くらげびと

武江成緒

夜に焦がれる




 真夏の浜辺。


 果てもなくひろがる砂は、天日にあぶられ白く燃えあがり。

 その灼熱から身じろぎすらも叶わぬていで、このおれは。

 ただひたすらに。

 夜のおとないを待ちわびている。



 夜の闇を。

 おかより寄せる涼風を。

 やわらかな光をまとう白い月のまなざしを。

 何よりも、その月の歌に呼ばれきて、浜をみたす暗いしおの到来を。


 夜を、よいを、夕暮れを。

 この身を内からもかんがごとく、ただただがれるおれの心中。




 それすらも。

 一顧だにせぬと冷酷に示さんばかりに。

 さかりとたける日輪は、かがやき燃えるあおぞらより、恐ろしいまでに残忍な白光の矢を無限に放ち。

 おれのはらを、心臓を、脳を。

 ひとひらの容赦もみせずつらぬき通す。


 この凌虐をしかしながら、肌も、肉も、すんごうたりとて防ぐことなく。

 そればかりか、抵抗すべてをなげうったとでも言わんばかりに。

 降りそそぐ熱のまえに五臓六腑をさらけ出して、ただただあぶられるにまかせている。


 この力なきおれの身は。

 硝子がらすのごとくきとおり、軟泥のようにくずれ伏し、ぶよけふくれた組織から、ただみずを奪い吸われるままになっている塊は。






 こよみも暑いさかりのはずだ。

 しょうしょか、だいしょか、とにかく月はづきのころ。


 白く燃えおるこの浜辺にも、海に体をひたしにか。多くの人がれつどうている。

 おれをさいなむ天日のもとに、こやつらは肌を無思慮にさらけだし。

 かわきくずれるこの身を尻目に、みずみずしく血をかよわせる肉で、けた砂地をなんのさわりもなくかっする。




 だろう。

 おれも人間であってみれば、周囲に群れるこやつらとたがわぬ身体からだを備えていてもいはずだ。


 けた砂を踏みしだく足を。かるがる海へと踊りこむ身を。

 何よりも、この焦熱地獄の砂のほも、照りあぶり焼く光のをもねかえし。

 血も、脳も、はらわたも、かたくよろうて護りぬく、頑健なはだと肉とを。

 備えていても良いはずだ。


 だというに、おれの臓腑をつつむのは。

 あぶらのみで出来たがごとき、透きとおり、砂のうえにとろけてただ、ぐにゃりぐにゃりとかわいてゆく、頼りもなきこの軟体のみ。




 これは、ひとの身体からだではない。

 これは、水月くらげだ。


 海にまもられるかぎりでのみに舞うも、おかに打ちあげられればただただ日にかれ、またたくあいだしなびた腐肉に変わり果てる、なかば水のごとき身をもつ、あの原始的な生き物だ。


 だろう。

 おれは人間でなかったのか。

 人間だとは思いあがった勘違い。その実は、水月くらげにひとしき下等な存在だったとでも言うのだろうか。




 日のもとにあそび、砂をはしり、海の水へと踊りこむ、周囲のまったき人間ども。

 こいつらは、おれに気づく風もみせぬ。


 まれに、ちらりと横目をむける者があるかと思えば、なにか錯覚したとでも言わん

ばかりに、たちまち他所へと目をうばわれるのがせいぜいだ。


 おれは、生者の目にはうつらぬ幽霊だとでも言うのだろうか。

 幽霊というものが、夜の刻限のみに立ち現れる、その言い伝えは生者の誤解。

 日輪が天にかがやくあいだには、このように地にくずれ落ち、天地にみちる陽光にその姿をかき消されながら、ただあぶられているだけなのだろうか。


 あるいは記憶に無いのみで、おれは何かの罪をおかし、人間の位からはるかに落ちるこのようなさまへ転落したとでもいうのか。


 人の道をふみ外し、非天あすらの道のさらに下、畜生道のそのまた底へとちはてて、下等なる水月くらげのごときものへと変じ、その罪業にあえいでいると言うのだろうか。






 精神が割れる。

 日輪は天頂をやや過ぎはしたものの、その熱気と輝きとはますます耐えがたいものとなり。

 わが脳をり、神経を焼き、その中にかようおれの意識をがしてゆく。


 透明なこの肉は、相も変わらず光のを防ぐもかなわず。

 そればかりか、それそのものがき立って、いまやおれの精神をでる側へと転びはじめた。


 苦しい。

 煮えたぎる湯がのどくように、血が沸騰して血管をき。

 一瞬、一秒、一せつが、すべて細胞を焼き殺してゆく。


 ここが、地獄か。

 水月くらげにひとしいところへちたおれの霊魂は、この白昼の業火のなかでさらに燃やされて損なわれ、畜生道から餓鬼道をころげ、焦熱地獄へころがり落ちて、さらにはるか下方なるけん地獄へ落下してでもいるのだろうか。




 そんな絶望の断末魔さえ、もはや浮かぶそのはしから、焼かれ、焦がされ、燃え尽きてゆく。


 苦しい。


 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦し











 永劫のときがったのか。

 いつの間にか、うかぶ意識が熱に燃やされなくなっていて。


 天は鈍いあけのいろへと変じており。

 日輪は、がねのいろに輝きながら、だが、もはやあの容赦なきも、しょぼりしょぼりと投げる程度に成り果てて、西の山へと沈みゆく。




 焼けげた精神こころがようやく息をつけば。

 乾いた身体をなぐさむるように、おかのかなたから涼しい風がでさすり。

 はっとするほどに近くまで、潮の唄がせまり来ていて。


 しおに満ちたぬるい水が、こわれた組織にみながらも、熱かった砂を崩してゆき。


 やがて、暗い海ののどが、おれをざぶりと呑みこんだ。






 嗚呼 ―――。

 夜が、来た。






《了》

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くらげびと 武江成緒 @kamorun2018

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