならカッシーじゃないの? 怪物の名前」
「そんなのは誰でも思い付く。霞ケ浦を漢字で書くとケが入っているだろ。そこからとったんだ。ケッシー、俺のオリジナル、へへへ」
面白い奴だよ、まったく。あれはカタカナじゃないでしょうに。
まぁ、何かと聞かれたら正式名称なんざ私も知らないけどさ。
そんな面白い会話をしたら、もう友達だよね?
気付けば自己紹介をしていたね。
彼の名は宮川K太。
イラストレーター志望なんだけど美大に入れず浪人しているんだとか。
家が貧しくて、本当は浪人なんていつまでもしていられないとか。
いきなり、ちょっと感傷的な話をしちゃった。
基本、お馬鹿な話しかしない、出来ない、変な奴なんだけど。まれに憂いの表情を見せることがあってさ。私はどことなく そこに惹かれていたのかもしれない。
夢を諦めるにしてもせめて何かを残したくて、SNSで話題になるような絵を手掛けているんだってさ。街中でコッソリ。今回はたまたま霞ヶ浦に良い場所が見つかったから此処にしたらしい。そういうストリートアーティスト的な活動って実は犯罪のような気もするけど、既に落書きや絵画だらけだからね。この堤防の場合は。
市公認の企画で堤防に絵を描く大会があったんだ、むかし。
だから空いている箇所も殆どない。ここのヨットハーバー沿いには上手い絵が展覧会場みたいに延々と並んでいるの。
そんなんだからさ。今更、K太が空き場所に少しくらいスプレーを吹き付けたって変わらないと思うワケ。んで、私もSNSは大好きだから、完成したら紹介してやると約束したんだ。
アイツ頬を赤らめてメッチャ喜んでいたよ。
それから私とK太の不思議な交流が始まった。
交流といってもジョギングの途中で挨拶して、進捗状況を訊くだけなんだけどさ。
同じ霞ケ浦に通う者同士、話は自然と湖のことになるんだよね。
「K太は霞ケ浦好きなの?」
「大好きだね、ここは神聖な湖だから」
「神聖? どこが?」
「知らないのかい? 筑波山から神の通り道が何本も伸びていてね。その内の一本がちょうどこの絵の上を通っているんだ」
「へ、へぇ? 良く分からないけど風水みたいなモン? 漫画で読んだよ」
「正解。神の道とはいわゆる地脈の事だと僕は睨んでいるんだ。まぁ、難しい話は抜きにしても、霊験あらたかな場所に描けば俺の絵にも少しはご利益があるんじゃないかと思ってさ」
本当に変わった奴だよ、まったく!
偏見かもしれないけど、美大に落ちたのもそのせいじゃない?
でも、私は嫌いになれなかった。
アイツが自分なりに一生懸命なのは伝わって来たし。
私も私なりに日々を一生懸命過ごしていたから。
共感しちゃうんだよ、願う望みを叶えられなかった者同士。
アイツは美大。私は素敵な彼氏。
思い通りにはいかないモンなんだなってさぁ……。
だからって、この変人で妥協するのも……う――ん。
在りっちゃ、アリなのかな? どっちかと言えばアリ側の……。
在原業平だよ、伊勢物語め。
乙女ギャグで恋心を隠していた所、暫定彼氏との別れはすぐにやってきた。
玉の露みたいにあっけなくね……。
いつも通りジョギングで私がコンクリート壁の前を通りかかると、その日はK太が居ないんだ。時間はいつもと同じ。携帯で確かめたから間違いようがなし。波が立ち、気持ちが不穏になる どこかブキミな朧月夜だった。
胸騒ぎがして辺りを調べようとした時、私はそれに気付いた。
完成間近までいった怪物のストリート・アートが消されている。
怪物が居た空間は白のスプレーで塗りつぶされていた。
まるで怪物が抜け出たみたいに背景の霞ケ浦だけが残っていた。
「なんでこんな……もうすぐ完成だって言ったじゃん」
これは何かがあったに違いないと確信し、私は慌てて四方を見渡した。
すると、湖畔に何か小物が置かれているのが目に入った。
繋留杭の隣にきっちり並べてあるコレは……。
アイツが履いてたクロックス(比較的安価な靴)そしてそこに置かれていた手紙。
これって遺書なんじゃ?
急いで中をあらためると、一言だけ書かれていた。
『俺も怪物になりたい』
なんだよ、コレ? まさか入水自殺? 嘘だろ?
ザッパーン。
派手な波の音がして私は振り返る。
すると、月光に照らされて一瞬だけそれが見えた。
沖合の浪間に姿を現す首長竜の影法師。
アイツが描いた姿そのままの怪物。
霞ケ浦のケッシーだ。アゴから滴り落ちる水までハッキリ見えた。
でも、それが見えたのは本当に一瞬だけで。
すぐ波にのまれて見えなくなってしまった。
幻覚か現実かは、私にだってよく判らなかった。
一応、警察に連絡して付近を捜索してもらったけど、湖の底から水死体が見つかったりはしなかった。アイツは親と喧嘩でもして、憂さ晴らしの悪戯を私に仕掛けてきただけかもしれないのだ。
絵を大切に思っていたし、余程でない限りは消したりしないと思うんだけど。
それとも「神の道うんぬん」の話が本当で、特別なご利益があったのだとか?
首長竜の絵が抜け出てきたとか、アイツ自身がケッシーになったとか?
神ならぬ身、私なんかに判るはずもない。それから何度も同じルートを走ったけれど、K太とはそれっきり。もう再会はなかった。
許可を得て撮影させてもらった未完成バージョンの絵が携帯に残っていたので、それを約束通りSNSにアップした。それなりに反響があったけれど、アイツからの連絡はなし。でもただ一つ。気になる書き込みが。
『ありがとう』
その一言だけで、他には何にも言ってこない奴がいて。
私はなんとなくK太の影を感じていた。
無事で居てくれるのならそれで良いと思うんだけどね。
いつか再会して、一緒に呑みへでも行けたらさ。
ちょっと楽しいと思うんだけど。
昔の事ならなんだって笑いながら話せるでしょ?
まぁ、生憎とその願いは叶っていないワケ。
願いって叶わないのが人生なのかね? そんな事ないよね?
たったそれだけの、ちょっと不思議でホラーの主人公にでもなったみたいな私のブキミ体験談。どう、面白かった?
……アイツ、結局なにを考えていたと思う?
優雅な水鳥だって水面下では必死に足をかいているように、他人の心も他所からだと全部は見えない物だよね? たとえそれが友達だったとしてもさ。
あの首長竜が水面の下にどんな思いを、あるいは闇を秘めていたのか、今となっては知りようもない。お互い様だよ! そこに言葉が足りなかったんだから、むしろ必然かも。
もっと訊けばよかった、もっと言えばよかった、なぁんて。
これから先もずっとそう思い続けるなんて、アタシ、嫌だよ。
だからもう変える、次の機会こそは。
それが私の得た教訓って奴でね。
次はきっと活かしたいかな、この経験を。
みんな、もっとお喋りしようよ、本音でさ。
傷つけたり、傷つけられたりする事なんて「出来ず仕舞いの後悔」に比べたら大した物じゃないから。
K太に会うまでは何もない毎日がそのまま平穏なのだと思い込んでいた。
でも今は、それって人生の浪費なんじゃないかと気付きはじめているんだ。
ねぇ? 貴方はどう思う?
ああ、それで絵は結局どうなったのかって……?
あの堤防の壁には、今でも中身のないケッシーの絵は残されている…と思う。
消されていなければ、たぶんね!
霞ケ浦のケッシー 一矢射的 @taitan2345
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