第4話兄

 兄について話したいと思います。

 時系列で考えると、小学校の話をするべきですが、その前に語っておかねばなりません。

 身内の恥を話す、恥知らずな真似は最初にしておかないと僕の心が持たないのです。


 身内の恥。僕にとって兄とは恥であり、汚点であり、恥辱であるのです。

 あんなクズと同じ血が流れていると思うと心の底から両親を呪いたいくらいなのです。

 ああ、言葉が汚くなってしまいました。どうしても兄のことを語りだすと感情的になってしまいます。気をつけなければ。


 うだうだ言ってないで、兄について話します。本当は書きたくないのですが。

 しかし僕の人生において兄の影響、いや悪影響は多大なのです。それだけは理解してほしいです。

 兄は僕よりも二歳年上です。だから僕よりも体格が大きく力が強いのです。今はどうか知りませんけど。


 昔、兄と僕は剣道を習っていました。けれど僕は剣道が強くありません。運動が苦手なのです。多分幼少期、身体を動かすことをしていなかったのが原因だと思います。

 一方兄もそれほど強いとは言えませんけど、僕よりは熱心に剣道を習っていました。そのせいで僕がつらい思いをすることになるのです。


 僕は兄よりも頭が良かったのです。というより、兄は頭が良くありません。はっきり言って馬鹿なのです。

 学校の成績で上位になったことは一度もありません。その時点で、兄の頭の程度が知れてしまいます。本当に愚かなのです。


 さらに愚かしいことに、兄は僕に対して暴力を振るいます。理由は単純。兄は僕に勝てないからです。頭脳系のゲームはもちろん、学校の成績も僕が兄に負けたことはありません。それが兄の気に触るようでした。


「弟は兄より劣っているんだ」


 それが兄の口癖でした。

 僕も当時は愚かなことに、そんな兄に勝ち続けていました。わざと負けて花を持たせればいいのに、それをしなかったのです。

 まあ子供特有の負けず嫌いだったのでしょう。何度も殴られ蹴られ、時には首を絞められながらも、僕は懲りることなく、勝ってきました。


 そして僕以外の人間にも、兄は暴力を振るいました。

 年上の人間にではなく、年下の人間に暴力を振るっていたのです。

 兄は前述したとおり馬鹿です。そして馬鹿は馬鹿にされてもしかたがないと大人になった今でもそう思います。

 年下の人間にも兄が馬鹿だって分かっていたので、馬鹿にします。


 そして暴力を振るう。一番タチが悪いのは、自分よりも力が劣っている人に暴力をするのです。

 力と言っても、知力ではなく腕力なんですけどね。


 僕の記憶を辿っても、兄は兄らしいことをしてくれたことはありません。お菓子はいつも自分が好きなものを最初に選び、残り物を僕に与えます。


 本来守るべき弟を、兄は守るということもしないのです。僕が車に引かれそうになったときも、怪我をしそうな僕を心配することはありませんでした。

 むしろこう言うのです。「お前のせいで道路を渡れなかったじゃないか」


 今思い出しても最悪な兄です。繰り返しになりますが、こんなクズの兄と同じ血が流れていると考えると苦痛です。吐き気がします。死にたくなります。

 そして暴力は僕が成長するにつれて酷くなってきました。


 中学生になると試験の結果が渡されます。

 当然、僕はそれを両親に見せます。

 これは自慢になってしまいますが、試験で十位以下になったことはありません。たまに一位を取ることもあります。


 それが兄の気に触ったみたいです。両親がいないときを見計らって、僕に暴力を振るいます。

 殴られているとき、僕はなんでこんな家に生まれてしまったんだろうと後悔します。誰一人助けてはくれなかったのです。両親も親戚も誰も。


 ここで僕は死ぬ決意を何回したでしょう。でも死ねなかったのです。アイさんと約束したから。簡単に諦めないと約束したから。

 イマジナリーフレンドのアイさんも僕を慰めてくれました。辛いことがあってもなくてもそばにいてくれる存在のおかげで、僕はこうして生きています。


 兄は年下に対して暴力を振るいます。そのせいで僕には友達があまりできませんでした。暴力を振るうような兄の弟と関わりたくないとそう思います。


 それから、僕は兄と違って、年下に暴力を振るったことはありません。同じ年とケンカをすることはありますが、一方的な暴力はしたことはありません。理由は兄と同じ人間になりたくなかったからです。


 小学校や中学校の僕は自分の知性や知能を隠しながら、ある程度の実力をみんなに示していました。そして誰にも優しく、売られたケンカを買わないような人間でした。


 しかし、優しい人間は損をする、そんな言葉があるように、僕はただ優しいだけの人間へと変わっていくのです。

 馬鹿にされても何も言わない、そんな人間に成り下がってしまいました。


 高校の後輩が言いました。「橋本先輩って飄々としてますね」

 僕は声を大にして言いたいです。飄々とした人間はなんてつまらないんだろうって。

 またこうも言われます。「優しい人だね」

 優しいだけのつまらない人間。それが僕なんです。


 そんな人間にしたのは、兄の影響です。兄が乱暴者だから優しい人間を目指すしかなかったのです。仕方なくこういう性格を目指したのです。

 だから、優しい人間だなんて、言わないでください。


 兄と決別したのは、僕が中学二年生のとき、兄が高校一年生のときでした。

 兄は馬鹿なので、推薦で私立高校に入学しました。どうせ公立高校を受験しても、落ちたに決まっていますが。

 しかし愚かなことに、私立高校で特進クラスに入ってしまったのです。

 当然着いていくことができず、そのストレスで高校を休学してしまいました。

 そして心を病んでしまったのです。


 僕は最初ざまあみろと思っていましたが、いつまでも家にいる兄に不安を覚えました。

 そして兄の精神科での診断が下されました。

 なんと、兄はアスペルガー症候群だったのです。


 普通は幼児期に分かるものでしたが、精神科の先生が言うには、両親の教育が良すぎたせいで、発覚が遅くなったらしいのです。

 僕はふざけるなと思いました。今まで精神障害者に言われ無き暴力を振るわれていたなんて、最悪な気分でした。


 しかし僕のこの怒りは誰にも向けられませんでした。振り上げた拳を叩きつける相手がいませんでした。

 アイさんにも相談しましたけど、解決はできませんでした。

 兄は鬱憤を僕にぶつけるようになりました。

 両親がいるところで、僕に暴力を振るうようになりました。


 そしてとうとう、僕を殺そうと包丁を刺そうとしたのです。

 両親も不味いと思ったのか、兄を僕から引き離そうと考えました。

 結果的には、僕のほうが家を出て行くことになったのです。


 出て行くと言っても、祖母に家に預けられるというだけですけど。

 兄は手元にいないと心配だそうです。

 なんて情けない両親。こんな親に産まれてきたのが、僕にとって不幸の始まりだったのかもしれません。


 幼少期は小児喘息で苦しんで、そして今まで兄に苦しめられてきたのです。

 その原因は両親です。兄を産まなければ良かったのに。そして僕を産まなければ良かったのに。

 家を出て行く日のことでした。兄は僕にこう言いました。


「俺が悪かった。だから仲直りしよう!」


 俺が悪かった? 遅すぎるだろう?

 仲直り? これはケンカじゃなくてお前が一方的に悪いんだろう?

 このとき、僕は悟りました。ああ、この人はもう駄目なんだ。自分が悪いって心から思っていないんだ。本当に頭が終わっている。


 僕は神様を恨みました。なんで優れていて悪いこともしない僕に、こんな不幸が訪れるのだろう。ああ、死んでしまいたい。

 僕は兄に何も言いませんでした。

 怒りで頭がおかしくなりそうだったので、何も言ってやりませんでした。

 そしてその日の夜から、今まで一度も兄に会ったことはありません。


 これからも会うこともないでしょう。

 僕のささやかな願いは、兄が一刻も早く死ぬことです。

 そうして初めて、僕は安心して暮らせるのです。

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