第5話嫌な教師
前回の兄の話はかなり感情的になってしまいました。
しかし、それほど兄に対して憎しみと恨みがあることを覚えておいてほしいのです。
今でも僕は兄を憎み、恐怖しているのです。
良い大人が、子供のときの怒りを風化させることなく、覚え続けているのです。
兄と僕には根深い因縁が渦巻いています。そしてそれを克服していかねばならないのです。
僕にとって兄とは病気と一緒なのです。乗り越えるべき存在であり、完治しなければ健康になれない、そのようなものなのです。
さて。兄についてはもういいでしょう。ここからは小学校の話をしたいと思います。
アイさんがイマジナリーフレンドとなってから一年後、僕は小児喘息を治しました。根治したと言えるでしょう。
今では発作も何もありません。咳き込んだり肺が苦しくなったりすることはありません。
しかし身体が健康になったとはいえ、心に抱える病は無くなりません。
僕は世界に絶望していたのです。いくらアイさんの手紙を読んでいても、心が晴れることがなかったのです。
何故なら、世界に希望なんてなく、愛着なんてなく、執着なんてなく、あるのは失望しかなかったのです。
達観とは違っていて、諦観という言葉が似つかわしいんでしょう。
鬱屈した精神で世界が楽しめるでしょうか? 僕は違うと心から言えます。
始めからつまらないと感じているゲームを楽しめないように、僕は世界を諦めていたのです。
しかし、そんな感情を僕は表に出すことはありませんでした。陽気とまではいきませんけど、人生を謳歌しているポーズを僕は取らざるを得なかったのです。
それは兄の存在、両親の期待などいろいろ原因はありますが、ここで言えるのは、僕は子供を演じていたということです。
無垢で純粋な子供。それが僕の演じるべき、目標とするべき対象でした。
僕は自分の知能の高さを知っていました。そして自分の身体能力の低さも同時に知っていたのです。
ざっくばらんに言えば、取っ組み合いのケンカになってしまえば、確実に負けるんです。
兄のような乱暴者になりたいわけではありませんが、力というものの絶対性を知らないほど僕は愚かではありませんでした。
クラスでもなんでも、頂点に立たなければいつか誰かに虐げられると思い込んでいたのです。僕はそれが恐ろしかったのです。
自意識過剰と言われても仕方ないですけど、僕は誰かに寝首をかかれるという恐怖を覚えていたのです。
どんなに知能が高かろうが、必ず勝てるわけではないのです。むしろ自分の知能の高さを逆手に取られてしまう可能性が高いと本能で僕は知っていたのです。
それと僕の経験からですが、知能の低い人間ほど、知能の高い人間を支配したがるのです。それは自分より知能の高い者を見下したいという下卑た欲求からだと僕は思います。
そのような欲求から苛めが起こるのです。苛めを行なう人間ほど、知能が低く欠陥があるのです。サディストの語源であるマルキ・ド・サドが精神的におかしいのと同様です。
僕は苛められるのは真っ平ごめんでした。そんなくだらないストレスよりもやらねばならないことがあったのです。
やらねばならないこと。それは子供染みた発想で、幼さゆえの無知から来るものでした。
それは、アイさんを生き返らせることでした。その目的のために僕は生きていました。世界に絶望しながらも、アイさんを諦めないことが僕の希望となったのです。
イマジナリーフレンドのアイさんは偽物とはいえ、頼りになる幻覚でした。いつも要所で助けてくれることになる存在です。
しかし、僕は本物のアイさんに会いたかったのです。会って謝りたかったのです。助けられなくてごめんなさいと。一人きりで死なせてしまってごめんなさいと。
だから僕はできる限りのことを始めました。医学書はもちろん、自然科学、薬学、精神医学、少し外れて神話学、心理学、宗教などを独学ですけど、勉強し始めたのです。
毎日図書館に通って勉強の日々を送りました。それは知識を蓄えるためでした。いくら知能が高くても知識がなければ何の意味もありません。
必要なのは理論でした。そして研究だったのです。
しかし理論から実践へと至る前に、気づかされてしまったことがあります。
それは世界の常識でした。
死者は例外なく決して甦らない。
僕が小学生のときに考えたのは、まず健康な状態の肉体を用意して、そこにアイさんの記憶を移植する――今から思えば夢物語な話でした。
その当時、クローン技術が出始めた頃だったので、それが唯一の希望だったのです。
しかし、肉体が創れても、精神や魂といった不確かなものはどうやって用意すればいいのか、皆目見当もつかなかったのです。
僕の思い出だけではアイさんを表現できませんし、確実に不完全なものが出来上がるのだと思いました。
芸術品で喩えるなら、絵心があれば、誰でも模倣はできますけど、オリジナル特有のなんともいえないオーラのようなものは出せないと言えるでしょう。
僕はアイさんに会いたかったのです。あの優しくて綺麗で儚げなアイさんに、僕は会いたかった。心が締め付けられるほど合いたくて仕方かなかったのです。
でも、会おう思って自殺しようとしたことはありません。考えがよぎったことはありますが、実行に移したことはありません。
それは、前述したとおり、宗教を学んだことに由来します。どの宗教も基本的に自殺を禁止しています。キリスト教なんて、自殺したら地獄行きだと教えられています。
僕の想像ですけど、アイさんは天国に行ったと思うのです。こんな嫌な子供の僕を受け入れてくれた優しい女性が、地獄に行くはずがない、きっと天国に行ったんだ。そう思うようになりました。
イマジナリーフレンドのアイさんも『そうだね。私は天国に行けたと思うよ』と言ってくれたので、確信しました。
まあこれは潜在意識の中で言われたことなので、何の根拠もありませんでしたけど、救いにはなりました。
というわけで、僕はアイさんを生き返らせることと会いに行くことを諦めました。勉強したのは三年生までですけど、諦めるにはそのくらいの時間が必要だったのです。
三年間。僕はひたすら勉強に勤しんでいました。それが今後の人生に役立ったと言えば役立ちましたし、無駄だったとは言えません。
僕の人生の中で目的と目標を持って勉強したのは、これが初めてでした。後は高校受験と大学受験ぐらいです。
まあ勉強というより、好きなことを好き勝手やったというのが正直な話ですけど。
話は戻りますけど、僕は世界に絶望しつつ、周りからは陽気な人間として振舞っていました。小学校のうちは目立たないけど、頭の賢い、体育の時間の厄介者という評価を得ていました。
次第に演じていくのが辛くなった――ということはありませんでした。反対に楽しくもありませんでした。
やるべきことをやる。それが僕の考えでした。苛められたり嫌われたりするのは、一番嫌でした。
僕の所属していたクラスでは何度か苛めがありました。僕はそれを知りつつ、何の干渉もしませんでした。苛めっ子にやめるように言ったり、苛められっ子に手を差し伸べることもしませんでした。
苛められるのが怖かった、そんなわけではありません。単に関わるのが面倒だったのです。くだらないと思ったのです。
なんで苛めなんてするんだろう。なんで苛められるような原因を作り出すんだろう? 不思議で仕方がありませんでした。
小学生の頃に真剣に考えたのですが、苛める人間の心理を分析すると『楽しいから』と『自分が優位に立ちたいから』の二択だという結論が出ました。
楽しくないことはしたくないですし、自分が優位に立ちたいと思わない人間はいません。
それと小学生に苛めが多いのは、成績や運動でどうしても『自分が優位である』という確証がないことが挙げられます。
自分の立場が上か下か分からない。だから下の人間を見つけよう。そして支配しようと考える――そう僕は分析しました。
人間の奴隷化もこういう心理で産まれたのだと思いますね。人を支配しようと思う心は耐え難い快楽を得てしまうのです。
僕は他人を支配したいという心理は、小学生の時点では、あまりピンと来なかったのです。それは人に興味がないのと同じだと思います。僕の世界は僕とアイさんで創られていたのです。
でもそんなスタンスでは世の中を生きられるわけがありません。否応にも他人と関わって生きなければなりません。
そんなことが分からないほど、僕は愚かではありませんでした。
世界に絶望している僕ですけど、世界のほうは僕を見捨ててはくれませんでした。
それがありがたいことなのか、未だに判断つきませんけど。
小学四年生になったときの話です。
新しい先生が僕の通っている学校に異動になって、担任になりました。
名前は伏せておきます。プライバシーもありますしね。仮にK先生としておきましょう。
K先生は男性で背が高く、顔が整っていました。
しかし、僕は一目会ったときから、嫌な予感をしていました。
この人は嫌だなあと思ったのです。子供のストレートな物言いになってしまいますけど、本当に嫌な人だと思ったのです。
そして、この予感は当たることになるのです。
K先生は生徒を差別する人でした。気に入らない生徒と好んでいる生徒を自分の中で選り好みしていたのです。
僕はなるべくK先生の機嫌を損ねないように気を使いましたが、何故か気に入らない生徒にカテゴリーされてしまったのです。
僕は生徒同士の苛めは遭ったことはありませんけど、先生による苛めに遭いました。
K先生のいやらしいところは、気に入らない生徒の人数を少なく制限していたのです。
クラスには三十五人の生徒はいましたが、その中でも五人ほど苛めをしていたのです。
その五人には苛めっ子がいたりして、自分の理想な教室を創るのに要らないと思われる生徒で構成していました。
僕が気に入られなかったのは、多分直感で嫌な子供だと思われたらしいです。
まあ本人に訊いたことはありませんから、確かなことは分かりませんけど。
とにかく、僕は六年生になるまで、僕は差別されていたのです。
無垢ではない僕でも、このような差別には耐えられませんでした。
どのような差別を受けていたのか、具体的に言うと、無視されたり、怒鳴られたり、悪いことをしていないのに怒られたり、事件が起きたりすると犯人扱いされたりなどされました。
今思い出しても腹立たしいことばかりでした。
普通だったら不登校になることばかりでした。しかし、それはできませんでした。
逃げたいと思う心は僕にはありません。何故なら僕は自分のことを常に正しいと信じているのです。
盲信かもしれませんけど、僕は理不尽なことから逃げたりすることはありません。戦ってきたのです。これは負けず嫌いな子供特有の向こう見ずな精神でした。
そんな僕ですけど、小学校のときは友達が結構いました。僕の境遇に同情してくれる人もいました。
僕は自分を好いてくれる人を大切に、大事にしてきました。それは今でも変わりません。
しかし、ある日、僕の友達がK先生に泣かされました。
はっきり言いましょう。これは差別であり苛めであると。
あまりにも理不尽なことをされたのです。僕は許すことはできませんでした。自分がされたら我慢することはできますが、友達がされるのはどうしても許せなかったのです。
友達は不登校になりました。可哀想なことに当時は五年生で、林間学校の季節で、友達は行けなかったのです。
あんなに楽しみにしていたのに、なんて可哀想なんでしょう。
僕はこの理不尽を許せなかったのです。
だから――復讐をすることにしました。
K先生に思い知らせてやろうと思ったのです。
でもどうやって復讐するのか、僕は悩みました。このとき、殺意を覚えたのは言うまでもありません。しかし、命の儚さと尊さをアイさんから教えてもらった僕は、それだけはできませんでした。
小学五年生が殺意を覚える。そう考える僕は、本当に異常だったのだと思います。
僕はアイさんと相談しました。どうやってK先生に復讐するか。そればかり考えていました。
考えて考えて考え抜いて、そしてようやく結論が出ました。
今だから言えることですが、とても残酷なことをしました。良心を感じるようになった今だったらできないことです。
それでも僕はやりました。友達のためという大義名分を自分の中に抱えつつ、実行に移したのです。
僕が考えた復讐とは、K先生の人生を無茶苦茶にすることでした。
今までの苦労をなかったことにしてやるのです。
それはとても残酷なやり方でした。
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