退院後の気管支喘息さん

6歳になり、私にとって初めての社会生活が始まった。小学校の保健室には、私の薬が常備されており、少しでも発作が起きればすぐに保健室へ行くことが習慣になっていた。


発作は次第に酷くなり、入退院を繰り返す日々が続いた。その原因は明らかだった。自宅は雑多で不衛生。母親は猫や鳥、リスなどの動物を次々と譲り受けてくる。さらに両親はヘビースモーカーだった。本当の「家」と呼ぶ場所は、喘息を悪化させて殺そうとするために存在しているかのような環境だった。


小学2年生の頃、母親は自宅に帰ることが少なくなった。おそらく、不倫でもしていたのだろうと私は思っている。

その頃から、夜中に喘息発作が起きると父親から「うるせぇんだよ!」と怒鳴られ、蹴られることが増えた。喘息の発作を経験したことがある人なら分かると思う。発作中に話すことは非常に辛く苦しい。それでも、私は必死に「く…くる…しい…病…院に…いき…たい」と懇願したが、父親は無慈悲にも「仕事で疲れてんだよ!朝まで待ってろ!」と一蹴し、布団に戻ってしまった。

父親を起こさないように咳を抑えながら、散らばった物の中からインタールを探し、シリンジでベネトリンを0.2ml測り入れた。ゆっくりと音を立てない様に、電源を入れた。ゆっくりとスイッチを押したところで大きな音が小さくなるなんて事はないと知っていた。だが少しでも音を立てたくなかったから。

ひと昔前のネブライザーは大きくてうるさく、その薬の水蒸気を吸うと咳が止まらない。案の定、父親をまた起きてしまい、またもや怒鳴られ蹴られた。ネブライザーの電源を切って考えた策は、少しでも遠くに行くこと。トイレのドアの前まで這いつくばって移動し、口を押えて小さく丸まった。

息が出来なく苦しくて、頭痛や吐き気が止まらない。その時、私の意に反してその場で嘔吐してしまった。


初めて「死にたい」と思った。「このまま、こんなに苦しいのが続いていくなら、もう死にたい。このまま寝たら二度と起きないままでいいや」と考えていた。

僅か7歳にして——

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