鏡の世界で逢いましょう

菜乃ひめ可

森の洋館にまつわる“噂”


 君はいつ見ても美しく気高い。

 しかしその控えめな微笑みはうれいを帯びとても哀しそうだ。

 でもね、そこに惹かれるんだよ。


「貴方、私にそう言ってくれたじゃない」


――それなのに!


 屋敷中央ホールは多くの貴人が集まり舞踏会を楽しんでいた。そんなある日、想いを告げた相手と結ばれなかった彼女はホールにある姿見の前で――死を選んだ。





 御機嫌よう皆さん。

 私の名は真嶋まじまミナホ。


 世の中にぼんやりと漂う噂の数々。

 その真実を世間や依頼者の代わりに追求し確認する。

 そんな調査事務所をやっているわ。


 中には面白可笑しく電話やメールで茶化してくる者もいたりする。でもどんな依頼だとしても、その内容が嘘と判りきった情報提供だったとしても。


 全く気にしない。


「だって、そんなので気を揉んでいたら“本当の噂”まで見落としちゃうでしょ?」


 そう。

 たとえどんな内容でも聞けばみずかおもむきこの目で確かめる。


 それが私の仕事よ。


 えっ? 何のためにそんなことをって?


 当然、世の様々な噂を解明・解決することで人の役に立ちたい。そして達成した時に全身から湧き上がる高揚感が……。


 あとは、そうね。


 まれに、いや、ごくごくたまーに。


 霊感のない私でも場所によっては不快感や悪寒おかんがしたり、見えないものが見えちゃったりして。その時に受ける衝撃や震えが若干癖になったりしちゃったり(決して変人ではない)。


 これもまた調査屋としての使命なわけ!


 その心身を削る日々に比べれば、普段の揶揄からかいメールやイタズラ電話なんて鼻で笑っちゃうほど可愛いわ。



 と、自己紹介はこのくらいにして本題本題。





 ザワザワァー……。


 ゆっくりと進む車の窓から見えてきた薄暗く深い緑色と聞こえてきた森のざわめきが、うとうと眠りかけていた私の目を覚まさせる。


「ふあぁ、そろそろかしら」


「あ……地図では、そっすね」


「ふふ。久しぶりのこういう案件。楽しみ」


「ぅへ~ミナホさんって本当、変じ……じゃあない。えーっと」


「なぁに何か言った? 聞こえないんだけど」


「いえいえ何でもないっす! 道が悪いんでゆっくり走ってますけど、気を付けてくださいね~あっはは」


「ふぅん。まぁいいわ。今日は運転してくれてありがとう」


「いえ! そんなの当たり前っす!! だって僕、弟子なんで!」


(言えない。『ミナホさんってやっぱ変人っすね~』だなんて口が裂けても、言えない!)


「それで弟子ねぇ……仮でしょ?」

「そっすよね~。あは、あっはは」


「何、その変な笑い方」

(まったくこの子は。顔に出過ぎなのよ)


 さっきから引きつった顔で車を運転する彼は私の唯一の弟子であり、助手の石井いしいシンジ。


 歳は私の二歳下だったかしら。

 それにしても調査屋という仕事をどこで聞いて知ったのか?


 ある日ワクワク少年のような大人が私の事務所を訪れ、興奮気味に弟子になりたいと志願してきた。面倒事は嫌だと断ったが、これがまたしつこい。一週間もの間、毎日飽きもせず事務所の扉を叩くものだから、私としたことが根負けしちゃって。なんとなく興味本位でやってみたいだけなのだろうなと、渋々採用。


 そこで今日は諦めさせるためにも、ビシッと厳しい現実を見せようと連れて来た。


 これだけ心労の絶えぬ業務内容だと体験し理解すればすぐにをあげ辞めるだろうと、期待したからだ。


(この仕事、そんなに甘くないんだから)


「ふふ」

「ぅへ? ミナホさん。今から怖いとこに行くってのに、何笑ってんすか」

「え? いや別に」

(この様子だと、早々に辞めてくれそうな感じだわね)


 もう数ヶ月になるかしら?

 事務所の掃除や電話番、依頼者の対応やお茶くみとその他もろもろ――なんだかんだ言って、らくできていたわ。今もこうして運転手……あ、いや失礼。まぁまぁ出来る助手がいなくなるのは残念だけれど。


(それも向いてない彼の事を思えば仕方のないこと)

「これが優しさ……愛情哀情」


「え、なんか言いました?」


「なっ、何でもないわよ! それよりちゃんと前見なさい」


 そうよ、せいせいするわ。

 元の静かな調査屋事務所に――カッコいい“一匹狼”に戻るだけ。


 ガタガタッ、ゴトん!


 彼の言ったようにそれからしばらくの間、舗装されていないデコボコ道にお尻が痛い。やっと道を抜け幽寂な森の奥を車で走ったところでようやく、例の噂が囁かれる場所へ着いた。


 キィッ――バタン、バタン。


「ん、っはぁ。無事に着いたわね、良かった良かった」


 ずっと車に乗り同じ体勢をしていたせいで、身体のあちこちが固まって痛い。その筋肉をほぐそうと私は大きく伸びをし、思わず声を発する。


(すげぇミナホさん。緊張感ゼロ)

「う……なんだか木や草が生い茂って、鬱蒼うっそうとしてますね」


「そうねぇ、とても陰気で……て、わッ!」


「ぎィーゃあああーッ」


「あーっはははは! シンジ、あなたビックリし過ぎよ」


「はぁはぁ……ちょ、それないっすよ。本当やめて下さいよもぉーあぁ心臓が止まるかと思った。いや止まってる! 入る前からこれじゃ、やばいじゃないっすかーあぁぁ」


「ぷッ」


 面白い。

 揶揄うのが楽しくてしょうがない。


 しかし実は、外の空気に少々不快感を抱いていた。



――いつもは感じない妙な胸騒ぎを、ね。



 だからと言って霊感だのなんだのを明確に感じたことはほぼ無い。今も「気にしない気にしない」と頭を振って気を取り直しいつもの余裕な表情に戻した私は、シンジを驚かして遊んでいたってわけで。


「ここからは地図にもないし、徒歩ね。さっ、行くわよ」

「ぁぃ……」



 車を降りて数分。

 歩いていた私たちは狙いが良かったのか、案外すぐに目的の洋館へと辿り着くことができた。



「着いた」

「……ミナホさん」

「何? ぅ゛……あんたねぇ」


 シンジの顔は、すでに顔面蒼白。

 そもそもコイツ、気は小さいし怖がりだしで、そのくせ噂話には目を輝かせるくらい興味を持つ。もしかしたら私よりも全国津々浦々の噂を知り尽くしているかもしれないと、日々呆れるほどの情報収集能力がある。


(その部分だけは認めている。シンジの長所ね)


 しかし今回のような怪しい現場は、話を聞くのは良いがやっぱり行きたくないと出発前に駄々をこね、生意気にも色々とわがままを言ってきた。


(まるで子供みたいな性格なのよねぇ)


「僕、分かるんす。此処ヤバいですって。本当に入るんすか?」


「当たり前でしょ?! そのためにはるばるこんな遠くまで来たんじゃない。それにこれが私たちのし・ご・と! 解ってる?」


「はぁ……イ……(まじかぁ)」


 まったく嫌だったらどうして今日ついてきたのかしら?

 そもそもこの仕事をしたいと一体なぜ志願してきたのか。


はなはだ疑問だわ)


 私は、ふか~い溜息をつく。


「はぁ……もう! のんびりしてられないのよ。管理会社さんの許可は今日一日取ってあるけど、陽が沈む前には森を出ないと。ほら、鍵ッ!」



 チャリッ!



「ぅほぉいー、あわわっとぉーッと!」

「落とさないでよ~」

「う゛ぅぅぅてか、マジ急に投げるとか無しっす」


 此処は人里離れた森の奥。

 さすがに夜は危ない。


「ハイハイ、ごめん。ほら早く」

「ぁ、あー開けます……開けます、よ?」


 ガチャカチャッ、ガ……チャリ!


(よし! スムーズに開いたわ)


 ギギギィーギュリ――――きぃ。


「失礼しまーす、って、ぅぅ……こんな薄暗くて埃臭くて湿っぽいとこ」

「ねー腕が鳴るわーふふ♪ いざ調査へ、レッツゴー!」

「ぉ、おー(ホント変人だぁーミナホさんって)」



 ちょうど太陽が真上に来る頃。気のない返事で棒読みなシンジと私は、いよいよ屋敷の中へと足を踏み入れ進み始めた。



 ぎぃぃぃ…………ガチャ、ン。





――さて、今回の依頼について。

 少しだけ説明しておこうかしら。


 その“噂話”について。


『○○森の奥深くにある洋館では昔、大富豪たちがよく舞踏会を開き楽しんでいた。会員制ということもありお忍びも多く、知る人ぞ知る場所。しかしある晩――若い女性がずっと想いを寄せていた人に気持ちを告げたが、失恋。いつも優しく甘い言葉をかけられていたことで、それでも自分は好かれていると思い込み発狂した彼女は、屋敷中央にある姿見の前で自らの命を絶った。

 それからというもの、その鏡に映るものがなぜか違う動きを見せたり、一緒に鏡の前で並んだ男女は別れてしまったりと奇妙な出来事が多発。その後、大きな事故も起こったため事件から数年後、誰も寄り付かない静かな館となった』



 最近インターネットでも密かに囁かれる童話のような話。その噂となっている場所が今回調査中の広い敷地面積を誇る立派な洋館である。噂好きの中でも特に、怖い噂大好物な一部のネットユーザーたちからは注目を集めている。しかし残念なことに、ネット上に書かれる情報は信憑性に欠ける。


「近くまで行っても洋館を見つけられない」とか。

「扉が抑えられていて開かない」とか。

「中から音楽が聞こえてきた」などなど。


(まぁよくある賑わせ話って感じね)


 よく考えてみて。

 鍵が開いてないのは当然。現実的にその建物を管理している人がいるのが普通だから、私みたいに調べてから先に管理会社(または個人)の許可を取るのは必須よね。もし鍵が開いていたとしても勝手に入ればそれは不法侵入!


 絶対にダメ。


 あ、話がれちゃったけれど。


 今回なぜその洋館について調査することになったのかというと、ちょっと興味をそそられる噂の情報を入手してね。


 その内容とは――『屋敷中央にある大きな鏡の前に自分の姿を映し口紅をつける。その唇に手を触れ付いた口紅を鏡に映る自分にも付けるように触ると、その瞬間に鏡の世界にいる自分と通じることができる』というもの。


 童話の次はSFファンタジー!?


 おっと、これまた失礼。


 そもそも『鏡の世界の自分と通じる』って?

 この噂とても気になる。

 調べてみようかと思っていた矢先タイミングよくある人物からその洋館への調査依頼がきた。


 それがなんと同業者!


 始めは試されてるのか? もしくは冷やかし? と思ったけれど、その依頼者が話す電話の声は恐怖に怯えたようにかなり切迫しているご様子で、後日詳細を聞くためいつもの隠れ家喫茶で待ち合わせた。



 数日後、疲弊していてとても顔色の悪い依頼者と会った。

 力ない声で「一緒に調査屋をしている相棒と依頼でその洋館へ行った。だが帰って来てからというもの、まるで別人のように性格が変わった。何かがおかしい、調査してくれないか」という。


 具体的に何がおかしいのか?

 口を噤んでいたその人物(男性)へ訳を言えないなら依頼は受けられないと伝えると慌てて話し始めた。


 とても言いにくそうに、苦悶くもんに満ちた表情で。


「彼女とは、結婚の約束をしていました」


 その洋館へ調査に行き帰って来てからというもの、すっかり豹変ひょうへんしてしまったのだという。服装は露出が多く派手になり、宝石にブランド品、話し方までもが変化。


「どんなに変わっても彼女は愛する彼女です。いつかは戻ってくれると信じ、過ごしてきました。が、先日ついに別れを切り出されてしまい、このままでは受け入れるしか……しかしこのままでは、どうにも納得がいかない。真嶋さんどうか! 調査して下さいませんか!?」


 当時この男性も一緒に洋館へ同行していたというので、私はもう一度よく思い出してほしいと尋ねてみると、しばらく考え込む。それから一言だけ「彼女が鏡に触れた際にほんの一瞬だけ光、消えたように見えた」と話した。



 以上が今回、世の噂調査の概要ってとこね。

 まぁまぁハードな上に、ちょっとだけ面倒な案件ってわけ。



 あら、説明が長くなってしまったみたい。


 さて、舞台は洋館に入ったところに戻るわ。





「ミ、ミナホさん……」

「なにモジモジして。お手洗い?」

「ちっ違いますよ、そんなこと言わないで下さい! 行きたくなったらどうするんすかッ?!」


「ん、まぁ。確かに」

(これ、私にも言えることだけど)


「ん、まぁ。っぢゃーないっすよ! 此処の空気、よどみがすご……ってミナホさぁーん先行かないで! 待ってぇ~」



「はぁ……」

(ほんっと、やめてほしい)


 カツーン、コツーン……。


「あ、エッ?」

「何? シンジ、そこ左の花瓶と向かいの絵画の位置をメモして」

「はい、でも時計が」


 彼の言葉に私も着けていた腕時計に目をやる。


「……嘘」

「ミナホさん!」

「時計が」


――止まってる!?


 これはちょっと嫌な感じが的中。

 でも今さら後戻りはできない……いいえ、するわけにはいかないのよ!


「よし」

「か、帰りま、ぅ(ヤバい、ミナホさんの視線が痛い。ってか、やっぱり変人だよぅ)せん、頑張りますです」


「よろしい。でも冗談抜きで急ごう。『屋敷中央にある鏡を見つける』、ここから先はその事だけを考えて行きましょう」


「うぃ」


 さすがの私もヤバいって理解してる。

 だけど依頼人(同業者)が困っているのに放っておけないわよ。


 それに――。


「ふふ、同じ仕事でも経験値の違い、見せてやろうじゃないの」


 そこからはスピードアップ。

 鏡を探して早歩き、そして。



 ガチャ、キィー……。


「あ、あれ」

「めちゃ大きい鏡っすね。このホールが見渡せる、ぅ~こわッ」



 車を降りて、一体どれくらい経っただろう?

 この屋敷は中へ入ると外観より広く感じて……そう、驚くほどに広すぎる。そのため迷わぬようにと至る所に目印をつけメモしながら来た(そこは抜かりナシ)。


 見つけた鏡は何十年も経っているとは思えぬ程に綺麗で、とにかく大きい。

 普段何も思わない私でも、強い威圧いあつ感のようなただならぬ気配けはいを感じた。


「ん?」

 横を見ると具合の悪そうな助手が、頭を抱え痛そうにしている。


「え、ちょっと大丈夫?」

「だ、ぃ……はぁ」

「はぁ~じゃないわよ。じゃあ急いで例の手順を試してみるから」


「……ぃ」


 相当つらいようね。シンジ、顔を上げずに無言で首を横に振ってるわ。


(なんで「いやいや」って横に振ってるの)


「もう、何かあったらお願いね」


「――ッ!? あ、ミナ……さん! げっほケホケホッ!」


「何か言った?」


 咳き込むシンジを横目に、私は例の噂検証を開始する。



「まずは、っと」

 鏡の前に立って――何も起こらない。


「次に……」

 自分の唇に口紅――変化なし。

 

「そして、ん~口紅を指につける、と」

 鏡の自分にその指で触れて――何だか浮遊感が……。


(気のせい?)


「最後に――」


「だ、メだ!」


(えっ?)

 発狂にも近いシンジの声に驚き、振り向く。

 しかし私はもう最後まで検証を終えたところだった。


「ミナホさん!! やめてこっちへ!! 僕んとこ戻っ……――」



 キーーーーーーン……プツ。



「え、え?」


「いえ、すみません。大丈夫みたいですよ、ホナミさん」


「うーん、うん?」


(何か、変?)

 でも鏡越しで焦って泣きそうなシンジの顔が見えた気がしたんだけど。


(鏡越し? 私、声掛けられて振り返ったはずなのに?)

 それにほんの少しだけれど浮遊感があったし。


「それにしても無事で安心しました。こんな危険なことを貴女にさせてしまい申し訳ありません。ホナミさん、歩けますか?」


「ぅ、何その口調。気持ち悪いんだけど、シンジ。何を企んでるのかしら」


 すると彼はとても驚いた顔で私の手を取り「怖かったんですね、もう大丈夫です」と言い抱きしめる。


「ちょっ、離しなさい! 何す――」

「あぁ可哀そうにホナミさん。きっと気が動転しているのですね。僕の名前を間違うなんて」

「……は?」

「お忘れですか? 僕の名前は『ジンシ』ですよ? 石井いしいジンシ」


(えっ……そうだっけ?)

「あぁ、ごめん……なさい?」


「いいんですよ、謝らないで下さい! 大丈夫、貴女の事はこれからずっと僕が守りますからね。さぁ足元に気を付けて」


 何かがおかしい。


 そう思いながらも疲れていた私は彼の気遣いに――“甘く優しい言葉”に酔いしれるように言う事を聞いてしまい、手を引かれる。


 ふと、目印としてつけた紐に視線がいく。


「あそこを左じゃない?」

「いいえ。右ですよ」


 その後も違和感ばかりが続く。

 来る時に見てきた景色とやっぱり何かが違う気がする、と。


「ねぇシン、じゃない、ジンシ? この絵画こっちじゃなかったかしら。花瓶がここにあるし」

「そうですか? 気のせいでしょう。ほらメモを見て下さい」


「ほ、ホントね」

(ちゃんと書いてる。私の気のせい?)


 何かしら。

 このすべてが慣れない奇妙な感じは。

(心の中が、モヤモヤするわ)


 まぁ、この洋館に着いた時から空気が変だったから、そのせいよね。

 急に優しくなった助手の態度も、たぶん私に気を遣ってのこと。


(今だけ期間限定でしょうよ)


「早いとこ帰って、報告書仕上げなきゃ」

「はい!」

「んあぁ」


 ボソッと呟いた私の手を握って、爽やかな笑顔を向けてくる。

 さすがにこのあり得ない行動に、やっぱりなんだか……。



「さぁ、きましょう」



――奇妙な気分だわ。





「本当に信じられない。あれほど別人化していた彼女が元に戻ってくれるだなんて! 真嶋まじまさんには、なんとお礼を言えば良いか……感謝しかありません」


「ホホ、そんなぁ恐縮です。わたくしは依頼を、責務をまっとうしただけのことですのよ。そして今後お二人が幸せになられることを切に願っておりますわ」


「ありがとうございます! いやぁ助手の石井君、だったかな? 君も本当にありがとう」


「え、いぇ……あ」

「ホホ。石井はとても優秀で、わたくしも頼りにしてますの」


「そうですね、そうですよねぇ。やはりこの仕事にはが必要不可欠だ」


 依頼者であった同業者の男性は深々と頭を下げ事務所を出て行く。しかし僕は、どうしても聞きたいことがありその人を路上まで追いかけ、呼び止めた。


「あの、待って下さーい!!」

「ん? あぁ石井君。どうしたんだい?」

「一つ、お聞きしたいことがありまして」



 僕だって、最後の最後まで迷ったんだ。



「そんなにかしこまって、なんだい」


「はい、あの。失礼なことを言ったらすみません。しかしあなたにしか聞けないことなのです。依頼のきっかけにもなったその“相棒の女性(恋人)”と、一緒に洋館へ行かれた時のことなんですが――」



 その答えによっては、僕も同じ道を辿る可能性があったから。



「……あぁ」


 男性の顔色が変化した。やはり何か、隠している?


「えっと、鏡の前に立った女性が吸い込まれていくのを、本当は見ていたのではないですか?」


 僕はこの人のように、ミナホさんの恋人でも何でもないけれど。


「それで?」

「エッ?」

「君はなぜ、そう思う?」


 その人は僕を可哀そうな目で、うれいた表情で見ていた。


「なぜって……現に僕はそれを見て、彼女を――真嶋まじまミナホさんが吸い込まれるの見ていて、助けられなかったからです」


「あ、あは……あはは。君はずいぶん可笑おかしなことを言うね」

「おかしい?」

「あぁだって、先程も真嶋さんには事務所でお会いしたじゃないか」


 引きつった顔で笑うと目も合わせず俯き加減で返答する男性の表情は真っ青で強張り、明らかに動揺しているのが分かる。


 この人は何か知っている、僕はそう確信して言い返した。


「いえ、違うんです。あの洋館から帰って来てからのミナホさん、まるで人が変わって……あなたの話していた恋人のように、豹変してしまったんです!」


「――ッ!? い、いや、しかし気のせいでは?」


「いいえ、気のせいとかじゃないっす」


「それにしてもだ。私の恋人とは違い普通に会話もしていたし、品格もある。それにほら、真嶋さんは服装や何かが変わりすぎて困ったとかではないだろう?」


 この人が言うように、ミナホさんは今のままで何ら日常生活に支障はない。依頼人の恋人のような性格的な問題や金銭面で周囲に迷惑をかけることは無い。



 でも、それでも! 僕はに落ちないんだ。



「違うんっすよ! 僕の知ってるミナホさんは、気が強くて、ちょっと口悪くて、いつだって凛としていて。美人なのにガサツなとこあって、でもすげぇカッコ良くて、一人であんなに大変な仕事をこなしてきた人で……僕にとって本当に尊敬できる、魅力的で素敵な女性なんす!」


「石井君……」

「……ぅクッ」


 感情が抑えられなくなった僕の瞳には、涙が溢れる。

 どうしてこんなことになったのだろうか、と。


「申し訳なかった」

「ぅぅ、ぇ、それ……て」


 数十秒の沈黙後、口を開いたのは依頼人の男性だ。


「こうなることを私は知っていた。知っていて、君たちの所へ調査を依頼した」


「な……んで、そんな」

(どういうことなんだ!?)


 僕はその答えで呆気に取られ、言葉を失う。


「実は、あの噂には続きがある」


 今回の依頼者であり同業者の男性は言いにくそうに、ポツリ、ポツリと。あの洋館にまつわる噂の先――真相を話し始めた。





『鏡の世界にいる自分と通じることができる』とは。

『鏡の世界に住む自分と入れ替わってしまう』ということ。



 鏡の中での時間。

 そこは夢でも見ているかのような浮いた気分になり、嫌なことは何一つない。しかし、周囲の人物や風景を見てすぐに違和感を感じ始める。


 そして思う。

「ここは私がいた時空ではない」と。


 しかし気付いた頃には、時すでに遅し。

 吸い込まれた世界に出口はなく、方法もなく出られない。自力でこの大きな鏡から脱出することは、到底不可能だという。





「じゃあ、今の“ミナホさん”は」

「あぁ……別人といってもいいだろうな」


 なぜ、なぜだ?

 なぜこの人はそうなる事を分かっていて、そんな恐ろしい依頼を僕らにしてきたのだろうか?


「僕には、理解できない」


 怒りと悲しみで震えていると、その人は僕の言わんとすることが分かったのか? 話を続ける。


「豹変した私の恋人が、なぜ元の状態で戻ってきてくれたのか。その理由はあなた方の犠牲によるものだとほぼ断定される」


「はっ?」

(まさかッ!?)


「石井君。今、君が感じた想像通り、例の噂検証を次にした者が鏡の世界へと新たにいざなわれ、その前に入っていた者は鏡の世界から出ることが出来る。恐らく、そのような仕組みになっていると思う」


「いや、まさかそんな。それじゃあまるで身代わりじゃないっすか!」


「そうだな、身代わりと言われても仕方ない。本当に心から申し訳ないと思っている。しかし、それでもこうするしか」


――彼女を助ける道がなかった。



「なぜです……どうして!? 最初に言ってくれなかったんすか」


「言えばこの依頼。間違いなく君の相棒に断られていただろう?」


「そ、それは! だからって! 卑怯ひきょうだ」


「それに私たちも同じように別の依頼者に頼まれ、あの洋館へ行った。それでこうなった」


「みんな……狂ってる」


 同業者の男性もやはり、前の依頼者に今の僕のように問い詰めて、初めて知らされた真相だった。


「この真相が事実がどうかは、恋人が元に戻った時。経験した彼女の口から『鏡の世界』について聞き、それが真実だったと完全に判ったことだ。実際それまではそんな話は半信半疑で。何かに取りかれたのかとすら思っていたから」


「それでも……聞いておきたかったっす」


「すまない石井君。しかしすべてを話せなくても、ヒントは伝えた――『彼女が鏡に触れた際にほんの一瞬だけ消えたように見えた』とね」


「そ、そんなの! 分かりませんよ!!」


「……あぁそうだ。そうだよな。申し訳ない」


 言いたいことは山ほどあるのに、僕はそこから言葉が出てこない。長い沈黙を破ったのは再び依頼者の男性だった。


「石井君、最後にもう一つ話そう。鏡の世界から戻ってきた私の恋人が言っていた、重要な話だ」


「重要な話?」


「そう。吸い込まれた先では、すべてが真逆だったと。周囲の景色や人間、建物の方向や人の性格、口調も……そう、名前も。その世界は鏡に映った姿そのもので、何もかもが逆の世界だったと」


「あっ……」

 その話で僕は、ハッとする。


 そしてなるべく今のミナホさんに近付きたくはないと感じていたのにも合点がてんがいった。


(当然だ。本物の欠片かけらもない、完全な偽物なのだから)



 依頼者の男性は「いつか誰かの手でこの連鎖を止められることを祈っている」と言い、目に涙を浮かべる。それからもう一度謝罪する言葉とゆっくり深々とお辞儀をして、足早に去る。


 この時の僕は何とも言えぬ気分で、どうしたら良いのかも解らず、ただただその場に立ち尽くしていた。





「お願いします、どうか僕の友人を救って下さい!」


「友人を救う? 君、一体何があったというんだい?」


「じ、実は……」




 こうして負の連鎖は、繋がってゆく――。







 その昔、屋敷中央ホールにはたくさんの人々が集まり、舞踏会を楽しんでいた。ほぼ毎日のように鮮やかに彩られる森の洋館で、ある日、想い人と結ばれなかった若い女性が、ホールにある大きな鏡の前で――死を選んだ。


 その鏡越しで不気味に笑いながら、息も絶え絶えの女性は、男性へ最後の言葉をかけた。


「惹かれるって……言ってくれたじゃない。そ、そう、だわ……貴方と結ばれ……ねぇ一緒に……逝き……わ、たしと……鏡の世界で……逢いま、しょう……」



 死ぬ間際に映る鏡の自分へ口付けた彼女はへと、旅立った。



 ねぇ私ずっと、ここで待ってるから――。



 ギィィ…………ガチャ、ン。


『ウッフフ……フフ』



 “カチャリ”





(了)

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