埼玉に行った気管支喘息さん

小学4年生の夏休み、埼玉県の国立病院へ転院した。そこは神奈川県の病院の倍以上の患者がいる場所で、その病院には喘息に関する著書を何冊も出版している有名な権威ある小児科医がいた。彼は「運動を毎日続け、体を鍛えれば喘息発作は出ない」を掲げた医師だった。


病院のタイムスケジュールは厳格そのもので、朝6時に起床し、7時から「鍛錬」と名付けられた運動が始まる。病棟内のグラウンドで2㎞走り、その後1時間のスポーツが続く。朝食を済ませた後、病院に併設された養護学校に通い、昼食は病院に戻る。午後の授業後には1時間半のレクリエーションがあり、その後は筋トレ(腹筋100回、背筋50回、腕立て伏せ50回、腹式呼吸10分)が待っている。おやつの時間には「なかよし会議」と称された「チクリ大会」が医師によって開かれ、最終的に自由時間と入浴時間が訪れる。勉強時間1時間を経て、夕食、自由時間1時間の後に就寝。


この厳格なタイムスケジュールから少しでも遅れると罰がある。体調不良で1日休むと、マラソンの2㎞が「残り」として加算され、喘息で走れないなどの言い訳も許されない。私は一度、50㎞を超える「残り」を作ってしまった。この「残り」があると外泊が一切禁止されるため、コツコツと返済しなければならなかった。その返済方法は、夕方の自由時間を削り看護師に「残りを返したい」と伝え、看護師の目の前でグラウンドを走ることで返済される。


振り返れば、まるで新興宗教のような厳しさだった。もちろん携帯電話、漫画、雑誌などは禁止され、公衆電話から自宅に電話することは許されていたが、ほとんどの人は電話しなかった。私もたまに姉に電話する程度だった。


この過密スケジュールと罰則の中、誰もタイムスケジュールについて教えてくれない。最初は戸惑いばかりだった。姉も一緒に入院していたが、まるで他人のように振る舞われ、私が間違ったことをすれば「は?何してんの?」という一言だけだった。そのため、周りの様子を見て学び、心をさらに強く持たなければ押しつぶされてしまうと感じた。

少しでも怯めば、高校生から首を絞められるのは日常茶飯事で、看護師に殴られて突き飛ばされるのも当たり前。そんな病院で、私は日々を過ごしていた。

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