数え歌
如月姫蝶
数え歌
生首と、すれ違いざまに目が合った。
睨みつけられたような気がしたのだ、白黒の、見知らぬ婆様に。
黒い枠に切り取られた生首のようなその婆様は——実は、遺影だった。
それは、火葬場での出来事だった。
二つの家族が、それぞれ遺影を先頭にして、重たい歩を進めていた。そして、双方無言のままに、通路ですれ違ったのだ……
こっちは、カラー写真だもんね。
チエは思った。
白黒写真は、新聞記事みたいで、なんか嫌だと、彼女のパパが言うからだ。
十歳のチエは、火葬場にやって来たのは初めてだった。
「今は十人ルールがあるからいいよな。こうして遠慮も恐怖もせずに、すんなりとすれ違える」
そう言ったのは、チエの叔父であるサトシだ。
何年か前、新型の病気が大流行した。大勢が集まると病気が広がるからと、死者に同行して火葬場を訪れても良いのは十人までという決まりができて、今でもそのままなのだ。
「そうね……お父さんの時は、百人近く引き連れちゃって、大変だったものね……他のご家族が」
チエのママは、青白い顔をしていたが、クックッ……と、低い声で思い出し笑いした。
ママは、サトシおじちゃんのお姉さんで、元々仲良しの姉弟なのだ。
「あれは、十人ルールなんて、まだなかった当時だったしな。界隈の
サトシは言った。
「ねえ、ドンってなあに? ドーンと構えてる人のこと?」
チエは尋ねた。サトシは弁護士で、チエが知らないような難しい言葉をよく使うのだ。
けれど、サトシは答えてくれなかった。
「ほんとに、この子は……」
ママが低く呟いただけだった。
サトシは、以前から、チエにも優しくしてくれる。けれど、最近、以前ほど脱がなくなった。
あれは、チエがまだうんと小さかった頃だ。春に、楽しみにしていたお花見が、大雨のせいで中止になってしまった。
「チエちゃん、泣かないで。おじちゃんが桜吹雪を見せてあげるから。遠山の金さんにも負けないぞ!」
サトシは、いそいそと上半身裸になろうとした。
「ねえ、とーやまのきんさんって、なあに?」
チエが小首を傾げて尋ねたら、張り切っていたサトシは、ガッカリションボリとして、質問にも答えてくれなかった。
思えば、あれ以来、サトシはあんまり脱がなくなったような気がする。
チエには、知らないことがたくさんある。
けれど、もう十年も生きてきたのだから、知ってることも増えてきた。
例えば——
丁が偶数で、半が奇数なのだと知っている。
ボンクラと、盆暮れと、クラムボンは、全然別物らしいと知っている。
サツマイモをオーブンで九十分焼けば、蜜の滴る焼き芋になることも、よーく知っている。
けれど、人の体を九十分も焼いたら、いったいどうなってしまうのだろう……
チエには、まだまだ知らないことやわからないこともたくさんあるのだ。
小学一年生だった頃、チエは、数の数え方を覚えるのに苦労したっけ。
一から十まで数えようとしても、どれかの数字を飛ばしてしまうのだった。
その頃、チエの世話係だったマサは、胸を叩いて教えてくれた。
「お嬢! 指折り数えてください。手の指は、ちょうど十本ですから!」
彼はしかし、自分の手を見下ろして慌てた。
「えっと、こっちはちゃんと十本ですから!」
マサは、靴下を脱いだのだった。けれど、足で指折り数えようなんてしたから、たちまち
チエのおばあちゃんが見かねて、孫娘のために数え歌を考え出してくれた。
おばあちゃんは、レストランのシェフが「本日のおすすめ」を書くみたいに、黒板にサラサラと歌詞を書き記して、可愛らしいお花の絵まで添えてくれた。
そして、おもむろに歌い上げたのだ。
「
まるで地の底から鳴り響くようなおばあちゃんの歌声には、忘れたくても忘れられない味わいがあった。
おかげでチエは、数を数えるのが上手になったのだ。
チエは、久しぶりに数え歌を歌いたくなって、葬列の人々を見遣った。
「
チエは、右手のお父さん指からお姉さん指までを折った。
ママは、写真を抱えている。サトシおじちゃんと、パパと、おじいちゃんが、そのそばにいるのだ。
「
今度は、右手の赤ちゃん指と、左手のお父さん指を折った。
おばあちゃん。黒い着物と白い着物のおばあちゃん……
「
最後に、左手の残りの指を折った。
あなた誰?——黒ずくめの、背の高い女の人……
あなた誰?——黒ずくめの、目つきの鋭い男の人……
マサ! 今では足の指すら、足そのものすら失くしたマサ……
そして、血塗れのおじいちゃん。
うん、間違いなく十人だ。チエ以外に十人の人々が、ルール通りに、そこに集まっていた!
上手に数えられたチエは、思わずスキップした。
すると、ふんわりと宙に舞い上がって、アゲハ蝶にでもなったように、葬列を見下ろすことになった……
かつて
彼女の葬列は、私服の警察官たちを交えつつ、火葬炉へと向かっているのだった。
数え歌 如月姫蝶 @k-kiss
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