第6話罠を仕掛けた

 僕の計画の最終目標はK先生を学校から追い出すことでした。

 僕の知らないところで生きてくれれば良かったのです。僕と僕の友達に迷惑をかけなければそれで良かったのです。

 その過程でK先生の人生が無茶苦茶になるのは子供特有の残酷さですけど、仕方がないと割り切ることにしました。


 罪の意識は感じませんでした。というより罪悪感を小学生の頃は感じたことはありません。善悪の区別はつきましたけど、自分が正しいと思っている、もしくは思い込んでいる場合は感じることはありませんでした。


 だから計画を実行に移すことに躊躇しませんでした。

 やるべきことをやる。ただそれだけでした。


 ある日のことです。僕はわざとK先生を怒らせることをしました。授業中、友達と騒いだり、K先生の話を遮ったりしました。

 K先生は怒りやすい人間でしたので、僕に対して放課後残るように言いました。

 僕は内心、上手く行ったと喜びました。


 K先生や生徒に気づかれないように、僕は教室に父が持っていたデジタルカメラを隠しました。掃除ロッカーの中です。

 ちゃんと撮れるかは確認したので、よっぽどのことがない限り、鮮明に写っているでしょう。


 K先生が教室にやってきて、僕に説教を始めました。

 K先生は人を責めることが大好きなので、時間たっぷりに怒られ続けました。

 中盤に差し迫ったと感じた僕は、K先生に口答えしたのです。


 先生、それは違うんじゃないですか? そんなことは理不尽じゃないですか?

 子供らしくない言葉遣いで、K先生に言うとK先生はますます語気を荒げました。

 子供らしくない子供はK先生の機嫌を損ねると二年間の関わりで知っていました。


 僕は人の感情を操る術を幼いながら心得ていました。特に他人を怒らせるのは得意中の得意でした。

 まあ自慢にもならない特技ですけど。


 K先生は苛立って、僕に詰め寄りました。橋本、そんな言葉遣いをするんじゃない。大人をからかうんじゃないと。


 僕は、尊敬する人なら言いませんよ。それも分からないほど、K先生も馬鹿じゃないでしょう。

 その言葉がきっかけでした。K先生の苛立ちが最高潮になったのを感じました。

 K先生は僕の頬を殴りました。平手でした。


 始めは何が起きたのか分かりませんでした。頬はじんじんと痛み出して、自分が教室の床に倒れ込んだのを確認して、ああ、殴られたんだなとぼんやりと思いました。


「大人を舐めるんじゃない! 勉強がちょっとばかりできるからって、人を馬鹿にしていい理由にはならないんだ!」


 今から思うと正論でした。僕が他人を見下していることを、K先生は知っていたのです。

 ここでようやく、K先生が僕を嫌っていた理由も分かりました。自分を見下す子供。大人ならば確実に嫌うであろう人種でしょう。


 しかし、このときの僕はそれが正論だとは思いませんでした。自分が優れていることや優越感を持っていることが罪悪ではないと思っていたのです。優れた人間よりも劣った人間のほうが罪深いと思い込んでいたんです。


 今まで生きてきて思うのは、真に優れた人間は周りに認められつつも自分の能力を発揮できるのです。周りに不和をもたらす人間はどんなに優れた能力を持っていても、劣っている人間よりも始末に終えないのです。


 そんな簡単なことに気づけない当時の僕は、殴られたショックで、涙を流してしまったのです。カメラで撮っていることも忘れて。


 このときの心理は、今となっては分かりません。怒鳴られた怒りと殴られた悔しさ、泣かされた屈辱感、見下していた人間からの不意の反撃。

 いろいろなマイナスな心理が働いていて、それらが複雑に絡まってしまったのです。


 子供らしく大声で泣きませんでした。擬音で言うならシクシク泣いたのです。静かに顔で手を押さえながら泣きました。


 そんな僕をK先生は見下ろして「泣けば終わりじゃないからな」と言って、さらに説教を続けました。

 終わったのは、だいぶ時間が経ってからでした。悲しくて苦しい時間でした。


 説教が終わるとK先生は何も言わずに教室を去りました。床に崩れた僕を助け起こそうともせずに、苛立ったように去っていったのです。

 僕はしばらく立てませんでした。そして理不尽にもますますK先生を憎みました。

 自分から仕組んだことなのに、そして上手くいったはずなのに、屈辱感と敗北感で一杯でした。


 僕は仕掛けたカメラを確認しました。

 K先生が僕に説教している映像、そして僕を殴った映像が鮮明に映っていました。

 音は入ってません。僕が悪いと分かってしまいますし、そのほうが一方的にK先生が悪者になると分かっていたのです。


 僕は家に帰ると、まずテープをダビングしました。五つほどテープを用意しました。

 それぞれを校長先生、教頭先生、某新聞社に送りました。某新聞社は僕の家が購読していたので、たいした理由はありませんでした。

 まあ送ると言っても、校長室と教頭先生の机の上に置いたのですが。


 そして手紙を添付することを忘れませんでした。内容はあることないことを書きました。

 僕がK先生に苛められていることや友達が被害に遭っていることを主に書いて、それを誇張した文章を書いたと思います。

 それが上手くいくかは分かりませんでした。でも何かやらないと何も産まれない、間違った方向でしたけど、それが正しいことだと盲信していたのです。


 これから結果を明かしますが、とても心苦しく思います。人一人の人生を無茶苦茶にしてしまったのですから。


 テープを届けた翌日、僕は校長室に呼ばれました。

 校長先生と教頭先生、それに相談員、そして同じ学年の違うクラスの先生でした。

 僕は校長室のふかふかするソファーに座らせました。大人たちは椅子に座らずに僕を囲んでいました。

 座り心地は良いけど居心地は悪いなあと思いました。


「えー、橋本くん。このテープは君が私たちに届けたものかい?」


 そう口火を切ったのは、教頭先生でした。


「はい、そうです。僕が校長先生と教頭先生の机の上に置きました」


 正直に言うと、校長先生は溜息を吐きました。

 それはとてもくたびれた溜息でした。


「橋本くん。これはどういうことなんだい? 君がカメラを隠したのかな?」


 続けて教頭先生は言いました。

 まあカメラを隠さないと撮れない映像だというのは少し頭を捻れば分かることなので、僕は首を縦に振りました。


「それで、君はK先生と仲が悪いのかい?」


 随分とオブラートに包んだ教頭先生の言葉だと思いました。僕は「仲が悪いんじゃなくて、一方的に嫌われているんです」と言いました。

 その言葉は部屋中に静寂を産み出しました。


「……正直、信じられない気持ちだよ。まさかK先生が生徒――子供に暴力を振るう人間だったなんて。本当に残念だ」


 今まで黙りこんでいた校長先生がそんなことを言いました。

 内心、僕はやったと思いました。


「暴力はこれが初めてかい? 過去にもあったのかい?」


 教頭先生は『体罰』という言葉ではなく、『暴力』という言葉を使いました。それがとても印象的でした。

 僕はここで慎重に言葉を選んで言いました。


「僕はこれが初めてです。でも他に暴力を振るわれた人がいるかもしれません」


 正直に言いながら、虚言を吐くという、今では考えられないくらい悪辣な言葉でした。

 『いるんです』ではなく『いるかもしれない』というのがポイントでした。あくまでも断定していないのですが、それでもやっているのではないかと思わせる一言でした。


「そうか。質問してばかりですまないが、どうして君はカメラを仕掛けたんだい? そしてどうして殴られる瞬間を撮ることができたんだい?」


 これが一番辛い質問でした。挑発して殴らせたとは言えないので、僕は誤魔化すために、涙を流しました。

 僕は自在に涙を流すことができました。今はもうできませんけど、アイさんのことを想えば、自然と涙が流れたのです。


「なんで、僕が、責められなきゃ、いけないんですか? 悪いのはK先生なのに……」


 僕は泣きじゃくりながらそんなことを言った気がします。


 それから先の記憶は曖昧です。校長先生と教頭先生はぼそぼそと相談をし始めました。

 相談員と別のクラスの先生は僕を慰めてくれました。

 僕はひたすら泣きました。そうすることでK先生の立場を悪くしました。


 ああ、某新聞社のほうからは何のアプローチはありませんでした。送ったテープがどうなったのか知りません。


 それからしばらくして、K先生は学校からいなくなりました。

 僕が校長室に呼ばれてから数日もしませんでした。

 僕は心の中で嬉しがりました。しかしそれを表に出さないように気をつけました。

 計画がバレてしまう瞬間はそれが上手くいったときだというのを僕は知っていました。


 K先生がどうなったのか、僕は知りません。風の噂だと教師をやめただとか、実家に戻っただとか、はっきりしないのです。

 僕はどっちでも構いませんでした。僕のそばから嫌いな人間がいなくなれば、それで幸せなのです。


 僕は今では反省しています。自分が気に入らないからと言って、他人の人生を無茶苦茶にしてしまったこと。大人になって後悔しない日はありませんでした。


 しかし、当時の僕は罪悪感を覚えていませんでした。むしろ愚かしいことに、とても誇らしい気持ちになれたのです。

 何故なら、K先生にいじめられていた友達の笑顔が見られたからです。


「K先生がいなくなって良かった」


 その一言で僕は救われた気持ちになりました。

 兄に苛められて、担任に苛められて、最愛の友人には死に別れて、嫌なことばかりだった僕の人生に光が見えたのです。

 人を傷つけるかわりに人を助けられる。それが僕の心境に変化を与えたのです。


 当時の僕は、人を助けることは別の人を蹴落とすことだと誤認していました。

 どっちも助けるのではなく、どちらかを助けること。それが人を救うことだと思いこんでしまいました。


 先ほどから救うという言葉を多用していますけど、僕のこれからやっていくことは、人を救うことが前提でした。


 世界が僕を見放しているのなら、誰かを救うことで世界に僕を認めてやる。そう思うようになったのです。

 ネガティブな人間が間違ったポジティブな思考に変化していったのです。


 僕は学生の間、人を助けたり救ったりすることを生きる目的としていくのです。


 その心理は単純です。

 アイさんを助けられなかった自分が許せないこと。

 実際に救ってみて、救われた心地になれたこと。

 この二つのトラウマと快感に僕は支配されたのです。


 僕は小学生にして、人生の目標を立てました。

 僕は誰かを助けたり救ったりするために、この優れた知能を持っているんだ。

 だからそのために僕は生きていくんだ。


 そんな偏った考えを持つ僕がどんな風に育っていくのか、皆さんにはお分かりでしょう。

 歪んだ精神と腐った性根になってしまうのです。


 元々善人ではない僕は救世主になんかなれっこないのです。

 人を救うことには自分が救われたいと思ってはいけないのです。

 何故ならそれは自己満足になったり、欺瞞になったりするからです。


 そんな簡単なことに僕は気づけなかったのです。散々知能が高いと言ってきたのに、なんて恥ずかしいことでしょう。

 いや、恥知らずと言うべきでしょうか。


 そんな僕ですけど、人を助けるくらい、悪いこともしました。

 自分では手を下さないのですが、人を唆して悪事を行なうようなことをたくさんしてきました。

 今だから言えます。僕には人を救いたいと思う心と世界を破壊したいという気持ちがありました。二面性を持っていたのです。


 だから僕は悪人なのです。自己満足のために人を助けて、破壊願望のために人を唆す。

 今から思うと、なんて嫌な人間なんでしょう。


 次の話は、実際にやった悪いことを告白しようと思います。

 これは露悪趣味とも言えますね。自分の悪事を暴露するなんて、とても心が耐えられない、最悪なことですけど、でも私小説だからこそ、そういうことも書かねばならないと思うのです。それが読んでくださる方々への配慮であり、けじめであると思うのです。


 嫌なことは嫌々やる。それが僕のポリシーでもあります。

 それでは次は小学生の僕が唆した悪事を、自己批判しつつ書きたいと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る