丑三つ時、踏んではならぬおぞましきもの

ジャック(JTW)

ここは『人ならざるもの』の縄張りだった

 ※公式自主企画「怖そうで怖くない少し怖いカクヨム百物語」参加(予定)作品。

 ※実話です。閲覧注意です。虫が苦手な方、ご注意ください!


 ◆―――――――◆


 暑い夏、照りつける太陽が眩しい八月の半ば。私は、お盆休みを利用して海沿いの祖母の家に帰省していた。祖母の家は母方の実家で、年に数回帰省して祖母や親族に会いに行くのが恒例化していた。


 コンビニも何もない寂れた田舎だが、私は亡き祖父との思い出のあるこの場所がとても好きだった。

 耳が壊れるほどにやかましい蝉の声、ホッホー、ホッホーと一定のリズムで響くキジバトの鳴き声。夜には蛙や虫が鳴き、賑やかな生物たちの合唱が、休まることなく鳴っている。自然豊かな祖母の家の庭は、まるで人ならざるものの楽園のようだった。


 祖母の家に一泊して、翌日にお墓参りをするというのが毎年の決まりだった。親戚と一緒に花と線香を供え、ご先祖様の冥福を祈る時間が、私は好きだった。私は亡くなった祖父が大好きだから、祈りやお参りを通して祖父と対話できているような気がするのだ。


 ◆―――――――◆


 そして、語ることもおぞましい『なにか』と私が遭遇したのは、祖母の家に泊まったその日のことだった。草木も眠る丑三つ時、喉が渇いて目を覚ました私は、階段をゆっくり降りていた。


 祖母の家はとても古い。歩くたびに床がギシ、ギシと軋む。私は転ばないようにゆっくりと歩を進める。

 暗い階段で足を滑らせないように、スマホのライトを照明として使っていた。


 そして私は、寝ぼけまなこのまま、階段の最後の段差を降りた。

 一階に降りて、台所にある冷えた水を取りに行くのだ。たったそれだけの用事。しかし私はすぐ足を踏み出したことを後悔することになる。


 ──足元に、がいる。


 その瞬間、体中に怖気おぞけが走る。私は、足の裏に何か異物感を覚えて咄嗟に足を上げた。鳥肌が立ちそうだった。おかしい。何かがおかしい。


 ──なにかが……なにかが、私の足の裏でうごめいた!


 ◆―――――――◆


「な、何……!?」


 私は寝ぼけた頭で必死に思考を巡らせる。足の裏でうごめいたものの正体を探るために、足をどかした場所へ咄嗟にスマホのライトを向けた。

 そして私は、自らの足の裏で踏んでしまったもの、その正体を目の当たりにすることになる!

 数え切れない無数の足が、うぞうぞと動いている。

 決して人間ではない、黒い曲がりくねったからだを持つおぞましい生き物がそこにいる。


「…………ひッ!」


 私は叫びそうになる口をつぐんで、心のなかで絶叫した。(寝ている家族を起こさないための配慮である。)


 イヤーーーーッ!!!!!


 ーーーーーッ!!!!!!


 祖母の家は自然がたっぷりの田舎にある。古い家なので隙間も多く、小さな虫が入り込んでくるのは日常茶飯事だった。ある意味、人間ではない人ならざる生き物の楽園と言えなくもないだろう。ただの羽虫ならまだいい。しかしでっかいムカデは流石に無理だった。

 私は状況を理解した瞬間、パニックに陥った。


 えっ!?

 えっ今、えっ、えっ!?

 今ッ、ムカデ、でっかいムカデ素足で踏んだ?

 割としっかり、じかに踏んづけてたってこと!?


 イヤーーーー!!!

 ムカデって毒あるやんーーーーー!!!


 えっ今、刺された!? 噛まれた!?

 いやもう表現はどっちでもいいわ!

 問題なのは私が今靴下履いてないことだ!

 靴下履いてても焼け石に水な気がするけどとにかく素足にムカデはヤバイ気がする!


 私は慌てて足の裏を確認する。幸い、何処にも傷はなく、痛みもなかった。念の為スマホのライトで照らして念入りに確認したが、大丈夫そうだった。私はほっとした。

 刺されてない……。

 痛くない!

 よかった!


 私はそこでハッと我に返った。


 ……何もよくない、問題は何も解決してない!

 刺されてないのはよかったけど、今重要なのはそれじゃない!

 このまま放置しておけない。なんとかしなくちゃ!

 丑三つ時の偶然の出会いから、人ならざるもの──もとい、でっかいムカデとの死闘が幕を開けた。


 ◆―――――――◆


 刺されるのが私だけなら別にいい。

 しかし祖母は膝を痛めている。そんな祖母がもしムカデに噛まれてしまったら、さらに外出が億劫おっくうになるだろう。

 そんなこと、絶対にあってはならない!


 私は決意を固めた。ここは……、ムカデの発見者である私が責任持ってムカデと戦うべきだと思ったのだ。他の家族や親族は全員寝ている。私以外に動けるものはいない。

 戦わないとみんなも私も安心して眠れない。


 私は慌てて台所に向かい、ムカデと戦うための武器を探した。此処は勝手知ったる我が家ではなく祖母の家だ。朧気おぼろげにしか物の配置がわからない中で、眠くて回らない頭を回転させながら私は必死に武器を選びだした。


 割り箸〜〜〜〜〜!!!(ドラえ◯んのSE)


 私は、すごく、虫嫌いだ。

 うじゃうじゃ足が生えているムカデは特に苦手である。シンプルにこわい。

 それに毒のあるムカデなんて素手で触ろうものなら今度こそ噛まれてしまうだろう。わざわざ痛い想いをしたいわけではない。


 私は、来客用にたくさん置いてある割り箸を活用するという方法を思いついた。寝ぼけた頭の咄嗟の思いつきにしては悪くなかった。これなら直にムカデを触らなくてもいいし、ムカデを見つけさえすれば捕まえられる!

 箸使いはそこそこ上手だからなんとかなるはず!


 ただのひょろい木の割り箸が、その時の私には勇者の剣並みに頼もしく見えた。

 何も武器がないよりましだ!

 そう思い、慌ててムカデの発見地点に戻る。


 …………しかし、そこにはもうムカデの姿はなかった!


 それはそうだ、私がムカデの立場だったら、即その場から逃亡する。冷凍殺虫剤を浴びたわけでもないのにその場に硬直している方が間違いだ。ムカデの戦略的撤退は侮りがたい。

 私は素手で触りたくないがあまりムカデとの戦いから一時撤退した。そのすきに逃げられてしまったのだ。

 くそう!


 私は絶望したが、ムカデとの戦いを完全に放棄して逃げることはできなかった。私が噛まれずとも、他の家族、特に祖母が犠牲になる可能性は依然いぜん残っているのだから。


 深夜三時の暗闇の中、私は玄関に置いてあった懐中電灯とスマホのライトと玄関の明かりを頼りに、慎重にムカデ捜索に当たった。

 家族の靴を一つ一つ逆さにしてトントンと床に打ち付けるようにして叩く。ムカデを追い出すためにはこうするのがいいと昔習ったことがある。ついでに奥の方まで懐中電灯で照らして、靴の中や隙間にムカデが入っていないかどうか慎重に確認した。もし見落とせば、靴を履いた時、家族がムカデに噛まれてしまう恐れがあるからだ。


 幸い、誰の靴の中にもムカデはいなかった。

 ほっと一安心したいところだったが、今いなくても後で入りこまれる危険性がある。私は必死にムカデを探した。祖母のために。家族のために。親族のために。


 ──……こわい。こわいけど、戦わなきゃ!


 ……ところで現在時刻は夜中の三時である。

 私はすっかり眠るタイミングを逃して、喉が渇いていたことも忘れて、ムカデ捜索に追われた。


 ◆―――――――◆


 ……やがて無情にも時間は過ぎ、朝が来た。綺麗な朝焼けに照らされながら、私は割り箸を片手に握りしめて床に這いつくばるというみじめな姿で家族に発見された。


「何しとるんしてるの

「……でっかいムカデ探しとるてる


 私は割り箸を掴みながら床をめつけるように見ていた。姿勢を低くして、まるで覗きでもしようとしているような無様な姿だったと思う。でも、別にふざけているわけではない。段差の隙間や角にムカデが隠れていないかどうか真面目に捜索していたのだ。

 家族はしばらく、こいつ、何をやっているんだろう……というような唖然とした顔をしていたが、ややあって状況を理解して、慌てて私に問いかけてくる。


「家の中にムカデ!? 噛まれとらんてない? 大丈夫!?」

「……大丈夫。軽く踏んづけただけよ。ムカデ探して、みんなが噛まれないようにしようとしたとやけどんだけど……でも見失ってしまった、ごめん……」


 私は落ち込んだ。

 結局ムカデを見つけられなかった……。

 私は割り箸を握りしめて床を這いつくばるという奇行をしただけの人になってしまった……。

 疲労が滲む私を前にして、家族はどこか憐れみを含んだ声で優しく尋ねる。


「ムカデ、いつから探しとったんてたの? ……もしかして寝とらんとてないんじゃない?」

「夜中の二時半とか……三時くらい。ねえ、今何時?」

「朝の五時半」


 家族と私は顔を見合わせて吹き出して笑った。

 隙間の多い家だから、ムカデはもうとっくに外に脱出しまっているかもしれない。

 ムカデとの戦いは……私の完敗だった。


「頑張ってくれてありがとうね。きっともうムカデどっかいっとるどこかに行ってるよ。朝ご飯の準備しようか。皆で食べよう」

「うん」


 私はムカデ捜索を諦めた。

 手と足を綺麗に洗い、朝ご飯の準備をしにいった。

 家族や親族皆に「ムカデが出たから足元気をつけてね。ごめん逃がしたわ」と報告しつつ、和やかに朝ごはんを食べた。


 ◆―――――――◆


 結局、それから家族・親族総出でムカデを探したが全然見つからず、各人が足元に気をつけて過ごそうという話の流れになった。

 結局、誰もムカデには噛まれず、平穏な日々が過ぎていった。


 やがて、秋の終わりごろに意外な形で続報があった。

 祖母の家の隅っこ(大掃除しないと見つからないような物置の端)で乾涸ひからびたムカデの死骸が見つかったという連絡を受けた。

 私が踏んづけた場所からそう離れていなかったので、私が踏んだのと同一個体おなじムカデである可能性は大いにあるだろう。


 同一個体だとすると……。

 多分、私に踏まれたのが致命傷になって、深手を負いながら家の隅っこまで逃げ延びたものの、そこで力尽きてしまったのだろうか……。

 私にとってムカデを踏んだのは予期せぬアクシデントだったが、自分より図体の大きい人間に踏まれたムカデも、考えてみればかなり可哀想だ。


 ……踏んでごめんね、ムカデ。

 せめて安らかに成仏しておくれ……。


 またムカデと遭遇することがあったら、今度はスマートに見つけ出して割り箸で外に逃がしてあげたいと思った。


 夏の暑い頃になると、素足で踏んだムカデの感触を思い出す。

 少し硬質で、うぞうぞした足の踏み心地を。

 うっ……。今でもちょっと気分が悪くなる……。

 もう、でっかいムカデは…………踏みたくない。


 ◆―――――――◆

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丑三つ時、踏んではならぬおぞましきもの ジャック(JTW) @JackTheWriter

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