第11話相談体質
僕はよく人にこう言われます。
「橋本くんって、飄々としているよね」
それはある意味正しくて、そして間違っているのだと思います。
僕が飄々としているのは、そのように自分を律しているからです。
喜びも怒りも哀しみも楽しみも僕の中にはあるのですが、それを表に出すこともしますけど、それでも飄々としていると評されるのは、自分で自分の性格を演じているからです。
何故そのように性格を変えたのか。それは僕が飄々としたキャラクターに憧れたからです。
例を挙げてみますと、ムーミンの『スナフキン』だったり、福本先生の『赤木しげる』みたいな自由人の性格に憧れたのです。
根底にはこういうキャラになれば、自分の抱えている不幸だとか辛い過去だとかを乗り越えられると思っていたのです。
しかし――ここで否定してしまいますけど、飄々としたキャラになっても、喜怒哀楽がなくなることはなく、むしろ自分自身、つまらないなあと思ってしまいました。
みんなと一緒にはしゃぎたい。
だけどそれは叶わないのです。
みんなの輪から外れて俯瞰しなくてはいけないのです。
本当に――つまらない人間。つまらない生活でしょう。
しかし今更後悔しても遅いのです。
演技が実技に変わり、幻想が現実へと変化してしまったのです。
自分で自分の可能性を潰して、一つの道筋へと固定してしまったのです。
だけど僕は自分で示した道を歩くしかないのです。
レールと言い換えてもいいでしょう。何かによって脱線しなければ進んでしまう列車のようなものです。
でも、そういう風な性格になったきっかけはあったりするのです。
それは高校生になって、しばらく経ったことでした。
僕の友達の一人が五月病にかかって不登校になってしまったのです。
その友達は気の良い性格で、僕としても交流ができて楽しい人でした。
僕は彼の友達と一緒にお見舞いに行くことにしたのです。
僕を含めて五人ほどで彼の家に行きました。
「ああ、ごめん。こんな俺を訪ねてくれるなんて嬉しいよ」
ほんの少しだけ元気のなさそうな表情をしていました。
友達の一人が「どうして学校に来ないんだ」と訊くと、彼は力なく笑いました。
「どうやら五月病みたいなんだ。学校に行く気力がないんだ」
そんな軟弱なことを言う友達に、僕は少し腹が立ちました。
全然不幸でもない人間の台詞じゃない。甘えるなと思ったのです。
その後、グダグダな会話を繰り返しました。
学校に来い。行きたくない。どうして? やる気が起きないから。とにかく学校に来いよ。だから行きたくないって。
そうした話し合いにうんざりと怒りが絶妙にブレンドされた感じに僕はなりました。
そして、こんなことを言ったのです。
「エジソンだって不登校じゃん。学校なんか行かなくてもいいじゃんか」
その一言が僕の琴線に触れました。
僕は怒ってこんなことを言いました。
「エジソンは天才だったけど、お前は天才じゃねえだろ。ただの凡人のサボり魔じゃん。それに偉人を例に出せば僕たちが納得すると思っているお前の浅ましさがイラつくんだよ!!」
最後はほとんど怒鳴るように言いました。
そこからは取っ組み合いのケンカです。
殴って殴られて。
蹴って蹴られて。
まるで子供の――まあ高校生だからまだ子供ですけど――ケンカでした。
まあ僕のぼろ負けでしたけど、その言葉に傷ついたらしい彼は、その後学校に来るようになりました。
恩を着せる感じになりますけど、僕のおかげで不登校から脱出できたはずですが、卒業まで口をきいてくれなくなりました。卒業してからも話をすることはなかったのです。
どうして僕はあんなに怒ったのでしょうか。
自己分析してみますと、大した不幸でもない人間が不幸ぶっているのが許せなかったのでしょう。
彼以外にも不幸な人間はたくさんいます。
たとえば僕。
たとえばアイさん。
僕たちに比べたらどんな人間も不幸だなんて言えないです。
親と離れて暮らしている僕。
もうこの世にいないアイさん。
世界で一番不幸なんて言えないけど、それでも他人と比べたら不幸に違いないです。
恵まれている人間が不幸ぶるのが許せない。
そう考えるようになったのかもしれません。
なんて身勝手なんでしょうか。人の不幸なんてものは絶対値があるわけではないのに、むしろ相対的に考えなければいけないのに、そのことに気づけなかったのです。
僕をたとえに考えてみますと、親と離れて暮らすなんてまだマシだ。だって両親が健在じゃないかと言われるのと同じです。
でも、そんなことは関係なかったのです。
確かに死んでいないのであれば、最悪ではなかったのでしょう。でもそんな最悪な状況でもない僕でも、この世の不幸を一身に背負っている気分になったのです。
不幸ぶる人間だと罵られるのは僕のほうかもしれません。
僕は今まで生きてきて幸せだと感じたことはありませんでした。今もそうです。
幸せだと傍から見たら思われることでも、もっと幸せがあるはずだと思ってしまうのです。
好物の料理を食べても、本当は大好物を食べられたはずだと思ってしまいます。
要するにワガママなんでしょうね。
幸せになりたい僕だけど、幸せを感じる度量が欠けているのでしょう。
そんな自分が――嫌いで仕方がありません。
本当なら自分が好きであるはずなのに、自分を誰よりも嫌っている僕は生きる資格があるのでしょうか?
生きていて、良かったのでしょうか?
アイさんに訊ねても答えは出ません。高校生になってから、アイさんと話す頻度は少なくなりました。
成長したから?
思春期だから?
その答えは高校三年生になるまで、引き延ばすことになります。
自省してみますと、僕は生きる資格がないのではなく、生きる素質はないのだと思います。
人生を楽しむことができないなんて、人間として、生き物として欠陥品だと思うのです。
前に幼年期で僕は高校生ぐらいの頭脳を持っていると書きましたが、それは幼年期からまったく成長できていないことを表していたのです。
もちろん知識や知恵は幼年期と比較しても成長はしていますが、生き物としては退化していったのだと思います。
その証拠に、ケンカしたときから僕は友人を作るをやめました。
なんていうか、面倒くさくなったのです。
僕のことを認めてくれる人なんていない。
僕のことを愛してくれる人なんていない。
だから――他人を認めないし愛さなくてもいいんだ。
そんな風に開き直ってしまったのです。
今だから言えますけど、認めてほしかったり、愛してほしかったら、自分から行動を移す必要があるのです。
そのことに気づけなかったのです。
だから自分の殻に閉じこもって生きるなんて、できるわけがないのです。情報過多なこの世の中、人と関わって生きないなんてできるわけがないのです。
人と人は互いを思いやり、尊重することで良き関係を築くことができるのです。
そんな当たり前なことに気づけるのに、僕は時間をかけてしまったのです。
なんて愚かなんでしょうか。
高校時代に戻りたいとは思いませんけど、もしも戻れるなら、失敗を繰り返さない自信があります。
社交的な人間じゃないけど、どちらかと言うと内向的な人間だけど、それでも過ちを繰り返すほど愚かな人間じゃないと思いたいのです。
誰に対する言い訳なんでしょうか。こうした言い訳を何度も書かねばならないのははっきり言って苦痛ですけど、それでも書かずにはいられないのです。
だけど、僕は内向的な人間ですけど、行動力はあるという矛盾を孕んでいたのです。
知らない土地に行くのも平気ですし、知らない店に入るのも平気だったのです。
だから、自分のやったことのない部活に入るのも平気だったのです。
僕の通う高校は百二十年ほどの歴史があります。そのくらい歴史を重ねている高校は珍しいとも言えます。
そこにはこれまた珍しく新聞部があったのです。
僕は文章を書くのが得意でした。作文だってクラスで一番速く書くことができましたし、中学の夏休みの宿題でも一番好きだったのは読書感想文でした。賞も貰ったこともあります。
だから僕は新聞部に入ることを決めたのです。
しかし、一番困ったのは、新聞部には僕以外の男子がいなかったことです。
女子だけの部活は気まずいものです。いつも気を遣わないといけませんし、気遣っている空気を作らないことも重要でした。
でも一番安心したのは、先輩や同期が優しい人たちばかりだったのです。
性格の悪い僕でも真摯に向き合ってくれたのは嬉しかったのです。
アイさんのとき以来だったと記憶しています。
生温い湯船に浸かっている気分になっていました。
それと、新聞部に入る、いや入る前にもあったかもしれませんけど、僕にはある特技を見つけることができました。
特技というか、体質と言い換えたほうがいいのかもしれません。
僕はよく人から秘密を打ち明けられることが多いのです。
あの人のことが好きだとか、あいつが嫌いだとか。
自分の悩みを聞いてほしいから聞いてくれだとか。
そんな相談をたくさんされることが多いのです。
この体質はネット上でも効力が発揮されます。面と向かい合わなくても、僕はよく相談をされるのです。
飄々としているから?
優しそうな顔をしているから?
秘密を打ち明けられやすいから?
秘密を守りそうな顔をしているから?
理由は分かりませんけど、どういうわけか相談をされるのが多いのです。
僕としてはうんざりするくらい相談をされても答えなんて言えません。
だけどそれが良いみたいです。相談を持ちかける側は、ただ聞いてくれるだけで良いのです。
そしてその体質は取材で発揮されます。
言わなくても良いことを言わせたり、質問していないことをポロリと言わせたり。
そんなことが多いのです。
自分で自分が怖くなることがあります。他人の秘密を墓場まで持っていくことの恐ろしさを想像できるでしょうか?
こんな体質を改善したいと思いますけど、なかなか上手くいきません。
心無い人はこう言うでしょう。
「他人から頼られることは決して悪ではなく、むしろ善であるから治す必要なんてないだろう?」
はっきり言って無責任なことです。吐き気がします。
僕の体質は頼られているのではなく、利用されているのです。
童話『王様の耳はロバの耳』で理髪師が森の中の葦に告白するようなものです。僕は葦に過ぎないのです。
カトリックでは神父に秘密を打ち明ける懺悔室というものがありますけど、僕は神父のように秘密を守り続ける自信がありませんでした。
だから僕はこの小説もどきを書いています。
僕の人生を知ってほしいから。
僕の苦しみを知ってほしいから。
そんな身勝手な想いから僕は綴っているのです。
これを読んでくださる方々に頭を垂れて謝りたいです。
私小説の全てが露出趣味と露悪趣味を内包しているのと同じです。愚かしい僕の人生を辿ってくださることに感謝しなければいけません。
僕の高校一年は特に何事もありませんでした。新聞部の人たちと愉快で平凡な毎日を過ごしました。
僕は変わり映えのない人生のために予習して、退屈な日常を復習することで心の平静を保っていました。
だけど、僕はそんな毎日に満足することはありませんでした。
だから僕は高校二年生のときに新聞部を辞めることを決意したのです。
それはとある体験がきっかけでした。
今思い出しても、心が張り裂けるような出来事でした。
これを書くことははたして良いことなのか分かりませんけど、書かずにはいられないのです。
僕の心に深く突き刺さって取れることのない出来事。
いや、トラウマと言ってもいいでしょう。
今でも夢に出てくる嫌な体験でした。
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