人魚と内緒話
秋色
既視感
子どもの頃、家族で夏祭りに出かけると、必ずクラスメートの誰かに途中で会った。お互い家族連れなので照れ臭くて、「じゃ、また学校で」なんてぎこちない挨拶を交わした。
そのせいか、夏になると都会の雑踏の中でも、つい誰か、知った顔を探してしまう。
ここは、全国一、人通りの多いと言われる交差点を前にしたビル街。
太陽は空の頂点にあり、ぎらぎらした光を送り続けている。
ショッピングモールのウィンドウには、新作の水着が展示され、「この夏の人魚になる!」というキャッチコピーが鮮やかなブルーの布の上で、波しぶきの絵と共に舞っている。
この街で行き交う人々の年齢層も人種も様々だ。旅行中の外国人は学生のような若者もいれば、何十年も連れ添っているような白髪の老夫婦もいる。
国内の中年夫婦が割と普段着に近いような格好で歩いているのを見ると、東京の下町に暮らしている生粋の東京人なのかな、と当たり前の事がちょっと不思議に感じられたりする。
制服を着た女子高生が、舗道の脇でおしゃべりしながらソフトクリームを食べているのを見ると、懐かしい気分になる。
――ああ、自分にもあんな頃があったよね――
共感してもらえる相手がいなくて、ショーウインドーの中のレモン色の水着を着たマネキンの一体に、つい心の中で話しかけてみる。
なぜならそのレモン色の水着を着たマネキン一体だけは、少し斜め下を見ながら微笑んでいるような表情に造られていたから。
そう、あれもちょうどこんな夏の初めだった。一年前の事。
――あれ、橋場? ――
雑踏の中で話しかけてくるあどけない感じの男性は、身体よりずっと大きく感じられるビジネススーツを着ていた。
――え? 南野君? こっちで就職してた? そう言えば大学は関東の方だったっけ?――
――一応関東周辺。そのままこっちで就職して医療機器のメーカーで働いてる。橋場は?中学の時からあんま変わってないな。あ、高校ん頃にも偶然会ったよな――
――変わったよ、これでも一応。そう、会ったね。あれ、陸上大会の時だったっけ。あ、私は東京の大学へ行ったけど、一年浪人したから今年、卒業だったの。でも一年、バイトしながらビジネス関係の専門学校の講座を受けてる。これからまた講座があるんだけどね――
――さすが橋場は慎重なんだな。中学の時も、テスト前にはていねいにノートをまとめてたもんな――
本当は卒業の時、うまく希望通りの就職に乗っかれなかった。だから親に頼んでバイトしながらビジネスの講座に通ってる就職浪人。自分が将来したいのは本当は何なのか、まだよく分かっていない。
――南野君は今、外回りの仕事中なのかな?――
日焼けした姿から外回りが多いんだと思った。
――ああ。今の仕事、営業と開発の橋渡しみたいな仕事なんだ――
――ふうん。なんか前にもこんな会話をした気がする――
――そうだっけ?――
――うん、何となく。南野君、もうすっかり社会人て感じよね。私、ちょっと出遅れたな――
――ううん。慎重なところが橋場のいいとこ――
――そう……かな――
――それにオレもまだまだでさ。色々大変で――
――忙しい?――
――うん。でも患者さんが医療機器で生活しやすくなっているのを見てうれしかったり、橋渡しの仕事もやりがいあるよ。大変だけど――
――そう。がんばってるんだ。私もこれから追いつかなきゃ――
――何かやりたい事、あるん?――
――んー。ぼんやりとはある――
無理矢理絞り出した答え。
――きっと何とかなるよ。橋場なら――
――ん。何とかなる、よね――
――今、仕事中で得意先にすぐ行かなきゃいけないんだ。中学の時グループメールしたアドレスでまだ連絡取れるから。またな――
――ん。元気でね――
――橋場もな――
ピースサインを作り、人懐っこい笑顔の南野君は都会の舗道を駈けていった。
いつの間にか、太陽は頂点から下りかけていて、少し夕方の山吹色に変わり始めている。
一年前の既視感のある会話。その原因が今、突然分かった。
七年前の高二の夏。陸上の県大会で陸上部の応援に行った時、偶然グラウンドの隅で南野君に会った。
南野君は中学の頃スプリントの選手で期待されていて、他の学年の子も名前を知っているくらいの選手だった。だからこの大会にも出場していると思ったら、選手一覧に名前が載っていないので、不思議に思っていた。
グラウンドの端で、用具を両手に持って歩いている彼に出会い、今日みたいに挨拶した。
――今の高校の陸上部、すごい部員ばっかでレギュラーになれなくてさ。マネージャーならここにいられるんで、マネに立候補したんだ――
――大変だね――
――そうでもない。選手と外部とのやり取りとか橋渡しの仕事になるけど、やりがいあるんだ――
――そうなんだ……――
あの時もピースサイン作って走っていったっけ。
既視感はそこじゃない。その記憶を遡ると、なぜか、南野君がグラウンドじゃなく、青空の下、真っ白な砂浜に駆け出していったように思い出す。
去年再会した時も南野君は、アスファルトの上、全国一の雑踏の中でなく、白い砂浜を駆けていったような気がしてならない。
――それが何だか眩しく感じられたんだ。自分もそんな風に、初恋の人みたいになりたいから。スマートフォンの買い換えでもう昔のグループメールのあとも残っていなくて、この先ずっと連絡も取れないだろうけど……。今では自分の進みたい道を見つけ、少し前進した自分を知ってほしいのに――
私は、ショーウインドーの中のレモン色の水着を着た人魚にこっそりそう打ち明けた。
〈Fin〉
人魚と内緒話 秋色 @autumn-hue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます